03

「社会的なニュース……、ううーん……。あ、地震! 大きな地震があったよね。こないだ祈念きねん番組やってた!」

 閃いた彼女は、続けて滔々とうとうと思い出を語る。

「まだ小さかったけど覚えてるよ。あの時は怖かったなぁ。震源地からは遠かったけど結構揺れたし。もー、びゃんびゃん泣いちゃってさ、大パニックだよ。それからずっとお母さんに泣きついてめそめそしてたね。地震のあとに小学校に入学したんだけど、学校行くの不安だったなぁ」

 そして私の脳裏にも、また、いつかの記憶が蘇る。

 私はその時、野良仕事をする父母の元で遊んでいた。ゆらゆらと揺れる地面に、最初は自分がめまいを起こしているのかと勘違いして。用水路の水が音を立てて波立つのを見て初めて大地震だと気が付いた。幸いにも家は倒壊を免れたけれど、瀬戸物や花瓶は全て割れてしまった。そして続く余震に怯え、母に泣きすがる日々が続いた。

「私も、覚えているわ」

「ほんと!?」

 さくらさんの期待する目が私に向けられる。

「まだ小学校にも上がる前で」

「私も私も。なんだ、やっぱり同い年だったんだぁ」

 彼女の目がふにゃりと細められた。きっと私も同じ目をしている。

 例え憂うような記憶が付随していようとも、過去を思い出せたことは嬉しい。思い出すことで、この透きとおった身体から少しだけ不安を払拭できたような気分になれる。そしてこの心細い世界で、彼女と思い出を共有することは安心感に繋がった。

 しかし、ここで不思議な齟齬そごが生じる。

「夏の終わりだけれど、まだ少し暑くて――」

「春だけど、まだちょっと寒くて――」

 重ならなかった思い出に、「おや?」「あれ?」と二人で顔を見合わせる。

「ごめんなさい、私の思い違いだったかも……」

「いやいや、小さい頃のことだからねぇ。記憶もちょっと曖昧になってるのかもね」

 違和感を覚えたが、話題は次へ移ってしまった。多少の思い違いはあれど記憶が蘇ったことに手ごたえを感じたのだろう。私よりもやる気に満ちたさくらさんが、次の話を始めた。

「災害といえば台風も大変だったなぁ。四年前の台風さ、ちょうど東京湾を通ったからこの辺りは被害が大きかったんだよね。夜中だったから、真っ暗な中でごーごー鳴る風の音や何かが吹き飛ぶ音が怖くって怖くって。屋根瓦も全部飛んじゃってさぁ、雨漏りで家の中びっちゃびちゃだったよ」

 さくらさんはそう言って、心底うんざりした様子で両手をふらふらと振った。強い風と雨を表現しているのだろう。彼女の話を聞いて、また一つ、私の脳裏に記憶が蘇った。

「それも……覚えているような……」

「おお! 記憶蘇り作戦、大成功じゃん!」

 いつの間に作戦名を付けていたのだろう。再び思い出せたことに、彼女はまた自分のことのように喜んでいる。名前、年齢、そして次はいったい何を思い出せたのだろうと期待しているのかもしれない。しかし、私は思い出した事柄に違和感を感じていた。

 深夜に轟々ごうごうと音を立てる強風、細い木々は折れて吹き飛ばされ、大樹は根元から倒れた。台風が東京湾を通過した頃は丁度、満潮の時間帯。港もそこに停泊していた船も被害を受け、高潮は津波のように押し寄せ街を飲み込んだ。それから――。

「確か、裏山にある大木が倒れたらしいとか……」

「おおー、風すっごかったもんねぇ。あたしの近所でも神社の御神木が倒れちゃって大騒ぎだったよ。あと鉄塔が倒れたってニュースで見たなぁ」

「でも、なんだか……これは自分で体験したことではないような気がするわ。誰かから伝え聞いただけのような……」

 悩む私に、さくらさんは静かに寄り添ってくれる。思考を邪魔しないようにという配慮だろう。拳をぐっと握り込み、無言の応援を送っているようだ。

 私はいったい、何時いつ、誰にこの記憶を聞いたのだろう。そもそも何故、他の記憶と違い伝聞なのだろう。台風による災害があったときは、この辺りに住んでいなかったのだろうか。それとも他に何か大切なことを見落としてしまっているのだろうか。


 思考にふけりながら歩いていると、不意に、隣で歩みが止まる。

「待って待って。なんか……、黒いの増えてない……?」

 さくらさんの声にハッとして辺りを見回す。いつの間にか太陽は随分と傾き、不可思議な世界を橙色に照らしていた。そして時おり人の形になっていた黒いもやはより濃く、存在感を増している。

 黄昏時たそがれどき逢魔時おうまがときというのは、魔物に遭遇してしまう時間帯と言われているが、これらがそうなのだろうか。今にも怨念の声が聞こえてきそうなほど渦巻き、多くの人影が怪しく揺れ動く。

「これヤバいやつ? ヤバいやつ!?」

「あまり……良い気はしないわね」

 不気味な人影は何かを求めるように、ゆっくりと距離を詰めてくる。この黒い影たちがいったい何を求め、何をするのかはわからない。この世界に来てからというもの、わからないことだらけだ。しかし、捕まってはいけないという本能的な嫌悪感だけは、この半透明の身体でも理解ができた。

 影は黒い身体をおぞましく引きずり歩み寄る。そして、その手が私たちに伸ばされた。


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