第16話 紫がかった艶やかな銀髪

 

 ◆ 冬城佳純視点 ◆



 次の日。


「……ここか」


 少し古ぼけた、四階建ての建物を見上げる。


 エンジョイマウス紀坂町きさかちょう店。俺はこういうところに入ったことが無いから、少し緊張する……というか、カラオケボックスってこれが人生初なんじゃないか。


 建物の中に入り、受付まで向かう。元気の良さそうなお姉さんが応対してくれた。


「いらっしゃいませ! おひとり様ですか?」

「あ、いえ。もう少ししたら、連れが一人来ますので」

「分かりました。学生証はお持ちですか?」

「はい」


 学生証を取り出し、店員さんに差し出すと、会員登録の手続きを提案された。特に通うつもりも無かったが、一応手続きをし、会員カードを受け取っておく。


「ドリンクバー付き、フリータイム、機種はBOYSOUNDボーイサウンドでよろしかったでしょうか?」

「はい」

「では、十九番の部屋にお入りください。お連れ様にも、お部屋の番号を伝えておいてくださいね」


 店員さんからマイクやグラスが載ったトレーを受け取り、指定された部屋へと向かう。片手でやや重い片開きドアを開け、部屋の中に入った。


「――こ、ここがカラオケ……」


 五人掛けほどのサイズのソファが二つ、小さな部屋の半分を占めている。奥の壁にはテレビ、そして机の上にはタブレット端末。


 トレーを机の上に置き、取り敢えずソファの端っこに腰掛ける。


 外を出歩きたい年頃のはずの中学生時代をずっと家で過ごしていた俺にとっては、カラオケという空間が凄く新鮮に感じる。


 外部と隔絶された、というのだろうか。誰にも邪魔をされることなく、気持ち良く好きな歌を歌える空間。俺は普段、鼻歌程度しか歌うことはないが、こうして閉鎖的な空間で気持ち良く歌うのも、案外悪くないかもしれない。


 それに――今日は親友が来るのだ。

 あいつはどんな姿なんだろうかと思いを馳せる。やはり男子高校生というのだから、俺くらいの背丈だろうか。蕎麦の声は、たまに小学生と錯覚するくらいに妙に少年っぽいから、もしかすると小柄な方なのかもしれない。


 何にせよ、そこはあまり気にしていない。

 蕎麦がどんなだろうと、俺の親友であることに変わりはないからだ。それが今日、あいつの現実リアルの容姿を見たくらいで揺らぐことも無い。


「にしても……」


〈kasumi1012 :十九番の部屋に通された〉


 メッセージを送信して、早十分。既読は付いているが、返事は来ない。予定では、集合時間まであと五分のはずだが……。


 何かトラブルに巻き込まれでもしたのだろうか。それとも。道に迷ってる……とか? そんなことを考えていると、ほどなくして蕎麦から返信が来た。


〈Sob_A221 :もうちょっと掛かるかも。あと三分待って。〉


「遅いな、蕎麦の奴……」


 ◆


 ガチャリ、とドアが開く。実に十分の遅刻である。

 俺はメロンソーダをストローで吸いながら、ドアの方に視線を向ける。


「お、やっと来たか。ったく、遅いぞ、蕎麦……って、え?」


 入ってきたその姿に――――俺は息を呑んだ。


「ごめんね、カスミ。ちょっと手間取っちゃって」


 紫がかった艶やかな銀髪。咲き零れる薔薇のような、赤紫色マゼンタの瞳。すらりと高い背、丸みを帯びたシルエット。そして、重力に逆らった豊満な胸。コーヒー色のスカートに、ダークブラウンのニット。胸に光る金色のネックレス。


「……っ」


 俺の想像していたものとは、違った。少なくとも、全てにおいて。

 彼女は俺の顔を見るなり、嬉しそうに口角を上げながら口を開く。


「あっ。、君だったんだ」


 そうして紡がれた言葉は、声は、間違いなく、男のそれではなかった。


「へ……?」


 唖然とする俺をよそに、彼女はスカートを両手で抑えつつ、俺と反対側のソファに腰掛ける。


「ふぅ。リアルで会うのは初めてじゃないよね」

「……ええと、柏木さん、だよな? 多分、部屋を間違ってると思うんだけど……」


 少し遅れて戸惑い気味に返事をする。


 何で柏木さんがここに居るんだ? 部屋を間違えたのか?


 というか、柏木さんってカラオケに行ったりするのか。いや、今はそんなことはどうでもいい。間違えたのか、何か勘違いをしているのかは分からないが、早くこの部屋から出て貰わないといけない。ここは俺と蕎麦のオフ会会場なのだ。


 こんなところをあいつに見られたら、あらぬ誤解をされかねない。いや、その前に地獄の空気になるだろうことは想像に難くない。


「ん? 間違ってないよ?」


 柏木さんはきょとんとした様子で、さも当然のように言い放つ。


「は……?」


 この人は何を言っているんだという疑問と共に、新たな疑問が浮かぶ。


 それは――口調だ。

 柏木さんと言えば、誰に対しても敬語で、冷たい雰囲気で、表情筋はピクリとも動かなくて。……では、ここに居る表情豊かな美少女は、一体――。


「――あ、そっか。まずは自己紹介しないとだね。私は紀里高校一年三組の柏木葵って言います。ネットのハンドルネームはSob_A221そばにーにーいち。よろしくね、カスミ」


 柏木さんがうやうやしく頭を下げると、肩に乗っていた銀髪がふわりとなびき、慣性のまましゅるりと垂直に流れ落ちた。


 同時に、俺の頭は真っ白になる。


 柏木さんが、蕎麦……?


 訳が分からない。絶対に、そんなはずはない。あいつは男だ。声だって少年っぽいけど、男だったはずだ。間違いなく、俺の親友のSob_A221そばにーにーいちは、男のはずなのだ。

 別にこれ以上の理由も証拠も提示する必要は無い。なぜなら、五年間の付き合いで俺はあいつを男だと確信しているし、あいつ自身も男だと言っていたからだ。


「えっ……。いや、だって、蕎麦あいつは男で。VCボイスチャットの声だって――」


 そう言うと、柏木さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「ごめん。あれ、嘘なんだ」

「う、嘘ってどういう……」


 柏木さんはおもむろにスマホを取り出し、数秒操作し、その画面を見せてくる。


「これ。私のHiscode。ほら、蕎麦って書いてるでしょ?」


 そこには、Sob_A221の文字と、ベアトリスのアイコンのアカウントが表示されていた。蕎麦がいつも使っているアカウントだ。


「いや、いやいやいや。俺はそんなのに騙されたりしないぞ。フェイクだ、フェイク。じゃあ、あいつの声は、どうやって説明するんだ?」


 俺は焦り、いや恐れからか、子供のように迫ってしまう。柏木さんは俺に見せていたスマホを自分の方に戻し、更に数秒操作をする。


「ああ、それか。えっとね……このボイスチェンジアプリを使って……」

「……な、何を」

「ほら、あー、あー」


 柏木さんはスマホのマイクに向かって、発声。

 すると。


「カスミ。僕だよ、蕎麦だよー」


 柏木さんの声はみるみる低くなっていき、男性の声色になった。いや、男性というか、中学生くらいの男児と言った方が良いだろう。やけに幼い、少年っぽい声。


「――じゃ、じゃあ。柏木さんが蕎麦だって言うんなら、蕎麦がいつも碧獣で使ってる武器とか防具の一式くらいは言えるだろ」


 認めたくない。


「うん、言えるよ。えっと、ヘルメットは熊の御頭ベアーヘルムで、胸当てから籠手、足甲にかけては最大強化済の獣装鎧ビーストアーマー、靴は鰐鱗なめし革クロコ・レザー製で、敏捷性びんしょうせい強化のアーティファクトを装着してたはず。武器は大剣の蛇頭龍尾じゃとうりゅうび最大強化済。アーティファクトは類人猿特効と水生生物特効。多分、これで全部のはずだよ」


「……………」


 認めたく、ない。


「……蕎麦のお気に入りのエモートは」

友情の証フィストバンプ!」


 だが……。


「昨日俺と周回したダンジョンは」

「蒼穹のクレバスとソロモンの指輪!」


「……」


 認めざるを、得ない……。


「……分かった。柏木さんが蕎麦だっていうのは、認める」


 どうやら、柏木さんは本当に蕎麦らしい。

 蕎麦がお気に入りに登録しているエモートは「友情の証フィストバンプ」だし、昨日俺と周回したダンジョンも「蒼穹のクレバス」と「ソロモンの指輪」で間違いない。さきほど長々と列挙していた装備の数々も、実際にゲーム内で蕎麦が使用している装備品と全て合致している。


 これだけ挙がっていて、認めないほうが難しいというものである。


「ほんと!?」


 柏木さんは子供のような満面の笑みを見せる。その無邪気なしぐさに、少しどきりとしたのは内緒だ。


「……で、なんで柏木さんはネカマ……ああ、いや。ネナベをしてたんだ?」


 一番の疑問点だ。なぜ、柏木さん蕎麦はネナベをしていたのか。この五年間。なぜ親友の俺に、性別を偽っていたのか。


「それは……私が女だってことを、隠したかったから……」

「どうしてだ」


 思わず、口調が強くなる。


「だ、だって。女としてゲームをしてたら、変な人にたくさん絡まれるし、嫌なこともたくさん言われるからだよ」


 柏木さんは肩から垂れた銀色の髪の毛を右手で弄りながら、伏目になる。


「……そうなのか?」

「そうだよ。出会い厨みたいな人も居たし、どうせネカマだろって、中身はおっさんだろって言われるし。それが嫌で、ネナベをすることにしたんだ。私にとっては、安全にネトゲで遊ぶための手段……あ、でも、カスミを騙してたことは、謝るよ」


 俺は内心、てっきり蕎麦が俺をからかっていたのだとばかり思っていた。だけど蕎麦には蕎麦なりの事情があって、仕方なくネナベをしていただけだったのだ。


 確かに蕎麦は俺を騙したが、別に俺に危害を加えてきたわけでは無い。ただ単に、純粋にゲームを楽しむために必要だった、それだけのことだったのだ。

 ……それに、蕎麦とゲームをしたあの日々は、俺の中では宝と言って差し支えない。本当に充実した五年間だった。


 これだけで、俺が蕎麦を咎める理由は無くなってしまった。


「……そうか。柏木さんにもそういう事情があったんだな」

「……うん。えっと、ごめん」

「謝らなくていい。別に腹を立ててた訳じゃないからな」

「そ、そっか」


 柏木さんが俺の親友の「蕎麦」だった。

 つまり、柏木さんが今まで探していた「ネッ友」は、俺――。


『すみません、人違いのようでした』

『……いえ。何でも、ないです』

『探している人が、居るんです。ずっと』

『相合傘、すればいいじゃないですか』


 今までの柏木さん――蕎麦の行動を、頭の中でぐるぐると回想する。

 俺の親友が、隣のクラスの「棘姫」。全く実感が湧いてこない……。


「……ねぇ、カスミ」

「ん?」

「その、カスミさえ、良かったらなんだけどね」


 急にしおらしくなったかと思えば、柏木さんはそう前置きをする。


「学校でも、カスミに話しかけて、いい?」


 尻すぼみになりながら、そう言った。


「話しかけるって、柏木さんが、俺に?」

「うん」

「どうしたんだ、急に。独りは好きなんじゃなかったのか?」

「あれは、建前というか。その……」


 柏木さんはそれだけ言うと、口ごもる。


 思えば、柏木さんは、学校ではいつも独りだった。言い換えれば、蕎麦は独りぼっちでいた。俺の親友が、だ。柏木さんの周りにはこれまで沢山の人が群がったが、結果的に柏木さんの、蕎麦の話し相手は俺だけだった。


「ま、俺なんかで良いなら相手になるぞ。辺以外に特に話し相手なんか居ないしな」

「……ほんとに?」

「ああ」


 柏木さんは、叱られたあとの子供のような表情で、俺の方を見る。


「えっと、その、迷惑だったら断ってくれても――」

「迷惑じゃない。俺だって、大事な親友を独りにするわけにはいかないからな」


「……っ!」


 柏木さんは「棘姫」なんて二つ名を微塵も感じさせない、屈託のない笑顔になる。


「でも。学校で話す時は、周りのことを気にした方が良いかもな。ほら、お前って有名人だから、学校でもこんなノリで話してたら、あらぬ噂が立ちかねないだろ?」

「う、うん。分かった、気を付けるよ」

「ああ、そうしてくれ」


 それから、意味も無く少しの間が空く。


「――えっと、じゃ、じゃあ! 月曜日からも、よろしくね! カスミ!」

「あ、ああ。よろしくな」

「うん!」


 柏木さんは満面の笑みで頷く。


「あ、そうだ。蕎麦――じゃなくて、何て呼ぼうか……」

あおい!」

「それは駄目だ」

「ええー、何でさ」


 柏木さんは少しむくれた顔になる。


「色々と、なぁ……年頃の男女がお互いを下の名前で呼び合うのはもうそれしかないだろ。ま、取り敢えず「柏木さん」って呼ぶな」

「……うん、分かった。僕はこれからもカスミって呼ぶからね」


 まあ、俺が柏木さんを下の名前で呼ぶよりはハードルは下がる。


「ああ、それでいいぞ――って、「」?」


 一人称に疑問を抱いた俺の言葉に、柏木さんははっとした表情で、口を手で覆う。


「あ……出ちゃってた?」

「あ、ああ」

「なんかさ、やっぱりカスミと話してるときは「私」じゃなくて「僕」の方が気が楽だなって」


 柏木さんは苦笑いする。


「そうなのか?」

「うん。リアルで素を出すことって、全然ないから、なんか新鮮だな。お母さんの前でも「私」だしさ。逆に「僕」の方が素になっちゃった」


 確かに柏木さんは、いつもの「棘姫」オーラを解除しっ放しだ。


「そうか。ま、俺の前では、余計な気なんか張らなくて良いからな」

「う、うん!」

「あ、そうだ。柏木さん、何でちょっと遅れたんだ? 何かトラブったのか?」

「あ――――実を言うとね、ここに来る前、かなり緊張してさ。財布忘れたり、スマホ忘れそうになったり、道に迷ったりしたんだ」

「そ、そうなのか……」


 俺は割と意気揚々とここに出向いてきたが……いや、確かに、柏木さんは重大な秘密を抱えてここにやって来た訳だから、緊張しても不思議は無いだろう。


「まあ、でも。今は全然平気だよ。……あ、カスミ、なんか曲でも歌おうよ」

「曲? あ……忘れてた。ここカラオケボックスだったな」

「あはは、話し込んじゃってたね。大事な話も終わったことだし、歌おっか!」

「そうだな」


 柏木さんはタブレット端末から選曲すると、満面の笑みでマイクを手に取る。

 蕎麦が音痴だということを思い出したのは、それからすぐのことだった。


 ◇◇◇ ◇◇◇


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