第16話 紫がかった艶やかな銀髪


 ◆ 冬城佳純視点 ◆



 次の日。


「……ここか」


 エンジョイマウス紀坂町きさかちょう店。部活帰りに紀里高校の生徒がよく入り浸ることで有名な、カラオケボックスだ。俺はこういうところに入ったことが無いから、少し緊張する……というか、カラオケボックスってこれが人生初なんじゃないか。


 建物の中に入り、受付まで向かう。元気の良さそうなお姉さんが応対してくれた。


「いらっしゃいませ! おひとり様ですか?」

「あ、いえ。もう少ししたら、連れが一人来ますので」

「分かりました。学生証はお持ちですか?」

「はい」


 学生証を取り出し、店員さんに差し出す。そのまま会員登録の手続きをしたのち。


「ドリンクバー付き、フリータイム、機種はBOYSOUNDボーイサウンドでよろしかったでしょうか?」

「はい」

「では、十九番の部屋にお入りください。お連れ様の方にも、お部屋の番号を伝えておいてくださいね」


 店員さんからマイクやグラスが載ったトレーを受け取り、指定された部屋へと向かう。片手でやや重い片開きドアを開け、部屋の中に入った。


「こ、ここがカラオケ……」


 外を出歩きたい年頃のはずの中学生時代をずっと家で過ごしていた俺にとっては、カラオケという空間が凄く新鮮に感じる。外部と隔絶された、というのだろうか。

 誰にも邪魔をされることなく、気持ち良く好きな歌を歌える空間。まあ、俺はあんまり歌を歌う方ではないが、こういうのも悪くないかもしれないな。


 それに、今日は蕎麦が来るのだ。どんな感じなのだろうか。やっぱり男子高校生というのだから、俺くらいの背丈だろうか。蕎麦の声は、(たまに小学生と錯覚するくらいに)妙に少年っぽいから、もしかすると小柄な方なのかもしれない。

 学校にも、成長期が遅い影響で声が高い男子生徒も居るくらいだからな。


 まあ、そこはあまり気にしていない。蕎麦がどんなだろうと、俺の親友であることに変わりはない。それが今日、蕎麦の現実リアルの容姿を見たくらいで揺らぐことも無い。


「にしても……」


〈kasumi1012 :十九番の部屋に通された〉


 メッセージを送信して、早十分。既読は付いているが、返事は来ない。予定では、集合時間まであと五分のはずだが……。

 何かトラブルに巻き込まれでもしたのだろうか。それとも。道に迷ってる……とか? 紀坂町は迷路のような街並みだから、俺も初めて来た時はよく迷ったものだ。


 そんなことを考えていると、蕎麦から返信が来た。


〈Sob_A221 :もうちょっと掛かるかも。あと三分待って。〉


「遅いな、蕎麦の奴……」



 ◆◇◆



 ガチャリ、とドアが開く。

 実に十分の遅刻だ。こいつって、時間にルーズなタイプだったのか?

 俺はメロンソーダをストローで吸いながら、ドアの方に視線を向け。


「お、やっと来たか。ったく、遅いぞ、蕎麦……って、え?」


 入ってきたその姿に、俺は息を呑んだ。


「ごめんね、カスミ。ちょっと手間取っちゃって」


 紫がかった艶やかな銀髪。咲き零れる薔薇のような、赤紫色マゼンタの瞳。すらりと高い背、丸みを帯びたシルエット。そして、重力に逆らった豊満な胸。コーヒー色のスカートに、ダークブラウンのニット。そして、胸に光る金色のネックレス。


「……っ」


 俺の想像していたものとは、違った。少なくとも、全てにおいて。


「あっ。やっぱり、君だったんだ」


 彼女は俺の顔を見るなり、嬉しそうに言う。少し口角を上げながら。


「へ……?」


 唖然とする俺をよそに、彼女はスカートを両手で抑えつつ、ソファに座る。


「ふぅ。リアルで会うのは初めてじゃないよね」

「……ええと、柏木さん、だよな? 多分、部屋を間違ってると思うんだけど……」


 何で柏木さんがここに居るんだ。部屋を間違えたのか? というか、柏木さんってカラオケに行ったりするのか。いや、今はそんなことはどうでもいい。早くこの部屋から出て貰わないと。ここにはこれから、蕎麦が来るのだ。


 こんなところをあいつに見られたら、あらぬ誤解をされかねない。いや、その前に地獄の空気になるだろうな……。


 柏木さんはきょとんとした様子で、さも当然のように言い放つ。


「ん? 間違ってないよ?」

「は……?」


 何言ってんだ、この人。てか、何でこんな喋り方を……?

 柏木さんと言えば、誰に対しても敬語で、冷たい雰囲気で、表情筋は動かなくて。

 ……じゃあ、ここに居る表情豊かな美少女は、一体……。


「――あ、そっか。まずは自己紹介しないとだね。私は紀里高校一年三組の柏木葵って言います。ネットのハンドルネームはSob_A221そばにーにーいち。よろしくね、カスミ」


 柏木さんは、うやうやしく頭を下げる。

 肩に乗っていた銀髪がふわりとなびき、慣性のまましゅるりと垂直に流れ落ちた。


 はっ……? 


 柏木さんが、蕎麦……?


 訳が分からない。意味が分からない。絶対に、そんなはずはない。あいつは男だ。声だって少年っぽいけど、男だったはずだ。間違いなく。俺の親友のSob_A221そばにーにーいちは、男のはずなのだ。


「えっ……。いや、だって、蕎麦あいつは男で。VCボイスチャットの声だって――」


 そう言うと、柏木さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「ごめん。あれ、嘘なんだ」

「う、嘘ってどういう……」


 柏木さんはスマホを取り出し、Hiscodeの画面を見せてくる。


「これ。私のHiscode。蕎麦って書いてるでしょ?」


 そこには、Sob_A221の文字と、ベアートリスのアイコンのアカウントが表示されていた。蕎麦がいつも使っているアカウントだ。


「いやいやいやいや。俺はっ……そんなのに騙されたりしないぞ。フェイクだ、フェイク。じゃあ、あいつの声は、どうやって説明するんだよ」


 俺は焦り、いや恐れからか、子供のように柏木さんに迫ってしまう。

 柏木さんは俺に見せていたスマホを自分の方に戻し、数秒操作をする。


「ああ、それか。えっとね、このボイスチェンジアプリを使って……」

「……な、何を」

「ほら、あー、あー」


 柏木さんはスマホのマイクに向かって、発声。

 すると。


「カスミ。僕だよ、蕎麦だよー」


 柏木さんの声はみるみる低くなっていき、男性の声色になった。いや、男性というか、中学生くらいの男児と言った方が良いだろう。やけに幼い、少年っぽい声。


「じゃ、じゃあ。柏木さんが蕎麦だって言うんなら、蕎麦がいつも碧獣で使ってる装備の一式くらい言えるだろ」


 認めたくない。


 柏木さんはスマホをポケットに仕舞い、考える仕草をする。


「うん、言えるよ。えっと、ヘルメットは熊の御頭ベアーヘルムで、胸当てから籠手、足甲にかけては最大強化済の獣装鎧ビーストアーマー、靴は鰐鱗なめし革クロコ・レザー製で。敏捷性びんしょうせい強化のアーティファクトを装着してたはず。武器は大剣の蛇頭龍尾じゃとうりゅうび最大強化済。アーティファクトは類人猿特効と水生生物特効。多分、これで全部のはずだよ」


「……………」


 認めたく、ない。


「……蕎麦が使ってる回数が一番多いエモートは」

友情の証フィストバンプ!」


 けど……。


「昨日俺と周回したダンジョンは」

「蒼穹のクレバスと、ロキストリア・ラ・トリア!」


「……」


 認めざるを、得ない……。


「……分かった。柏木さんが蕎麦だっていうのは、認める」


 やれやれ。どうやら、柏木さんは本当に蕎麦らしい。蕎麦がお気に入りに登録しているエモートは「友情の証フィストバンプ」だし、昨日俺と周回したダンジョンも「蒼穹のクレバス」と「ロキストリア・ラ・トリア」で間違いない。それに、さっき言っていた装備の数々も、実際にゲーム内で蕎麦が使用している装備品と合致している。


 これだけ挙がっていて、認めないほうが難しい……。


「ほんと!?」


 柏木さんは子供のような満面の笑みを見せる。その無邪気なしぐさに、少しどきりとしたのは内緒だ。


「……で、なんで柏木さんはネカマ……ああ、いや。ネナベをしてたんだ?」


 一番の疑問点だ。なぜ、柏木さん蕎麦はネナベをしていたのか。この五年間。なぜ親友の俺に、性別を偽っていたのか。


「それは……。私が女だってことを、隠したかったから……」

「どうしてだ」


 思わず、口調が強くなる。


「だって。女としてゲームをしてたら、変な人にたくさん絡まれるし、嫌なこともたくさん言われるんだもん」


 柏木さんは肩から垂れた銀色の髪の毛を右手で弄りながら、伏目になる。


「……そうなのか?」

「そうだよ。リアルで会おうよってずっとDM送ってくる人だって居るし。どうせネカマだろって、中身はおっさんだろって言われるし。それが嫌で、ネナベをすることにしたんだ」


 俺はてっきり、蕎麦が俺をからかっていたのだとばかり思っていた。

 だけど。蕎麦には蕎麦の事情があって、仕方なくネナベをしていただけだった。


 確かに蕎麦は俺を騙したけど、俺に危害を加えてきたわけでは無い。ただ単に、純粋にゲームを楽しむために必要だった。それだけだったのだ。

 ……それに、蕎麦とゲームをしたあの日々は、俺の中では宝と言って差し支えない。本当に充実した五年間だった。


 これだけで、俺が蕎麦を咎める理由は無くなってしまった。


「……そうか。柏木さんにもそういう事情があったんだな」

「……うん」


 柏木さんが俺の親友の「蕎麦」だった。つまり、柏木さんが今まで探していた「ネッ友」は、俺――。


『すみません、人違いのようでした』

『……いえ。何でも、ないです』

『探している人が、居るんです。ずっと』

『相合傘、すればいいじゃないですか』


 俺は今までの柏木さん――蕎麦の行動を回想しながら、メロンソーダを吸引する。

 俺の親友が、隣のクラスの「棘姫」。うーん、全く実感が湧いてこない……。


「……ねぇ、カスミ」

「ん?」

「その、カスミさえ、よかったら。なんだけど」


 急にしおらしくなったかと思えば。柏木さんはそう前置きをし。


「学校でも、カスミに話しかけて、いい?」


 そう、言った。


「話しかけるって、柏木さんが、俺に?」

「うん」

「どうしたんだ、急に。独りは好きなんじゃなかったのか?」

「あれは……建前というか。その……」


 柏木さんはそれだけいうと、口ごもる。


 思えば、柏木さんは、学校ではいつも独りだった。言い換えれば、蕎麦は独りぼっちでいた。俺の親友が、だ。

 柏木さんは好んで独りで居るのだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。なにか理由があって、独りで居ざるを得ない……。あの時、俺が柏木さんと通学路で目を合わせた時に感じたあの感覚は、あながち間違いでも無かったようだ。


「ま、俺なんかで良いなら、いつでも話しかけてくれ。辺以外に話し相手なんて居ないしな」

「ほんとに?」


 柏木さんは、叱られたあとの子供のような表情で、俺の方を見る。


「ああ」

「迷惑じゃ、ない?」

「迷惑じゃない。俺だって、大事な親友を独りにするわけにはいかないからな」


「……!」


 柏木さんはぱあっとした笑顔になる。「棘姫」なんてあだ名を微塵も感じさせない、屈託のない笑顔に。


「じゃ、じゃあ! 月曜日からも、よろしくね! カスミ!」

「ああ。よろしくな、柏木さん」

「よぉし、大事な話も終わったことだし、今日は歌うぞー! おー!」

「お、おー?」


 柏木さんは曲を入れると、ニコニコでマイクを手に取る。

 蕎麦が音痴だということを思い出したのは、それからすぐのことだった。


 ◇◇◇ ◇◇◇


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【追記】


 書きたかったシーンを書くことが出来て、感無量でございます……。

 とはいえ。これで物語を閉じるわけにはいかないので、さらにスケールを広くして執筆を続けていく所存でございます。


 また、読者の皆様に朗報がございます。

 本作のヒロイン、棘姫だけではございません。頑張れ、蕎麦ちゃん!


 一つの節目ということで長めの追記にさせていただきました。文字数稼ぎとか言わないでくださいね?(笑)

 ということで……これからも「棘姫」を読んでいただけると嬉しいです!

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