第29話 住宅街の狭い路地裏に
テーブルを部屋の中央にセッティングする。
「……ふぅ、できたできた。はい、カスミ。座布団」
柏木さんがどこからか取り出した座布団を俺にパスしてくる。
「お、サンキュ――よっこらせっと……はぁ、やっと座れた」
「よっこらせって……ふふふ。カスミ、おじいちゃんみたいだね」
「うるさい。さっきからずっと突っ立ってたから足が疲れただけだ」
「あは、ごめんごめん」
そう言って、柏木さんもスカートを両手で抑えながら床に座りかけて――。
「あ、そうだ。カスミ、喉渇いてる?」
「ん。ああ、ちょっとな」
「そっか。じゃあ私、飲み物取ってくるね」
「悪いな」
柏木さんはドアを開け、トントンと階段を降りて行った。ぽつんと、部屋に取り残される。
「さて、柏木さんが帰って来るまでに準備しとくか」
そう呟き、カバンを開く。
取り敢えず……英語コミュニケーションからやるか。ノートと教科書、それに英和和英辞典を取り出し。テーブルの上に並べた。
◆◇◆
しばらくして。
「カスミ、ちょっと今両手が塞がっててさ。開けてくれないかな?」
ドアの向こうから、そんな声が聞こえる。
「ああ、今開ける」
ドアを開けると、トレーを持った柏木さんが立っていた。トレーの上には、グラスに入ったメロンソーダが二つ。その横に、小さな二つの包み。
「はい、飲み物とお菓子!」
「おお。メロンソーダじゃないか」
「カスミ、これ好きでしょ」
「な……何で分かったんだ」
「オフ会した日にカラオケでカスミが飲んでたから、好きなのかなーって」
「そんなところまで見てたのか……いやまあ、普通に嬉しいんだけど」
「なら良かった」
柏木さんはトレーを机の上に置き。再び腰を下ろす。俺が広げた教科書を見。
「最初は英コミュかぁ……」
「柏木さん英語苦手だし。最初にやっておこうと思ってな」
「むぅ……気乗りしないなぁ」
柏木さんは渋々といった様子で、英和和英辞典を取り出す。つくづく感じていることだが、この容姿で英語を話せないとはなかなかのギャップがあるな。
ノートを開き、黙々と勉強を始めた柏木さんに。ふと思ったことを訊ねてみる。
「柏木さん、言語はいくつ喋れるんだ?」
「ん? 言語? 日本語だけだけど」
目が点になる。
「え、そうなのか?」
「だって。私日本生まれだもん。ハーフだけど、中身は日本人だよ」
「てっきりロシア語とか話せるものだと思ってた……」
「お母さんも話せないから。だから私も話せなくて当然なんだよ」
「だからあんなに流暢な日本語だったのか……って、ん?」
待てよ。柏木さんがハーフならば、穂乃香さんは純粋なロシアの血を受け継いでいるにも関わらず、日本語しか話せないのか? つまり……そのまた両親もロシア語を話せない? もしくは教わっていない? いやいや、ありえない。
ロシア人夫婦の家庭に生まれていれば、少なからず日常で飛び交うロシア語によって習得しているはずだ。それを「日本語しか話せない」……?
「なんかもやもやしてる顔だね」
「……まあ。柏木さんはともかく、穂乃香さんまでロシア語を話せないのはな」
「やっぱり……気になる?」
柏木さんはこちらを伺うような表情でそう訊ねる。
「……気になる」
「分かった」
柏木さんはメロンソーダをちゅーと一口、こくりと飲み込む。
「教えてあげるよ。本当は誰にも言うつもりは無かったけど、親友のカスミにだけは伝えておこうかな。私が止めなかったら、お母さんから言ってただろうし」
◆◇◆
「お母さんはね、捨て子だったんだ。ある秋の夕暮れに、住宅街の狭い路地裏に捨てられているところを、お母さんの育ての両親が見つけた。家に連れて帰って育てようってことになって。それで、名前は穂乃香になった。それだけなんだ」
「そう、なのか……」
なるほど。全てにつじつまが合う。
「はい。この話は終わり。カスミ、さっさと勉強終わらせてゲームしようよ」
「あ、ああ。そうだな」
柏木さんは愁いを含んだ表情のまま、英和和英辞典を捲っていく。その表情は凛としていて、それでいて凄く美しいのだが、俺は拭えない
――そうだ。あの時。羽成と登校した日の柏木さんと、同じ表情なのだ。
つい。
「大丈夫か?」
「ふぇ? な、なにが?」
「なんか表情が暗いぞ」
「え……私、そんな顔してた、かな」
自分の顔をぺたぺたと触る柏木さん。白く細い指が、同じく色白い頬にむにゅりと沈み込む。
「……いや、見間違いだ」
「そ、そう? なら良いけど。――あ、これ忘れてた!」
そう言って、柏木さんはトレーの上に置いてあった包みを俺に手渡しする。
「なんだ、これ……あぁ、フィナンシェか」
「お母さんがご近所さんから貰ったんだ~。賞味期限近いから早く食べちゃいなさいって言われたんだけど、もうこれで四個目だよ。流石に飽きてきちゃった」
「はは、二人で消費するには多すぎたか。それじゃ遠慮なく。いただきま――」
包みを開け、フィナンシェを一口。
「ん、うまいな」
「――ん~! おいひい!」
満面の笑みでフィナンシェを貪る柏木さん。
「……飽きたんじゃなかったのか?」
「美味しいものは美味しいから良いんだよーだ。カスミのも食べてあげよっか?」
「だめだ――むぐっ」
「あ、一口で食べた!」
◇◇◇ ◇◇◇
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【追記】
最近、朝早く起きてから執筆することが増えました。早起きって良いですよね。一日のリソースが増える。これが平日もそうだと尚良いのですが。
僕は平日に早起き出来ない呪いを掛けられているので……。
現時点での時間軸……
5/14(日) 1話
5/15(月) 2話、3話、4話
5/16(火) 4話、5話、6話
6/06(火) 7話、8話
6/07(水) 9話、10話、11話
6/16(金) 12話、13話、14話、15話
6/17(土) プロローグ、16話
6/19(月) 17話~24話
6/20(火) 25話~29話
最後に。
切実に★がほしいです。面白いと思っていただければ、★★★お願いします。
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