榊原の異能力

榊原の異能力

 榊原さかきはらは、抉られた右腕を庇う着物姿の女、キモノを前にする。


「今逃げるなら、許してあげるけど?」


榊原の武器であるガラス玉、「B・スパーク」。

これをもう一つ取り出し、上に投げてはキャッチする動作を繰り返す。

キモノは敵意を向ける眼差しを向けつつ様子を伺っている。そこで、榊原はガラス玉を指で弄りながらこう質問した。


「――私の名前を知ってるって事は、私が四番隊の隊長って事も分かってての行動だよね? 何故私達を襲った?」


「――全ては大義の為だ。」


「その大義って?」


「教えるものか。私がする事は貴様の抹殺。それが私の使命だ。」


その言葉を聞き、榊原が眉をピクリと、何かに気が付いたかのように動かした。


「――ふぅん。……君に聞きたいことが山程出あるねぇ。分かった。君を私の権限で拘束する。」


依然として、余裕な態度を示す。なぜなら彼女は「怨獣殺し四番隊隊長」だからである。


その態度に触発され、キモノの瞳孔が大きく広がった。


「貴様を殺す……!」


キモノは再び、灰色の液体、則ち溶けたコンクリートを撒き散らしながら滑り出した。


「はいはい。さっき聞いたよー。」


変わらずの態度の榊原の方へ、スケートをしている様なステップで間合いを詰める。


「貴様がそんな武器を使うとは思わなかったが……

ならばこちらにも分がある。」


今度は無策では無い様で、服の袂に手を突っ込む。そして、林檎と同じくらいの大きさをした、白くて丸い、プラスチック製の玉を取り出した。

榊原は身構える。その白い玉は何か秘めていると悟ったからだ。


キモノの手でじわじわとそれの表面が溶けていく。

ドロドロになり、脆くなった玉。

耳を澄ますと、

スプレー缶から抜け出すガスの様な、空気が抜ける音が聞こえる。

そしてしばらくすると、黒い煙が、小型の加湿器が蒸気を噴出する様に発生した。


「……っ、これは、煙幕か!」


キモノは榊原の半径五メートル辺りに、煙幕を撒き散らしながら地面を滑る。


ここは、屋内駐車場。天井がある故に、瞬く間に黒煙が充満していく。

わざと榊原に近付かず、翻弄させる作戦の様だ。


煙は瞬く間に充満し、なる宇田うたからは、二人の姿はもちろん、ぽつぽつ留まっていた車の姿さえも見えなくなった。


「コイツ、榊原さんから自分の居場所を特定させずに叩き込むつもりか……! 」


「榊原さん……の、『B・スパーク』……は……相手の位置を……捉えないと……攻撃出来ません……から……。」


「宇田ちゃん、ヤバくなったら私達も行くよ。」


「はい……!」


鳴は背負っていたギターを下ろしてケースから取り出し、赤いフォルムを見せる。

宇田は双つの愛刀の入った筒の蓋を開けた。

「いつでも援護の準備はできてる」、と言わんばかりの体制を取りつつ、榊原を包み込む黒煙を見守っている。


煙に巻かれた榊原は、 腕で鼻と口を覆い、軽く咳き込んでいた。


「……卑怯な手を使うんだね……。」


(両手人差し指と中指の間にB・スパークを挟んで……出て来たらぶん殴る……!)


精神を研ぎ澄まし、どこからキモノが襲ってきるかを探知する。しかし、一向にこちらへ向かってくる気配がなく、液体の上を滑る音しか鳴らない。

等間隔に榊原の間を巡回している事が分かる。


この視界の悪い中、妙に動き回ってはいけない。

そう感じている榊原は、煙幕が撒かれた時からずっと同じ場所に居座っていた。警戒心が無ければ、攻撃される可能性は格段に上がるからだ。



――ふと、地面を溶かす音が止んだ。

あまりに急すぎたため、榊原は緊迫する。

この視界の悪い中、どこからどうやって攻撃を仕掛けてくるのか……しかも、相手の異能力が完全に発覚していない。それ故の緊迫感があった。


(何が狙いだ……?コイツ……)


またしばらくして、キモノが再び動き出した。

今度は音が近付いて来る。一直線にこちらへ向かってくるのが分かった。

榊原は拳を強く握り締め、B・スパークを輝かせる。

こういう時こそ冷静に、どこから攻撃が来ても対応できる様に、重心を半身に構えた。


次の瞬間、榊原の前方左側、煙幕が奥へ揺れた。キモノがこちらへ動いて来たのが分かる。榊原は右拳を引いた。

煙の中から出てきた瞬間に腹に叩き込むという寸法だ。感覚を研ぎ澄ませ、タイミングを見計らう。目は常に気流のズレを追う。そして……


榊原の背後をとる様に、キモノが顔を覗かせた。胴体はまだ煙の中に身を潜めている。

たったこの一瞬を、榊原は見逃さなかった。


「――そこかッ!」


榊原は鋭い目を向け勢いよく振り向き、その動きの反射で付いたスピードで、胴体をキモノの正面へ向ける。

間髪入れず、B・スパークを炭酸化させ、右足を踏み込み、キモノの顔を目掛け、全力で拳を突き立てた。

 

指に挟んだB・スパークには、極小の穴が空いている。炭酸によって圧迫された空気をそこから噴出する事で、拳のスピードを跳ね上げている。

その初速はプロ野球選手ピッチャーの投げるボールに匹敵する。

これを至近距離で避ける事ができる人間は、まずいない。


キモノも減速が出来ない程に加速している。

今からどんな攻撃を仕掛けても、引き返してももう遅い。

身体も完全に煙から出現した。榊原との距離まさに一メートル。

キモノの視界からは榊原の拳と、真ん中に光るB・スパークしか見えていない。


「――った――!」


「甘い。」


榊原の声と重ねる様にキモノが言うと、一瞬にして榊原の目線から姿が消えた。


「――っ!?」


そして、榊原の拳は何もない空間へと飛んで行く。

榊原はたのだ。


(コイツ……あの距離でするなんて……!なんて身体能力と動体視力……!)


これは、「姿を消した」のでは無い。キモノが足を180度に開脚し、榊原の目線の下へと潜り込んだのだ。

膝裏とふくらはぎでも、地面を溶かす。故に、全くスピードが落ちない。


「――この距離なら玉は使えないな……?自分にも被害が及ぶ……。」


下をくぐり抜けるキモノがニヤついた顔で言った。

屈辱にも、キモノの言ったことは本当。自分だけガラスの破片を避けることは出来ない。

だから、ここでキモノにダメージを与えると、自分も致命傷を食らう。

戦況は全く変わらない、という事である。



まるで、氷上のスケート選手。着物を召した女性のアイスショーが、屈辱にも、榊原の目には美しく映った。


 キモノが通り過ぎるたったその時、榊原は気付いた。キモノの左手に、掴んでいた物があった事を。

キモノは、ただ榊原の前を通り過ぎただけでは無かった。


(コイツ、ロ、ロープだ! 左手にロープを持っている! 何かを引っ張っているのか!)


榊原は、バッと前方に顔を向けると、煙の奥から大きな影が現れる。


「こっ……これは……」


「このままするがいい……!」


遂に、その距離まさに二メートル。物体が姿を現した。漆黒の、鉄の塊。


「く……車っ……!」


一般乗用車が、エンジンをふかしながら、ライトで榊原を眩しく照らす。


(何だコイツ!こんなものを片手で引っ張ってくるなんて……!

地面を溶かしただけでも、車には重さがある……! この力、本当に人間なの……!?)


キモノはロープを手から離すと、また煙中へ姿を眩ました。

車はキモノと同じ位に加速している。この距離感だと、逃げる為の時間は無い。

もし逃げようとすれば、衝突は免れない距離。

確実に吹き飛ばされ、受け身が取れずに強く地面に打ち付けられる。


「――B・スパークは、車を簡単に破壊できる威力を持っている……!今持ってるこれで、ぶち壊してやるっ! 」


榊原は指の間に挟んであったB・スパークを持ち替え、指弾の構えをした。

狙いを定める余裕は無い。即座に玉を、車へ向けて打ち込んだ。

玉は空中で白く発光し、ひび割れる。そして、その豪速球は、車へ衝突した。


その瞬間、車は激しい爆発音と共に砕け散る――


――はずだった。B・スパークは爆発せず、車は一つも傷ついていない。


「……と、溶けている……! 表面がっ!」


榊原は気が付いた。この車は、事前にキモノの異能力によって表面が溶かされていた事に。

表面が溶かされると、液体がB・スパークの衝撃を吸収して不発させることができる。


たった一度の攻撃で、キモノはB・スパークの特徴を学んでいた。


 もう、為す術なく、避けることは不可能。榊原は決死の思いで、顔の前で腕を交差し、守りの体制をとった。


車が榊原に接触する瞬間、車は急に液体となって拡散し、榊原へ襲いかかった。


「何っ!?」

 

表面だけでなく、エンジン、ハンドル、シート、窓など、ありとあらゆる車の部品が一瞬にして液体となった。

コールタールの様な漆黒でドロドロとした液体で、ガソリンの匂いが染み付いていた。

そしてこの液体は、車だった時のスピードを引き継いでいる。

その為、意表を突かれた榊原はそれを満遍なく、

あわや溺れてしまうのではないかと思わせるほどの液体を、体の隅まで浸らせた。

着ていたスーツはさらに黒く、中のシャツまで黒く染まった。

 

――スピードに乗っていたとはものの、液体だから車よりも威力は低い。榊原も普通に立っていられた。

だがそれが逆に理解できなかった。


「――っ!な、何をした……?」


「ふふふ……。貴様はもう既に死んだ。我が術中に嵌ったのだ。貴様は怨獣殺し四番隊隊長……車に衝突させただけでは死なん。だからわざわざ車を溶かしたのだ。」


キモノの不気味な笑い声が響く。そして、自分の作戦が上手くいき機嫌が良くなったのか、口数の少ないキモノが語り出した。


「私の異能力は『自分の体に触れた物質を物体を溶かす』能力。

この能力で溶かした物質は、任意のタイミング、もしくは異能力を解除した瞬間に、液体の形のまま固まる。

――個体だった時の質量を変えずに、な。」


「――っ、まさかっ……!」


榊原が気付いた頃にはもう遅い。既に車の液体をかけられている。

余裕ができたのか、キモノが榊原の前に、煙幕の中から姿を現した。


「――ふーん。結構余裕ですって事ね。」


「虚勢を張るのは止めろ。そんなに黒くなっては見苦しいぞ。」


冷たい視線を送った瞬間、榊原は勢いよく地面に伏した。

まるで、急激に空から重力をかけられたかのように、立ち上がることができなくなった。


「や……やっぱり。こうなると思ったよ。」


「車の液体が体に染み付いた――それ則ち車の重さを肩代わりすることと同義だ。約三・五トンの重みを背負う事になる。

潰れるのが先か、私に殺されるのが先か……

屋内駐車場ここは、私の武器庫。

そして、私の独壇場だ……。」


榊原から先刻の余裕さが完全に消えた。

まさかこんな卑怯な奇策を講じるとは……。




 液体が固まり、四肢や関節の動きまでもが封じられ、完全に身動きが取れなくなってしまった榊原。

そして目の前には自分を抹殺しようとする敵。

この状況を言葉にするのなら、まさに「絶対絶命」。



 一方の鳴と宇田は、煙に巻かれて見えなくなった二人を見守りつつ、キモノの声を聞いていた。


「車が榊原さんに染み付いた……? そしてその重さを肩代わりしているってことは、完全に身動きが取れないって事だよね?」


「はい……。今榊原……さん……は、一台の車を……背負って……いる……様な、状況……です……。」


宇田がそう返した。


すると鳴はギターを肩に掛けた。そして、暗く視界の悪い煙の中へ突っ込む様に走った。

一心不乱に、榊原の援護へ向かう為に走った。


「あっ……鳴さんっ……!」


宇田が鳴へ向かい手を伸ばすも、鳴は止まらない。

宇田は、心配そうな眼差しで鳴を見ていた。


「榊原さん!今助けます!」


「――っ! 来るな!!鳴ッ!!」


「……っ!?」


榊原からは想像できない様な必死な声が、鳴を引き止めた。鳴もそれに従い足を止める。


「この煙の物質はすずだ! 錫は電気を通す! もしここで電気を使ったら全員感電する!」


「えっ……!?」


「――ほう、分かっているではないか。

私の邪魔をするな。三流が。」


煙の中でキモノはさりげなく鳴を煽る。

電気を封じられた鳴は成す術が無い。

榊原を助けられない悔しさと実力を軽んじられた屈辱感に、鳴は止まって大きな舌打ちを鳴らした。


「……水樹みずきも鳴も、助けは大丈夫。コイツは私一人でやるからさ。」


重量に耐えながら放った言葉は、必死に辛さを押し殺している様で、決して安心できる声では無かった。


「っでも……」


鳴はたまらず言い返そうとする。が、声を重ねる様に榊原が言った。


「大丈夫。勝ち筋はもう見えたから。ね。」


その本気の声に、鳴の気持ちは収まった。この人は

「怨獣殺し四番隊隊長」。

起死回生の一手を秘めているはずだ。

そう信じて、鳴は小さく「はい。」と囁くと、ゆっくりと宇田の元へ引き下がった。



「――何だと……? 今この瞬間でも、私は貴様の首を撥ねる事が出来るのだぞ? 貴様は見栄を張るのが好きなのだな。……哀れな事だ。

――良いだろう。貴様が潰れるのを見たかったが、私の手で絶命させよう……!」


キモノはそう言うと、手で地面をとかしながら抉りとり、手でこねくり回す様にして造形を始めた。

そして出来たものは、鋭いナイフ。

鉄製ではないものの、首を掻き切る程の威力は持ち合わせている。

これをキモノは、躊躇いもなく榊原の首へと勢いよく突き立てた。


その時、榊原は握り拳を作っていた自分の左手をゆっくりと開いた。そこには、先程まで指に挟んでいたB・スパークの姿が。


「何っ!? 貴様、まだ持っていたのか!」


(ちっ…… 左手の拘束が甘いか……)


キモノはピタリとナイフを止めると、B・スパークに目をやった。

そして警戒心を深め、一メートル程の距離を取る。


「ここはアンタの武器庫? 独壇場? だっけ? 悪いけど、こっちのセリフじゃない?」


従来の榊原のテンションが戻り始めた。瞳には輝く光を灯し、既に勝ち誇った笑顔を浮かべていた。


「――左手以外、動きを封じているのにどうやって私を倒すと言う? まさかそのガラス玉一つで太刀打ちしようと思うまいな……?」


すると、榊原が左手で、再び手弾の構えを取った。

照準は、目の前で見下すキモノに向いている。


「ほう…… これで私を撃ち抜こうと言うのか。しかし残念だな。貴様の手は、持ち上げたはいいものの重さで震えているし、私が移動すれば照準は合わせられん。」


キモノは榊原の顔を嘲笑する様に見つめながら、固定された榊原の顔から姿を消し、後ろへ回り込んだ。


この時、榊原の笑顔はより一層増した。


「そう! 君がどいてくれて良かった! これでっ!」


榊原は、照準であったはずのキモノとは真反対の方向、もとい虚空へB・スパークを、余力を振り絞って打ち込んだ。


(な、何をした……? 何か来るのか……!?)


周りを警戒し、半身の構えをする。

キモノは、B・スパークを上手く反射させて自分へ打ち込むのだと予想し、周りを見渡し、耳を澄ませた。

しかし、何も聞こえないし、何も起こらない。そう思っていた。



 すると次の瞬間、激しい爆発音が、駐車場内に響き渡り、大きな突風をもたらした。

どうやら、キモノが準備していた「エンジンをつけておいた車」に、B・スパークがぶつかったのだろう。


煙幕で元から黒々としていた空間に、もくもくと新たな黒煙が舞う。これでより一層この場が黒くなった。



「……何をするかと思えば、不発か。最後の足掻きがこれとは、隊長も落ちぶれたものだ。

――不愉快極まれり。今すぐに首を切ってやろう。」


再び首元へナイフが輝く。こんな状況に陥っても、榊原は笑っていた。

最後の武器を無くし、醜態を晒してまでも、先程浮かべた余裕の笑みは止まなかった。


「ふっふっふ。 よーく周り……特に天井を見てごらん? 私達の頭上に丸くて小さい物があるでしょ? これは何でしょう?」


この問を出題したその時だった。

 

ジリリリリリリリリリリリ――


警報音と共に、そこから大量の水が降り注いだ。


「えっ!?何コレ!」


急に降り注ぐ水に、鳴と宇田は目を丸くする。


「これは…… 火災報知器……!!」


二人の頭上には、火災報知器があった。車を破壊した時の「熱」と「二酸化炭素」で、警報が鳴ったのだ。


スプリンクラーから降り注ぐ水は、瞬く間に錫の煙を洗い流し、煙幕の機能を失った。

視界が広がり、通常の景色へと帰還した。



ここでやっと、鳴達は榊原の姿を確認する事ができた。

依然身動きを封じられたままだが、状況が変わり、榊原の反撃が始まる事を二人は望んでいた。



「――君も異能力の説明をしてくれたから私もしてあげる。

私の異能力は、『液体を炭酸に変える』能力。

私の半径二メートル以内の物なら何でも変えられるんだよね。そして『炭酸に変える』というのは、

『液体の中の酸性濃度を高める』のと同義なんだ。

つまり何が言いたいのかと言うと――」


話しながら、榊原の四肢や全体に張り付いていた液状になった車が少しづつ溶け出した。

最終的には三・五トンの重りから脱却した。

そして自由になった体に勢いをつけて、ブレイクダンスの様に足を振り回しながら立ち上がり、キモノを自分の体の上から退けた。


そして、腰に両手を当て、自慢げな顔をキモノに向けながら、榊原は言った。


「このスプリンクラーの水は『酸性雨』となるんだよ。車の鉄を溶かす程強力な……ね。」


今、榊原の半径二メートル以内に入った全ての物質は、酸性雨に晒されている。

但し、自分はその影響を受けない。物質を炭酸に変える異能力を持ち、それを操るのは自分だからだ。


キモノも、榊原の酸性雨の射程距離に入っている。

手に持っていたナイフも、ドロドロに溶け、手から滑り落ちた。


「物を溶かす能力は、君だけの特権って訳じゃなかったね。

さあ、この状況で、どうやって私を殺す?」


キモノは、水の冷たさと、自分の作戦が覆された事で、歯ぎしりしながら体を震わせている。 ただ今もなお、敵意に満ち溢れた眼差しをこちらへ向けている。


そしてキモノは、舌打ちをしつつ下駄を鳴らして、もう一度地面を溶かして滑り出した。再び榊原と距離を取り作戦を練るつもりだ。

ただそれは言い訳に過ぎなかった。

傍から見ると、尻尾を巻いて逃げ出す狐の様な必死さを秘めた顔でいたのだ。


「逃げられると面倒だ……。 ここで終わらせる。」


キモノが榊原の真横を通り過ぎようとした瞬間、榊原の振りかぶった右拳が、キモノの腹部にブチ当たった。そして間髪入れず、拳を開き、掌を腹部にくっつけた。

その手に握っていた輝く物はB・スパーク。

このまま、中の水分を炭酸に変え、ガラス玉の内部が空気圧に耐えられなくなる。




そして、その時がやってきた。

激しい風と音を駐車場内に響かせ、キモノに上空を舞わせた。


三秒程滞空し、受け身を取らずに背中から着地した。

榊原は吹き飛んだキモノの様態を確認する為、少し歩き、顔を覗き込んだ。

彼女は白目を向き、完全に気絶している事が分かる。



大きな「伸び」を一つし、水の滴る前髪をいい感じに元のようにまとめると、


「――よし!」


と、フンと息を鳴らし、腰に両手を当てた。


――榊原は、勝ったのだ。

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怨恨獣と五重奏曲 お汁粉サイダー @dummy_palace

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