第4話 紀高の高嶺の花
紀里高校への通学路を、気品漂う美少女が歩いている。紺色の制服の腰、スカートの辺りまで伸びた銀髪を靡かせて、凛とした雰囲気を纏いながら。
彼女の名前は柏木葵。紀里高校の一年生であり、入学から一ヵ月半で早くも高嶺の花となった美少女である。
しかしながら彼女自身は、それについてこれといった興味を持っていない。その地位を誇ることも無いし、自分の影響力に驕ることも無い。むしろ、真逆だ。
教室の一番後ろの窓際の席。そこが彼女の居場所である。学校に着くと一直線に自分の席に向かい、荷物を机に掛け、そのまま――机に突っ伏。
それからホームルームが開始するまで、ぐっすりと眠っているのだ。
陽の光が窓辺から差し込むと、彼女のしなやかな銀髪がその全てを反射して、キラキラと光り輝く。
机に横たえた腕の奥にちらりと見える、端整な顔立ち。ぱっちりと長い銀色のまつ毛。その様子の全てが優美で、一つ席を飛ばした右隣の席の女子でさえ、思わずその絵画のような儚さに見惚れてしまうほどである。
居眠りをしている間の教室内の騒音は、特に気にしていないらしい。その中で自分の名前が挙がったとしても、我関せずといった様子で、そのまま眠り続けている。
さながら、グリム童話の「いばら姫」のように。
それが――彼女を「
誰が呼び始めたのかは知らないが、彼女は本名よりも「棘姫」という二つ名で呼ばれることの方が多い。その二つ名は彼女の雰囲気を容易に
そして「棘姫」と呼ばれるもう一つの理由。
それは、触れるとケガをする薔薇の「
◆
通学路にある信号機。それが青色に変わるのを、彼女は待っていた。
表情にこそ出ないものの、「横断歩道、さっき走ってでも渡ってれば良かったな……」と、内心少し後悔しているのである。
そこに。
「ちょっと」
不意に、背後から声を掛けられた。
別段、それ自体は珍しいことではない。彼女はよく、色んな人から声を掛けられる。大体は異性で、ごくたまに同性だ。それは単に彼女に興味があるからだったり、連絡先を得ようとするものだったりと様々である。
振り向くと、ベージュの髪色の大学生と思しき男が彼女の後ろに立っていた。
「君、
どうやら、今回は後者だったようだ。彼女と真正面から対面し、その美貌に一時見惚れ――その目線は、胸、腰、そして脚へと移動する。
「……どちら様でしょうか」
落ち着きのある、それでいて淡々とした声でそう返答する。
「え、すごっ。日本語上手いねぇ!」
やれやれといった様子で、一呼吸置く。
「どちら様でしょうか」
「あー、俺? すぐそこの大学に通ってる、
「そうですか。私は紀里高校一年の柏木葵と申します」
「ふーん、葵ちゃんか。可愛い名前してんね。ねぇ、これから学校なの?」
信号機が青に変わる。
「……他に用が無ければ、これで失礼します」
彼女は前方に向き直り、ゆっくりと歩き始める。
表情には出ないが、「さっさと撒いてしまおう。夜更かしのせいで眠たいから、早く学校に行って一眠りしないとな」と考えているのだ。
「え、あ、ちょっと! LANE交換くらいしてこーよ!」
男が彼女の肩を掴む――その瞬間。
「ひっ」
彼女は肩を掴まれた手をぱしっと払いのけ、男を睨みつけたのだ。
いや、睨み付けたといっては語弊がある。彼女は寝不足のせいで、いつにも増して目付きが悪くなっているのだ。少し圧をかけるつもりでいたことは彼女自身認めざるを得ないが、この男にとっては大ダメージだったようである。
「……急いでいるので。失礼します」
再び前方に向き直り、横断歩道を渡る。その後ろで、男は震え上がっていた。
これが、彼女が「棘姫」と呼ばれるもう一つの所以。
触れると怪我をする薔薇の棘。尤も、それは物理的なものではなく、精神的なものだが。鋭い眼光、そして冷たい態度。彼女に睨み付けられた(当の本人にそんなつもりは無いが)者は、まるで体を薔薇の茨が這い回るような感覚に襲われるという。
三叉路に差し掛かり、彼女はぴたりと止まる。
「猫」
その前方には、彼女の言う通り一匹の猫が居た。
「……可愛い」
先ほどとは全く異なる口調で、思わずそう呟く。ついしゃがみ込み、茶トラの猫の背を撫でる。猫は気持ちよさそうに目を細め、彼女に身を委ねた。
その首元には、可愛らしい鈴。どうやら野良猫ではないようだ。
「お散歩中なのかな」
今日は晴れているし、絶好のお散歩日和だなぁなんて思いながら、夢中で猫の背を撫でる。写真を撮るためにスマホを取り出し、画面を起動するも――時刻がそれを許さないことに気付く。
「あ……」
彼女は猫の背に埋もれていた白い手を離し、すくっと立ち上がる。
「ごめんね。もう行かなきゃ」
「ミャゥ」
猫は名残惜しそうに彼女の方を見上げたが、すれ違うように反対側の道を歩いて行った。
その様子をじっと見つめていたが、やがて、彼女もその銀髪を靡かせて、ゆっくりと歩き始めた。「棘姫」の一日が、始まるのである。
◇◇◇ ◇◇◇
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