第09話 ノースリーブのゴリマッチョ


 次の日。


 梅雨に差し掛かったこともあり、今日は早朝から雨が降っていて、気分が重い。

 気圧の影響だろうか。傘を差し、学校まで徒歩で向かう。


 しばらく歩いていると、後ろから何やら男の叫び声が聞こえてきた。


「おーい!!」


 何事かと思い振り向くと。

 白いノースリーブシャツの大柄な男が、歩道を全力疾走しているのが目に入った。


「いっ!?」


 まずい。不審者に出くわしてしまった。丸太のような太い腕に、はち切れんばかりの大胸筋。筋肉の塊が、凄い速度で俺に近づいて来る。


 に、逃げないと! このままでは、あの男に轢き殺されてしまう……!


「おーい!」


 傘を畳み、全力でダッシュする。


「おーい! 待って! 逃げないで!!」


 不審者はそんなことを叫びながら、依然として全力疾走を続ける。 

 この雨の日に傘も差さずに、叫びながら歩道を全力疾走するノースリーブのゴリマッチョにそんなことを言われても、当然聞く耳を持てるはずもなく。


 走りながらポケットからスマホを取り出し、震える手つきで数字キーを操作する。


「ええと、百十番、百十番……!」

「待てって! おい! カスミ!」


 ん? カスミ……?

 下の名で呼ばれたことで、俺はピタリと止まる。


 声の主は、ぜえぜえと息を切らしながら俺のそばまで近づいて来た。


「まっ……なんで逃げるんだよ、ぜぇ……ぜぇ……」

「その声……お前、まさか羽成はなりか?」

「おうよ……久々だな、カスミ。ぜぇ、ぜぇ……」


 この雨の中を、傘も差さずに。それも、ノースリーブで全力ダッシュしていたこいつは「羽成哲太はなりてった」。


 小学校時代からの友達で、リアルでは俺の数少ないゲーム友達だった男だ。小学生の時はよくお互いの家を行き来して、ゲームに明け暮れたものだ。


『あけましておめでとう』

『あけおめ! 今年もよろしくな!』


 今でも、LANEレインで新年の挨拶をし合うくらいには腐れ縁である。


「悪い。全然面影なくて、不審者と勘違いした」

「なんだそら、ひっでぇ」

「そういや羽成、傘は?」

「家に忘れた……」


 ああ、なるほど。全力ダッシュは雨に濡れないため。いや、俺の傘に入るためか。


「そ、そうか。というか、なんでお前、そんな裸の大将みたいな恰好してるんだ?」

「制服が濡れたらやべえと思って。シャツもブレザーも脱いだ」

「よく通報されなかったな……」


 俺も今まさに、そうしかけていたところだ。

 全く。未遂で済んで良かった……。


「まあ、取り敢えず入れよ」

「わりいな、助かる」


 羽成は俺の差した傘の露先つゆさきに、コツンと額を打ち付けながら入る。

 同時に、傘を持つ方の俺の腕が、十センチほど上がった。


「それにしてもお前、何かデカくなったな」

「人間的な意味でか?」

「いや、普通に図体がだよ」

「ああ……。確かに、中学卒業してから、三十センチくらい伸びたな」

「さんじゅっ……」


 俺が知る限りでは、この羽成は中学時代学年で一番低身長だった男子だ。

 高校に上がってから、まさかこんなに成長するとは……。恐るべし、成長期。

 シャツから、はち切れんばかりに筋肉が盛り上がっている。まるで別人だ。


「背だけじゃなくて筋肉も増えた気がするけど……何か運動とかしてるのか?」

「高校に入ってラグビー始めてよ。トレーニングの成果って奴だ」


 羽成は丸太のような腕の筋肉を、ピクピクと動かしてみせる。

 その後、大胸筋を左右交互に動かしてみせた。


「二ヵ月でそうはならんだろ……。あと、そろそろ服着ろ」

「おう、わりい」


 カバンをごそごそと漁り服を取り出した羽成は、いそいそとそれを纏い始めた。


「そういやカスミ。お前、今もOverDotchオーバードッチやってんのか?」

「あー、それなんだけどな。俺、別のゲームにハマっちゃって」

「なんだよ、浮気か? そんな素振り全然なかったのに。私とは遊びだったの?」

「誤解を招く言い方はやめろ」


 中学時代もたまに羽成とオンラインFPSゲーム「OverDotchオーバードッチ」をやっていたのだ。

 あんまり羽成に構うと蕎麦がくので、遊ぶのは週に一度程度だったけど。


 羽成は、俺とは違う高校の制服に身を包む。シンプルな青緑色のブレザーに、虹が描かれたエンブレム。私立虹川にじかわ高校、紀里高校に最も近い高校の制服だ。


「んで、何のゲームにハマったんだ?」

「ああ。碧羅の獣ってゲームなんだけ――」

「――お、お前もやってんのか!?」


 俺が言い終わる前に、羽成が反応した。余りの声量に、俺は体がビクンとなる。


「っ!? 急に大声出すなよ……。お前もって、羽成もやってるのか?」

「おう! 俺もやってんだよ、碧獣!」


 羽成も碧獣に手を付けてるのか。羽成は万年FPSゲーム派だと思っていたが、結構オープンワールド系のゲームもするんだな。

 ま、こいつの熱しやすく冷めやすい性格からして、始めて三週間ってところか。


「そうなのか。ちなみに、いつからやってるんだ?」

「二年前から!!」


 二年前から!! 二年前から! 二年前から。にねんまえから……。


 二年前。羽成が俺に「OverDotch」を勧めてきて、俺自身、FPSにそこまで興味はなかったけど、羽成が面白いからやろうと言ってきたから渋々それを始めて……。


 となると、こいつは……。


 俺とFPSゲームをやっていた傍らで、俺がドハマりするゲームを俺に隠れて……。


「……俺に隠れて……」

「おい、どうした? 何か魂抜けてんぞ? 戻ってこーい」

「――はっ」


 羽成に背中をパシンと叩かれて、我に返る。


「そういうカスミは、いつから碧獣やってんだ?」

「……年前から……」

「ん? なんだ? よく聞こえねえな」

「半年前から……」


 俺がそう言うと、羽成はニンマリとした顔になる。


「なんだ。後輩じゃねえか! 安心しろ! 古参勢の俺がへきじゅうのイロハを教えてやるよ! ハッハッハッハッハ!!」


 俺の背中をバシバシと叩く羽成。なんだこの敗北感は……。

 そんな感じで、羽成と久々に会話しつつ通学路を歩き、横断歩道に差し掛かった。


 ◇◇◇ ◇◇◇


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