第17話 アップデートされた世界
月曜日。
空は快晴。気温は少し高め。夏の足音が聞こえてきた、とでも言うのだろうか。
この頃、曇り空しか見ていなかったから、何というか「世界が更新された」気がする。更新、というか、アップデートとでもいうのだろうか。
ソーシャルゲームなんかでよくある、あれだ。機能やグラフィック、仕様が更新され、新たなコンテンツが追加される。梅雨から夏への移り変わりは、何となくこの「アップデート」に近いものを感じるのだ。
俺は玄関を出て、エレベーターによって、地上まで運ばれた。
余りの心地よさに、雲一つない空を見上げて立ち尽くしてしまう。――と、刹那の忘我から帰還した俺は、両手を前で組み、上に上げ、伸びをした。
「ぐうっ……はぁ」
こんな天気のいい日だ。
「ふわぁ……」
いつもの通学路を歩く。
六月中旬。キジバトのデーデー、ポッポーという鳴き声に、小鳥のさえずり。
本当に、心地が良い日――。
「あっ! カスミっ!」
「ん?」
ふいに。女性の声で、名前を呼ばれ。俺は立ち止まる。声のトーンに聞き覚えがあるが、俺の知り合いにこんな声の人は居ない。きっと、俺が呼ばれたんじゃないな。
この声の主の女の人の、女友達か何かだろう。
「おーい! カスミったら!」
早く返事をしたらどうなんだ、カスミ
俺はのん気にそんなことを考えながら、登校を再開した――。
――その瞬間。
「カスミ! 返事してよ!?」
「うわぁっ!?」
目の前に、
「か、柏木さん!?」
「どうしたの、カスミ。さっきからぼーっとしちゃって」
「いや、何で柏木さんが俺に――って、ああ……」
はぁ。完全に思い出した。土曜日の地獄のようなオフ会を。
『よし、もう一曲歌おっと!』
『た、頼む……家に、帰し……て……』
蕎麦の行くところまで行ってしまった歌声を三時間も聞いたのだ。店を出る時には顔はすっかりやつれ、そのまま帰ってすぐベッドにダイブするほど疲れ切っていた。
昨日はその尋常でない疲れのせいで、丸一日寝ていたし。
記憶が少し飛んでいたのは、間違いなく、この天気の良さとそれのお陰だろう。
「悪い。そう言えば、柏木さんは蕎麦、だったな。おはよう、柏木さん」
「うん。おはよう、カスミ!」
蕎麦――柏木さんは、屈託のない笑みを俺に向ける。この「棘姫」らしからぬ表情には、毎度のことながらどきりとさせられる。
柏木さんは俺の横に立つと、並んで歩き始めた。
「ねぇ、カスミ」
「どうした、柏木さん」
柏木さんは、少しむっとした表情になる。
「その、柏木さんっていうの、やめてくれないかな」
「ん? なんでだ?」
「だって、なんか他人行儀じゃん。ちょっと前から思ってたけど、私はカスミって呼んでるのに、カスミだけ私のことを名字呼びするのって、不公平だと思わない?」
確かに不公平で、他人行儀だ。
「じゃあ、柏木さんのこと、なんて呼べば良いんだ? さすがにハンドルネームで呼ぶ勇気は俺にはないぞ」
「普通に名前で呼んでくれれば良いのに」
「名前で……?」
女子を、それもあの「棘姫」を名前呼び。
俺が柏木さんを「葵さん」とでも呼ぶのか。柏木さんの恋人でも何でもない俺が。
「うん」
「いや、それはちょっと無理な提案だ」
「なんでさ」
「思春期の男子に女性をいきなり名前呼びなんてハードルが高過ぎる」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
俺は目を合わせずに返事をする。
「ふーん……。ならいいや」
「案外あっさり受け入れるんだな……食い下がると思ったのに」
「私はカスミと違って、引き際は弁えてるからね」
「ああ、だめだ。やっぱり蕎麦なのか、こいつは……」
柏木さんはふふふんと笑うと、そのまま前を向く。
「……っ」
その横顔に、俺は見入ってしまう。
柏木さんの顔は、美少女という次元を超えている。外国の血が入っているからというのは言わずもがな、だけど。たまに柔らかく歪む鋭い目つきは、きっと向けられた者を虜にしてしまうだろう。クールとキュートを兼ね備えた、柏木さんの武器だ。
……最も、
ついでに言えば。目鼻立ちもさることながら、柏木さんはスタイルも良い。百七十五ある俺の背丈をもってしても、目線がほとんど変わらないのだ。
「ちょっと気になったんだけど、柏木さんって、身長はどれくらいあるんだ? 俺と大して変わらないよな」
「ん? ああ、そうだねぇ……多分だけど、百七十くらいあるんじゃないかな?」
「なっ……。モデル並みじゃないか……」
この美貌にこの背丈なら、きっと柏木さんは幾度となくスカウトされたことだろう。もちろん、芸能関係で、だ。
さっき言っていたモデルに、歌って踊るアイドル――は、多分無理だろうな……。
「ていうか、俺と一緒に歩いてて平気なのか?」
「平気って?」
「柏木さんと俺が並んで歩いていたら、あらぬ勘違いをされそうというか、色々とまずいんじゃないのか?」
「勘違い? 何を?」
柏木さんは無垢な瞳をぱちくりさせながら、俺の方を見る。
「あー、いや。何でもない。忘れてくれ」
「へんなの」
きっと俺程度の人間と並んで歩いていても、勘違いされない自信があるのだろう。
それが格の違いから来るものだということは、火を見るよりも明らかだ。
何せ、あの「棘姫」である。たとえネットの繋がりがあったとしても、
「あっ、そう言えば。昨日、何でカスミはオフラインだったの? 私、ずっと待ってたんだよ?」
どこかの誰かさんのせいで……とは、口が裂けても言えないな。
適当にはぐらかそう。
「ああ、昨日は大事な用事があってな。ゲームする時間が無かったんだ」
「そうなんだ……。今日は、一緒に出来る?」
柏木さんは一瞬目を伏せ、俺の方をチラリと見る。
「ああ。出来るぞ」
「ほんと! やった!」
語尾に音符でも付きそうなほど浮かれた調子で、柏木さんはニコっと笑った。
「今日はね。昨日のアップデートで追加されたエリアに挑戦しようと思ってたんだ~」
「確か、ボスが二体追加されたんだったか。クリアできるのか?」
「余裕だよ! 私とカスミが行けば、ちょちょいのちょいだって!」
容姿はこんなだけど、中身はやっぱり、俺の大事な親友なんだ。
そう。目の前に居る美少女が、五年間ほぼ毎日遊んだ俺の「
何だか夢を見ているみたいで、未だに実感が湧かないが。
そんな感じで、俺は柏木さんと談笑しながら、学校へ向かった。
◆◇◆
HRの前。
「おはよう、冬城。今日は良い天気だな。傘、助かったぜ。ありがとうな」
俺より十分遅れて教室に入ってきた辺が、俺の机の前に立ち。爽やかな雰囲気で、丁寧に畳まれたモスグリーンの折り畳み傘を手渡してくる。
「お前……どのツラを下げてそんなことを抜かしてるんだ」
「はてさて、なんのことやら」
「とぼけるんじゃない。金曜日のことだ。なぜ俺を置いて行った?」
「む? あ、ああ~、あれか!」
辺は一瞬真顔になり――。
「ほんの出来心だったんだ。悪いな」
ニカっと、無邪気な笑顔になった。
邪で満ちた思惑を完全に覆い隠すほどの、屈託のない笑顔。
「出来心で友人を置いてけぼりにするのか、お前は……」
「ははは、悪かったよ。んで、柏木さんと何か話したのか? すげー気になるぜ」
そうだ。あの日、俺は蕎麦――正確には、まだ蕎麦だと気づいていない段階の柏木さんと一緒に下校した。柏木さんに訊けば、俺がkasumi1012だと確信した決め手は、あの出来事だったらしい。どうするか。
このことを辺に言うべき……じゃないのは間違いない。こいつに教えちゃいけない。
「世間話を少々な」
俺は辺と目を合わせずにそう言いつつ、水筒の水を呷る。
「なっ、それだけかよ!? ……まあでも、あの棘姫と世間話をしたってことか……そう考えれば、普通に凄いことなのか……?」
辺は顎に手を当てながら言う。そして、思い出したように話し始めた。
「んお、そうだ。その棘姫なんだが、今日男と一緒に登校したらしいぜ」
「ブフッ!?」
俺は、水筒の水を盛大に吹き出した。
そうだった。俺が親友と登校したつもりだったあれは、傍から見れば完全に男女のそれだ。盲点だった……。
「なんでも、その男の前であの棘姫が「満面の笑み」だったらしい。ありゃきっと彼氏とかだろうなー……」
「ゲホッゲホッ――」
「――って、ああ、悪い、冬城! そんなつもりは無かったんだ。お前の夢を壊すつもりは」
「はぁ?」
「大丈夫だ冬城。きっとあれは誰かの見間違いか何かだ。……多分。すまん、忘れてくれ」
「どういうことだ……」
口元をハンカチで拭う。
「じゃ、そういうことだから! 悪いな、冬城」
辺はそれだけ言うと、そそくさと自分の席まで戻って行ってしまった。
「はぁ……」
辺の言い様から察するに、どうやら、俺が柏木さんと登校したことまでは知られていないらしい。だが、あの「棘姫」が男と一緒に登校している時点でかなりの大事件なのは間違いないわけで……。
その影響かは知らないが、教室内はいつもよりざわついているように見えた。
何にせよだ。知られてはいけない。柏木さんにも迷惑が掛かるし、俺の学校生活にも多大な影響を及ぼしかねない。絶対に知られては――。
◇◇◇ ◇◇◇
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【追記】
最近★が増えていくペースが凄まじいです。これで暫くはランキングから振り落とされずに済みそうです……。なので皆さん。
棘姫に★を入れて!
私を
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