第11話 最初で最後の会話
色の三原色の一つ、
その中に埋め込まれた、ザクロのように鮮やかな赤黒い瞳孔。
その瞳に見つめられた俺は、思わず立ち止まり、目を逸らせなくなる。
「えっと、どうしたんだ……?」
「……いえ。何でも、ないです」
柏木さんは前方に向き直り、そのまますたすたと歩いて行ってしまった。
何か言いたげにしていたようにも見えたが……。
「何だったんだ……」
その時、俺の内耳に以前に耳にした言葉が響いた。
『柏木さんって、ちょっと怖いよね』
『近寄りがたいって言うか……』
『顔は良いんだけど、目付き悪いからなあ……』
確かに彼女の目付きは鋭くて、冷たい。「棘姫」というあだ名にも、納得がいく。
だけど俺は彼女の瞳に、何か哀愁というか、寂しさのようなものを感じたのだ。
前を歩く柏木さんの後ろ姿を、立ち尽くしながらぼうっと見つめる。
本当は柏木さんも、友達が欲しかったりするんじゃないだろうか。俺にとっての蕎麦みたく、気兼ねなく話が出来る友達が。……いや、これはきっと、ただの妄想に過ぎない。そうであって欲しいという、俺の勝手な願望に過ぎないのだろう。
「……」
もう考えるのはよそう。彼女がどんな人生を送ろうが、俺には関係ないことだ。こうやって同情したりしている時間だって、別に何か彼女に得がある訳でもない。
「ふわぁ……」
俺は一つあくびをし、学校に向かった。
◆
三時間目が終わった。
次の授業までの休み時間に、俺はスマホでLANEとHiscodeを確認する。と言っても、基本的にLANEは誰からも来ることは無いが……。Hiscodeの方は、どうやら二件メッセージが来ているらしい。
〈Sob_A221 :昨日はごめん。〉
〈Sob_A221 :リアルで悲しいことがあって、カスミに八つ当たりした。〉
蕎麦がへそを曲げるなんて、相当のことがあったに違いない。
それがどんなことだったのか、俺に推し量ることは出来ないが、せめて相談に乗るくらいのことはしたい。何たって俺の五年来の付き合いの相棒なのだから。
〈kasumi1012 :別に気にしてない〉
〈Sob_A221 :ほんとに?〉
〈kasumi1012 :ああ〉
〈kasumi1012 :それより、何があったんだ?〉
〈kasumi1012 :俺で良ければ相談に乗るぞ〉
〈Sob_A221 :ありがとう。〉
〈Sob_A221 :そこまで深刻じゃないから、気にしないで。〉
スタンプが一つだけ送られてくる。虫眼鏡を覗いている、熊のスタンプだ。
「虫眼鏡……?」
俺が首を傾げていると、いきなり辺が画面を覗き込んできた。
「お、冬城。それは誰だ? とうとう彼女でも出来たのか?」
「人のやり取りを覗き見なんて、趣味が悪いぞ、辺」
「悪いな。チラッと見えたんで興味が湧いたもんでな。それより冬城、次の体育は三組と合同らしいぜ?」
「へえ。確かバスケットボールだったか」
「おうよ。俺は高校からテニス部だが、小学生の頃はバスケもやってたんだ。無双してやるぜ。腕が訛ってなければの話だがな」
「そうか。頑張れよ」
「一応確認だが……冬城。お前も試合に出るんだよな?」
「――
辺がそう言ったタイミングで、俺は頭にズキンとした痛みを感じた。
「悪い、辺……。俺、参加出来そうにないかもしれない。鼻詰まりのせいか頭痛がするんだ。登校中は問題なかったのに……いたたっ」
先ほどの授業中から感じていたが、今日は頭痛がひどいのだ。あいにくと頭痛薬とかは持ってきていない。これだから、肝心な時にポーションを切らすのだ。
「そ、そうか。無理はするなよ、冬城。何かあったら保健室まで担いでやるからな。
「ああ。頼む」
「珍しく冬城がツッコんで来ない……こりゃ相当だな」
俺と辺は体操着に着替え、体育館へ向かう。雨脚は依然として強く、渡り廊下はじけじけと湿っていて、より一層不快感が増す。
ああ、さっさと帰って、除湿された快適な室内で蕎麦とゲームがしたい。
◆
ピーッ
ホイッスルの音と共に、バスケットボールの試合が始まった。尤も、試合と言っても授業の範囲内ではあるが。
「――よっと」
ジャンプボールを華麗に制した辺は、味方からボールを受け取ると、そのままドリブルで相手のゴールまで近づいていく。そして、流れるようにシュートを決めた。コート外に居る生徒から、歓声と拍手が上がる。
『うおお、すげえ』
『なんだあいつ、強すぎる……』
『あれでバスケ部じゃないって、マジで言ってんのか』
「ナイスだ、蓮!」と、チームの仲間とハイタッチをして、辺は満足気に笑う。その後も白熱する試合を、座り込んで頬杖を突きながら、観戦、もとい傍観していた。別に、どちらを応援するでもなく、だ。縦横無尽にコートを横断するボールを目で追いかけるのも億劫になり、途中から目を閉じていたほどである。
居眠りに近い状態で座っていると、そこに。
「……隣、よろしいですか」
右隣から女性の声がした。
驚き、声の方を振り向くと、そこには――柏木さんが居た。
「別に構わないけど……」
他にもコート外は空いているのに、なぜわざわざ俺の隣に座るんだろう、という疑問は、取り敢えず喉奥に引っ込めた。勘違いの種になると思ったからだ。
体育の授業中だからか、柏木さんは髪型をポニーテールにしている。その様は、いつものクールな印象と違い、どこかあどけなさを感じさせるものだった。
「……っ」
……不覚にも、可愛いと思ってしまった自分が居る。
「そうですか。ありがとうございます」
柏木さんはそれだけ言うと、俺の横にしゃがみ込んだ。白い膝に、ほんのり赤みを帯びた膝小僧が、ちらりと見える。
「……」
「……」
気まずい時間が流れる。今朝のこともあったから、なおのことだ。
いや、ちょっと待てよ。わざわざ俺の横に座ったのは何か理由があるのか? まさか、今朝のことで何か言われるんじゃないだろうか。「通学路であんなに大騒ぎして、近所迷惑にも程がありますよ」とか冷たい声で言われるんじゃ……。
恐る恐る、柏木さんの方をチラリと見る。
すると。
――目が合った。
どきりとする。本日二度目である。
「わ、悪い」
「……」
目を逸らし、咄嗟に謝罪するも、柏木さんの返事は無い。
そのまま三分ほど、沈黙が続く。気まずい。非常に気まずい。キュッキュと靴が体育館の床と擦れる音、そしてドリブルの音で、この気まずさを打ち消そうと尽力するも、効果は振るわずだ。
暫くの沈黙ののち。柏木さんはいきなりすとんと座り込み、口を開いた。
「……探してるものがなかなか見つからないときって、どう思いますか?」
突然、謎の質問をかましてくる、柏木さん。
それが俺に向けられたものだということを理解するのに、およそ五秒を要し。
俺は一瞬思考が停止するも、光の速度で回路を復旧させ、応答する。
「そうだな。もやもやするっていうか……うーん、どう言ったらいいんだ」
「へ――――あっ。え、ええっと、そ、そうじゃなくて」
「へ?」
「探し物をしてて、あ、いや。探し物って言うか……」
柏木さんは言い間違えたのか、露骨に動揺する。その「棘姫」らしからぬ有様に、俺は違和感を覚えた。
「……探している人が、居るんです。ずっと」
「探してる人?」
「……はい」
柏木さんは目を伏せながら、ぽつぽつと話し始めた。
「この学校の人だっていうのは、分かっているんですけど。探しても探しても、見つからなくて」
「……じゃあ、前から色んな人に話しかけてたのは、その人探しのためか?」
トイレから出てくる生徒に。はたまた、食堂で食事をしている生徒に。一日に一回ほどのペースではあったが、ここ数週間、柏木さんの挙動は明らかにおかしかった。
それと図書室を頻繁に訪れていたことが関係しているのかは定かではないが、ほぼ同時期だったように記憶している。
「……はい」
なるほど。人探し。今までの謎全てに、どうやら伏線が仕込まれていたらしい。
「そうか、人探しか……。俺で良ければ手伝うぞ。どんな人なんだ?」
柏木さんは体操座りに姿勢を変える。
「……その人は。私の親友なんです。ずっと前に、ネットで知り合って。ついこの前、その人がこの学校の生徒だったって分かったんです。それから、ずっと探してて。……ハンドルネームと声以外、何も知りません」
判断材料がそれしかない上での人探しというのは、かなり困難だろう。片っ端からハンドルネームに覚えが無いか聞きまわってみるとか。……いや。
何とかっていうハンドルネームの人を、「棘姫」が探している、なんて噂が広まった日には、その捜し人に平穏が訪れることはまず無くなるだろう。
声で判断する。質問はしない。この人は違うと思ったら、一言断って去っていく。
見つからないのも無理はない。柏木さんの立場上、それ以上の行動が出来ないのも、仕方のないことだ。
「それは大変だな……性別は分かってるのか?」
「男、です」
ネットで知り合った相手、それも男……。親友とはいえ、素性も知らない相手に、か弱い(というのは俺の勝手な印象に過ぎないが)女子高生がリアルで会おうというのだ。俺と蕎麦がオフ会をするのとでは全く話が違う。
「それって、凄い危険なんじゃないか?」
「危険って、何がですか?」
「いや。ネットで知り合った相手で、しかも男って。色々まずいだろ、その……。もし相手がヤバい奴で、犯罪に巻き込まれでもしたら……」
刹那――柏木さんの目つきが変わった。
「彼は私が一番信頼している人です。彼を侮辱することは許しません」
柏木さんは語気を強めて、きっぱりとそう言う。
「ああ、いやっ。そういうつもりじゃなかったんだ。悪い」
「あ、す、すみません。私の方こそ、ムキになってしまって……そう、ですよね」
どうやら柏木さんは、その人に絶対の信頼を寄せているらしい。うーむ。事情も知らない部外者の俺がとやかく言える立場にないことは承知しているが……。
柏木さんのことが心配になってしまう。ネットで知り合った男女がリアルで出会うなんて、本当に平気なのだろうか。
と、その時。ピーッという笛の音と共に、号令が掛かった。
「はい、そこまでー。全員、集合しなさい」
俺はどうアドバイスすればいいのかも分からず、頭を掻いた。
「悪い。あんまり力にはなれなさそうだ」
「いえ。あなたに話したからなのか、少しだけ、焦燥感が和らぎました。ありがとうございます」
あの「棘姫」に、感謝されている……。
「そうか。なら良かった。人探し、頑張ってな」
「はい」
「じゃ。俺はこれで」
そう言って、集合していく集団の中に入っていく。
柏木さんもすくっと立ち上がり、三組の集団に戻って行った。二度と話す機会のないであろう相手だった……というか、柏木さんって割とお喋りなんだな。
「よっ、冬城。体調はどうだ?」
辺に肩をトンと叩かれる。
「辺。ああ、だいぶ良くなった」
「そうか。……あ、お前、さっき柏木さんと一緒に居ただろ? 見てたぜ、俺」
「ああ、ちょっとな」
「へえ……」
辺がニヒルな笑みを浮かべる。
「な、なんだよ」
「あんだけ興味が無いとか言ってた割に、自分から質問とかしてたじゃねえかって思ってな」
「そ、それは……話題的に、それが必要だっただけだ」
「そうかそうか。ま、それなら別に何も言うことは無いがな――」
号令を終えた俺は、辺と共に教室に戻って行った。
◇◇◇ ◇◇◇
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