第41話 よくこんな体たらくを


 ◆ 柏木葵視点 ◆


「こ、ここが。あの、アスガルドの部屋……」

「そーだ。正真正銘、アイアンメイデンアスガルド部隊隊長の部屋だぞ!」


 羽成君が誇らしげに言う。


 部屋の中は、整然としていた。きちんと衣服はハンガーラックに掛けられていたし、本も散らかることなく、本棚に仕舞われていた。棚の上には沢山の碧獣グッズ、壁にはアイアンメイデンのエンブレムがプリントされた旗が飾られている。


 羽成君はデスクの前に立つ。


「そんで……これが俺のパソコンだ」

「わぁ……! しゃ、写真とか、撮ってもいいですか」

「おう。ぞんぶんに撮ってくれ。減るもんじゃねえからな!」


 パシャパシャと。アスガルドの部屋にある物を写真に収めていく。


「あ、これは……!」


 棚の上に燦然と輝いている、半透明の物体。


「す、STAMPEDEスタンピード2022のクリスタルトロフィー……!」

「おっ。そいつはギルド枠で獲ったヤツだな」

「み、見ました! 大会のアーカイブで!」


 私、今。あの憧れのアスガルドの部屋に居るんだ。この前の生配信のアーカイブも、機敏な動きで仲間をカバーしつつ立ち回っていて、本当にかっこよかった。


 嬉し過ぎて、写真を撮る手が止まらな――。


「……あ」


 そこで、気が付いた。


 私、今。男の人の部屋に居る。


 男の人と、同じ空間に居る。


「……」


 写真を撮る手が、ぴたりと止まり。ゆっくりと、スマホを構えていた手を下げる。


「んあ? どうかしたのか?」

「……い、いえ。すみません。少しはしゃぎ過ぎました」

「遠慮するこたぁないぞ。何たってカスミの連れなんだからな!」

「あ、はい……」


 もう一度。羽成君の部屋を見る。その風景が、雰囲気が。の部屋と重なる。


「すみません。ちょっと……私、出ますね」

「んあ。お、おう。どうした、立ち眩みか?」

「……はい」


 羽成君を置いて、私は部屋を出て――一瞬にして、溜飲が下がる。


「ふぅ……」


 い、一旦。カスミのところに戻ろう。そう思った私は、廊下を速足で歩き――。

 次の瞬間。廊下の奥を歩いてきた男の子と、目が合う。


「ん」


 カスミだ。


「あ、カスミ。ど、どこ行くの?」

「俺はトイレだけど……どうした? 随分早かったな」

「あぁ、うん……それより、時間は大丈夫かな? もうそろそろ出発したほうが良いんじゃない?」


 スマホを見る。九時二十五分。


「……確かにそうだな。準備が出来たら、一哲と一緒に玄関で待っててくれ。俺は哲太と後から行く」

「分かった」


 そう言って、カスミとすれ違い。目の前からカスミが消えた私は急に寂しくなって後ろを振り向くも――。


「……っ」


 カスミは既に廊下の角を曲がっており、その姿はなかった。



 ◆ 冬城佳純視点 ◆



「ふぃー……すっきりした」


 トイレを流し、室内に備え付けられていた小さな手洗い器で手を洗う。ハンカチで手を拭き、トイレを出たところを――。


「お、カスミ。居たのか」


 筋肉と鉢合わせた。


「あ、哲太。悪い、トイレ借りてた」

「別に構わねえって。俺とお前の仲だろ?」


 そう言ってぱしっと俺の背中を叩く哲太。このノリも、昔から変わらない。


「そうだな」

「あぁ……そうだ。カスミ、話がある。……少しいいか?」


「どうした。急に改まって」

「いやぁ、これは……その。お前には話しておこうと思ってな」

「お、おう」


 哲太はいつもの雰囲気に似つかずもじもじとした様子だ。


「ここだけの話だ。哲姉さとねえにも知られたくねえ」

「お……おう。分かった。聞こう」


 哲太は自室に入り、ちょいちょいと手招きをする。俺は誘導されるがまま、哲太の部屋に入った。


 哲太は勉強椅子に腰かけ。俺は哲太のベッドに座る。


「で、話ってなんだ?」


 ぴくりと。哲太が動く。そして、俯きながらぽつりと言った。


「……好きな子が出来た」


「えぇ!?」

「なっ……そんな驚くこたぁないだろ。俺だって、その……好きな子くらい」

「あ、ああ。悪い、続けてくれ」


 哲太は物思いにふけるような顔で、続ける。


「その……好きな子ってのが、紀高きこうの一年の子でな。流石に名前は伏せるが……クールで頭がよくて、ロングの髪が似合う、めちゃくちゃかっこいい人なんだ」


 あ、これ。完全に柏木さんのことだ。


 紀里高校一年。クール系美女。髪は銀髪ロング。言わずもがな、頭もいい。クールビューティーという点において、柏木さんに勝る者は居ないとすら思っている。


「い、いつから?」

「ついこの間だな」

「そ、そうか」

「……ああ」


 そうか。哲太の奴、柏木さんのことが好きなのか。一哲に言われてまさかとは思っていたが、よもや本人の口から聞くことになるとは……。

 まあ……俺にとっては柏木さんはただの親友だし、哲太がそうだというのなら応援したい。親友の幸せを願うことも、また親友の役目だ。そうだ。これは本心だ。


 しんみりとした空気が流れる。


「……なんかヘンな雰囲気になっちまったな。わりい」

「いや、平気だ。……そうか。好きな人が居るのか――応援してるぞ、俺は」


「へへっ。ありがとな。やっぱりカスミは、俺の親友だ!」


 そう言って羽成はウンウンと一人頷く。それから十分ほどして。準備を終えた俺と羽成は、玄関へと向かうのだった。



 ◇



 玄関のドアを開け、外に出る。日差しは眩しく、ひさしが全く役目を果たしていない。そして、玄関ポーチのところに、柏木さんと一哲が二人並んでいた。


「あ、テッタとカス兄、来た」

「全員揃ってるな。一哲、水筒とか持ってるか?」

「一応。テッタががぶ飲みするから三つ入れてる。足りなくなったら自販機で買う」

「用意周到だな……ま、遊園地とかの自販機って高いからな。柏木さんは?」


「私も、持って来てます」

「そうか。なら、熱中症対策は万全だな」

「んじゃ、早速行くとすっか!」


 住宅街を歩く。日差しが照り付ける。


 遊園地は紀坂町より少し離れた場所にあるため、電車を使う必要がある。自転車を使うことも提案されたが、俺と柏木さんは自転車を持っていないため却下となった。


 哲太は一番前を歩き、俺の右隣を柏木さんが歩く。一哲はちょこちょこと後ろを歩いている。

 と。柏木さんはいきなり、肩掛けポーチの中を漁り始めた。


「あ……二人の分のチケット、渡しておきますね」

「おっ。へへ、サンキューな」

「あ。あり、がとう……」


 柏木さんに手渡され、哲太は満更でも無いような表情のように見える。ううん、やっぱりこいつ、柏木さんのことが好きなんだな……。


 ちらりと。柏木さんの方を見る。私服姿の柏木さんは、一段と可愛らしく、それでいてクールで、儚げに見えた。


「ん?」


 小さく。可愛らしい声でこてんと首を傾げる柏木さん。


「どうしたの?」

「……いや。何でもない」

「そっか」


 俺は一人、気まずさを抱えたまま。駅までの道を歩くことになってしまった。



 ◇



 三十分後。


「えーと、グリッターパーク行きは……こっちだな」

「お、おい。待て、そっちは夜行バス乗り場だ」

「カス兄。トイレ行きたい」

「一哲……少し我慢できるか? あ、柏木さん。一哲と一緒に行ってやってくれ」


 俺は、方向音痴二人の世話に追われていた。


「た、大変だね、カスミ……」

「ああ。昔からこいつらは……俺が目を離すとすぐにどこかに消えるからな」

「おっカスミ。見ろ! あそこにオープンした弁当屋! うまそうだぞ!」

「あ、ああ。そうだな……一哲は?」


 さっきから一哲が見当たらない。トイレはさっき行ったから平気のはずだが……。


「ちょっと。お姉さん、放して」

「だめだよ。カスミが困るからどこにも行かないで」

「な、ナイスだ、柏木さん……」


 柏木さんは、抵抗する一哲のリュックサックの持ち手をがっしりと掴んでいた。



 ◇



「ふぅ……何とか乗れた」

「楽しみだな、カスミ! 何度か行ったことあるが、カスミとは初めてだからな!」

「あ、ああ……そうだな……」


 早起きしたつもりはないが、寝ぼけ眼を擦ってここまで来たのだ。方向音痴を二人も同時に世話したせいで、早くも疲労が凄い。


 と、横に座っている柏木さんが耳打ちしてくる。


「カスミ、大丈夫?」

「わっ」


 吐息が耳にかかる。俺は思わず変な声を出してしまった。


「んえ? ど、どうしたの?」

「な、何でもない。少し眠くなっただけ、だ」


「寝てていいんだよ? 着いたら起こしてあげるからさ」

「あ、ああ。そう、だな」


 柏木さんにそう言われ。

 俺は静かに目を閉じ――――睡魔によって、あっという間に眠りに落ちた。



 ◇



 夢を見た。


 俺の親友奴の夢を。


 夢というか、体験的には走馬灯に近いのかもしれない。


 実際のところ、俺は死に瀕している訳でもないのだが。じゃあこれは何なんだろう。どう説明していいか、分からないが。とにかく、記憶が蘇ってきたのだ。


 そいつとは幼馴染だったことを記憶している。出会ったのは保育園の頃だ。


 一人ぼっちでブランコに乗っていた俺に、話しかけてきた一人の少年――。


『お前。何してるんだ? こっちにこいよ、一緒に遊ぶぞ』

『う……うん』


 ショートボブ、というのだろうか。髪は短く、半袖短パンといういかにもやんちゃな恰好で、大きなスコップを担ぎながら俺に手招きしてきたそいつは。


 確か、明るい性格だったと思う。内向的で、一人遊びが好きだった俺とは違い、いつも周りに友達が居て、いつも楽しそうに笑っていて。

 だというのに。俺を見つけると、嬉しそうに近寄って来て。まるで他の奴らより俺の方が優先、というふうに……いつも俺と一緒に遊んでいた。


 家が近かったというのも、関係したのかもしれない。俺の実家とそいつの家は向かい合わせだったのだ。だから夏休みに入ってからは、毎日のように山や川で遊んだし、いたずらも沢山した。楽しかったんだ。俺は。そいつと過ごす時間が。


 そして……その日々は、ある出来事によって崩れ去ることとなった。


『***、えと……女、だったの?』

『……ああ。今まで隠してて、その……ごめん』


 最初は男勝りで、ガツガツしていて、口調も男っぽくて。だから俺含め同い年の連中は総じて、そいつのことを男だと思っていたのだが……。


 小学校に上がって、初めてそいつが女だということを知った。理由は、スカートを穿いてきたことだ。その時には髪も少しずつ伸び始め、俺の幼馴染は――――明らかに女性的になっていた。


 俺は惹かれた。眩しかった――それと同時に、俺との距離がどんどん開いていく気がして。どこかに行ってしまうんじゃないかと、思ってしまって。


 だから。


『ぼ、僕は……***のことが好きだ。つ、付き合ってください!』


 確か、小学六年生の時……だったか。俺は、勇気を出してそいつに打ち明けたのだ。自分が抱いている感情と、今後、そいつとどうなりたいのかを。


 人生で初めての告白に、心臓が跳ねる。目の前のそいつは一瞬硬直したが――いつもの調子に戻り。


『えー……と。ほら、アタシ達親友だろ? ちょっとそういう気にはなれないなぁ』


『え……』


 膝から崩れ落ちる。


『悪いな、ジロー。そういうことだから』

『あっ……』


 そいつは、俺の目の前から消えた。それだけではない。そいつは俺と話さなくなったし、俺と遊ばなくなった。ぶつりと繋がりが途切れた気がして、俺は怖かった。


 通学路でふと目が合ってもすぐに逸らされて、話しかけようとすると逃げられて。


 俺は……自分の行いを後悔した。自分のせいで、親友という関係が壊れてしまったのだと。


 その後。


 中学に上がってから。そいつはどこかに行ってしまった。疎遠になった、というやつだ。俺の行動が原因だったのか、今更そんなことを知ることは出来ないし、彼女との関係が壊れてしまった以上、知ろうともしない。知るのが……怖い。


 こうして。俺の初恋は、あえなく終わりを迎えたのだった。



◆◇◆



 ――カスミ?


 どうした、柏木さん。


 ――大丈夫?


 俺は平気だ。柏木さんこそどうしたんだ。


 ――おーい、カスミ。


 聞こえてるって。だから――。


「――カスミ!」

「はっ」


 はっと。目が覚める。


 ガタンゴトンと。電車が揺れる音がする。


「大丈夫? すごいうなされてたけど」

「あ、ああ。平気だ」


 柏木さんが、俺の肩に手を添えていた。揺さぶってくれていたのだろう。


 変な夢を見てしまった。思い出すつもりも無かったことを。いや、ちゃんと忘れられていたはずなのに。何でここに来て、こんなものを見てしまうんだ。


 柏木さんは少しばかり考えて――顔を覗き込み。


「……変な夢でも見た?」


 う、鋭い……。


「い、いや。大丈夫だから」

「そっか。具合悪くなったらすぐ言うんだよ? 乗務員さんに知らせるから」

「ああ、助かる」


 ちなみに、哲太と一哲は爆睡していた。リュックサックを抱きかかえ、すぅぴぃと静かに寝息を立てる一哲と、がぁごぉといびきをかく哲太。


「哲太。寝るのはいいけど……うるさくするんじゃないぞ。他の乗客の迷惑になるからな」

「んぐぅ――――ふがっ。……ん、寝てたのか、俺……どうした、カスミ」

「……はぁ」


 柏木さんは、目をぱちくりさせながら哲太の方を見る。


 全く……。好きな人の前で、よくこんな体たらくを晒せるものだ。

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