大作業室の探訪

――吹き抜けるカビ臭い風と死臭。真っ暗な建物の中。

郁美は思わず腕で鼻を覆い足を一歩引いた。普通の人間は入ろうともしない場所。

ほんの最近まで一般人であった彼女にとって、先程の威勢がなくなるのは必然である。

そんな郁美を横目に、宇田は怯む事無く堂々と郁美を追い抜いてずんずんと入っていく。


「ち……ちょっ、宇田ちゃんっ」


「? 行きましょう?」


「っ……」


宇田が郁美の前から暗闇に飲み込まれるように消えた。一人取り残された郁美。

肝の据わる宇田に驚きつつ、絶句した。




――暗闇に飛び込むと「死ぬ」。

そんな警告が、垂れ流れる冷や汗と早まる心拍数となって必死に伝えている。

しかし郁美は、その警告を無視した。恐れながらも暗闇へと向かう。摺り足で少しずつ、少しずつ。

日向と暗闇の境目に立った。


(行ける……行ける……私は……)


催眠術のように自分に言い聞かせ、目をはやぶさの如く尖らせると、一気に暗闇の中へと駆け出した。




 宇田はその頃、いくつもに区切られた部屋をしらみ潰しに探索していた。スマホのライトで辺りを照らしながら、怨獣の痕跡を辿る。


(廊下の飛び散った血痕くらいしか痕跡がないな……警鐘アラートがいくつか、それとどんなタイプの怨獣か……それだけでも分からないと……)


ふと気になり後ろを振り返り明かりを向けると、元作業員たちのロッカーが並んでいた。


「一応確認しておこうかな……」


ロッカーを開けるとその中だけ当時まだ営業していた頃のままだった。

作業着や飲みかけのペットボトル、服用していたと思われる薬までもがそのまま放置されていた。隣もその隣もまた同様。

宇田はなんとも言えない悲壮感に駆られた。最後のロッカーには、その人の息子と思われる生後5ヶ月位の赤ん坊の写真さえ、写真立てに入れられ一番目立つように飾られていた。宇田はそれを一瞬手に取ると、目が潤む

前に部屋を立ち去った。

少しして気持ちを切り替え、ふと思い出した。


「そういえば……郁美さんは――」


 その時だった。宇田が郁美のことを思い出した瞬間、大作業室の方から風が吹いたのを感じた。


(怨獣……やっぱりこの部屋だった……)


風は止まずずっと宇田の足元をくすぐるように吹き抜ける。

怨獣が起きたことは分かるが、何故起きたのかが宇田には検討がつかなかった。

しかしよく耳を澄ますと吹き荒れる風の騒音の中に「声」が聞こえた。

宇田が安心出来るような、聞き覚えのある声。


「もしかしてっ……!い……郁美さんっ!?」


既に怨獣と郁美は出会っていた。いついかなるして戦闘に入ったのかは分からない。

しかし、すぐに援護へ向かう事は変わらない。宇田は斜めに背負っていた細い筒の頭を開け、扉へと走り出す。

しかし、次第に風が強くなっていく。

隙間風とは思えない程の突風。埃をひどく撒き散らしているのか、扉に近づく程目が潤み咳が出る。


(ち、近づけないっ……)


奥にいるであろう郁美が無事で済んでいるといいが……

宇田はそれしか考えていなかった。



――数十分前――



乱れた息を整えながら、暗闇の中の廊下を、ひたひたと手をつく度に音が鳴る壁を伝いながら郁美が歩いていた。

足元に十分注意しているのか、小鳥のように一歩の歩幅が小さい。


「ってか、明かりつければいいじゃん……」


思いついた郁美は右手でポケットからスマホを取り出しライトを起動。

すかさず奥を照らすと数多の埃が輝く。そしてその突き当たりには一つの扉があった。

そこは、大作業室。郁美はその他にも廊下の側面に様々な部屋があるにも関わらず、ずっと直進。


(宇田ちゃん、もうかなり奥に行ってるだろうなー。――随分と入るのに時間かかっちゃったし……)


大作業室の前までやって来た。郁美はなんの警戒もせず埃被ったドアノブに手をかける。そして、それを捻ろうとした瞬間、


「……いや、宇田ちゃんはもっと奥にいるだろうなー。とりあえず右折しよう。」


急に心変わりをして、手が止まった。とっくに宇田とすれ違っているのにも気づかずに、角を曲がり、再び歩き出した。



――一向に宇田が見つからない。郁美はそろそろ焦りだした。草原を駆ける忙しないバッタのように、大作業室の奥のエリアを東奔西走していた。


「あー……宇田ちゃんと連絡先交換しとけば良かった……。

ってか何でちっちゃい工場なのにこんなに部屋が仕切られてる訳?部屋の奥にもう一つ部屋とか要らないから……」


 文句を垂れながしつつも、最後に残った扉を開けた。

一番最初に目に入ったのは、扉を開けてすぐ右側にあった金属製の棚に置いてある小さな箱だった。なんてことのないただの箱なのに、ただならない存在感を覚えた。

郁美は恐る恐る箱の中を覗いてみると、何本もの赤い管が詰められているのが見えた。


「――何、これ……。銅線?」


この管の正体が分からない。そのために、より一層奇妙で不気味に感じられた。

箱を元にあった場所へ返し、部屋の中を進もうと、スマホのライトを当てたその瞬間、スマホが郁美の手から滑り落ちた。


「――これ……全部、人間――?全員……死んでる……。」


一瞬だけ見えた死体は、一体だけでは無い。

郁美は落ちたスマホを手に取り、全体を見回すように照らした。

数はおおよそ三十人。ここの作業員と思われる人間が八割を占めていた。

何よりも不気味なのは、死体たちが明らかに人為的に平面に正方形に並べられていたこと、そして全員が首の右側をついばむようにえぐり取られていたことであった。このような整然とした配置と残虐な手口は、さらに恐怖を増幅させた。

 そして郁美は確信した。

「絶対この奥に怨獣がいる」と。

郁美が感じていたのは恐怖ばかりでは無い。なんの罪の無い人間を大量に虐殺した事に対する怒りが燃え上がっていた。

この部屋の奥に怨獣が必ず居る。

恐怖など既に忘れ去り、死人を避けて奥の扉へ向かう。

そして、乾いた返り血のようなものが付着した冷たいドアノブに手をかけ、押し開けた。

そこに広がるのは、ぼんやりと明るい広間だった。

電子機器に使う小部品を量産するための機械や、部品が乱雑になぎ倒され、天井が高く、床には元々そういう模様なのかと思わせる程の血痕の数。以前訪れた海沿いの倉庫ほどでは無いが、コンテナが一、二個。ナイフで切り傷がつけられたかのように塗装が禿げていた。


(良かった、明るい……怨獣は――どこだ?)


警戒しつつ、怨獣の場所を探る。前の猿型怨獣のように奇襲を仕掛けられたらたまったものではない。


「――それにしてもっ……げほっ、埃がっ……」


周りを探れば探るほど、どんどん咳き込みが激しくなる。災害現場のような、汚濁した空気が広がっているかのようだ。 このままでは埒が明かない。

 途端に、鳴の言葉が頭に思い起こされた。


(怨獣は自分の領域テリトリーを侵されるのは好きじゃない。だから自分から呼び出す……)


「――そっちが来ないんなら、私からっ!」


郁美は大作業室の中央に立つと、ソプラノ歌手のような超高音で歌い始める。

歌詞も無く、即興のハミングが響き渡る。


(早く出て来い!私の喉が逝く前に!)


訳二十秒の間、息継ぎをしない。もしこれが壇上だったのならば、スタンディングオベーションが巻き起こるだろう。

思いがけなく、機械のガラスが砕け散った。その原因は、声の振動による衝撃波だったのだろう。 それだけでなく、小部品が破裂したり、照明の電球が一つ砕け散った。

そしてその瞬間、天井からなにか黒い物体が勢いよく落下した。

そしてもがくように微かにうごめいている。


(来たっ!間違いない、怨獣だ!)


心の中で叫んだ。歌うのを止め、少しづつ怨獣の方へ向かう。しかし、心の中では疑問が渦巻いていた。


「――でも、どうやって狩る……?私にできるのかな……」



ピタリと立ち止まり、考えた。

するとその瞬間、怨獣が動き出した。

首を仰ぎ、両翼を広げ、一度羽ばたいてから足を伸ばして立ち上がった。

羽ばたくと塵芥ちりあくたが波のように舞い上がった。


「……っ、コイツ、鳥か!」


体長は十五メートルに及ぶ巨大な体躯を持ち、身体に沿って美しくなびく羽は漆黒に輝いていた。

しかしながら、郁美には重要な情報が不足していた。

具体的には、その鳥が何の種類であるかということである。


 「カラス……じゃ無さそう。カラスはもっとアホ面だもんなぁ……って、今はそんな事考えてる暇無いでしょ!」


身構える郁美を、怨獣はギロリと睨んだ。

するとぶわっと羽ばたき、雄叫びをあげた。恐らく自分に敵意が向けられたと察知したのだろう。

翼が一振り二振り羽ばたくだけで、目に埃が入り、視界が悪くなる。次第に、羽ばたく回数が増え、さらに埃が舞い上がる。

小さな台風のような状況が作業室の中に広がっていく。 足に力を入れなくては必ず吹き飛ばされる。


(くっ、コイツ、!攻撃の手段を!自分が有利になるように戦っている!)


両腕で顔を覆いながら怨獣の方を見つめる。上空にいる相手には自分に分がない。

まして、先程の歌を歌おうとするも、口の中に埃を伴う風が入り込み、喉が枯れ果ててしまうため躊躇する。

風が強まり、郁美は身動きが取れなくなった。郁美は吹き飛ばされ、弾かれた。

視界の悪い中、郁美の前に小さな竜巻が現れたのだ。

そのまま右腕から流血しながらコンテナに激突した。背中を勢いよく打ち付けられ、呼吸が一瞬止まった。

薄目を開けたが、目に飛び込んできたのは、確かな渦の姿だった。

今、彼女は自分がこれに衝突したことを理解した。

その竜巻もまた、郁美の方へ向かう。

決死の思いでコンテナの後ろへ身を隠した。


(切り傷みたいな塗装禿げはあの竜巻のせいか……。

ここならあまり風の影響を受けない……一旦身を潜めよう。)




少しすると、突然風が止んだ。郁美を見失い、攻撃をやめたのだろう。


(――よし、今のうちに隠れながらこの部屋を出よう。そして宇田ちゃんと合流する……!)


そう決意した郁美は、右腕を庇いながらゆっくり立ち上がり、コンテナから姿を現した。するとその瞬間、光のような速さで怨獣のくちばしが郁美のすぐ横を通り過ぎたと思うと、鈍器が衝突したような鈍い音が鳴った。


「……っ!」


その風圧で郁美の頬が切れ、血が流れた。振り向くと、

怨獣が翼を畳んで急降下し、コンテナを貫通して体が埋もれていた。

もしここから移動していなかったら、郁美の体は串刺しにされていただろう。

その恐怖で、頬の痛みなど感じることすら出来なかった。

怨獣は埋もれた体を上下に動かし、完全にコンテナを破壊し、また飛び上がった。


「くっ、まずい――」


郁美は再び身を隠すため怨獣に背を向け、体制を低くしながら遮蔽物を目指し走り出す。

すると怨獣は翼をめいっぱいに広げた。

また風を起こすつもりだ。

怨獣が翼を一振りし竜巻を起こす――

と思われた。しかし、竜巻は起こらない。

郁美は意表を突かれ、足を止める。

振り向くと、不規則に羽ばたかれる翼が目に映った。

その瞬間、無数の羽根がゲリラ豪雨の如く降り注ぎ、段々と郁美の方へ迫る。


(なっ……何これっ!羽根がコンクリの地面に突き刺さってる……!

当たったら体、穴開くって!!)


運動神経皆無の郁美が普通に走ったら一瞬で蜂の巣にされてしまう。


しかしここで郁美は、喉の保護のために自制していた、歌を歌った。

以前鳴と共に戦った際に、鳴が弾いていたコードと同じ旋律だ。

するとたちまち郁美の身体能力は上昇し、疾風の如きスピードを見せた。

荒廃した作業室の中を、足元が不安定な床板を蹴り飛ばしながら、壁を蹴って跳躍する。機械の上を飛び越え、時にはスライディングで障害物の下をくぐり回り込み、スピードを落とさずに駆け抜ける。

地形を巧みに利用しながら、最大限の速さで怨獣を翻弄する様は、まるでSFアクションの様だった。



 そして、その俊敏さで怨獣の背後をとった。


(とった!背後っ!)


怨獣は完全に郁美を見失い困惑し、攻撃を中止する。郁美は足に力を溜めると怨獣のところまで飛び上がった。


(もう逃げようとは考えない……今ここで……狩るっ!)


上空約十八メートルの跳躍。郁美は力いっぱいに右手に拳を握ると、顔の横側で構える。そのまま怨獣の顔面へ一直線に拳を振りかかる。

怨獣は振り返りやっと郁美の姿を再び捉えたが、防御の術は無い。

郁美は自身の作戦が成功に向かっていると確信していた。


しかし、その瞬間、作業室に響いていた歌声が突然途絶えた。

たちまち郁美は失速し、力が抜けた感覚が体に走った。

身体能力が元に戻った郁美を、怨獣は見逃さなかった。

怨獣は身を引き締め、郁美を凌駕するように空高く舞い上がり、翼を大きく広げた。

そして、一瞬のうちに突風を巻き起こし、その強烈な威力で周囲の全てを吹き飛ばすかのように、荒々しく鳴動した。

郁美は激しい衝撃で地面に叩きつけられ、何度も転がり、壁に激突した。


「――ぅ……ぁ……。声が……出……ないっ……。」


土煙と埃、自分の体から流れる血にまみれた姿で、何度も咳き込む。

歌った事で大量に塵や埃を吸い込んだことで喉が破壊されてしまった。

立ち上がる事もままならない郁美は、遮蔽物もない場所に転がり、四面楚歌の状況にあった。


 怨獣は郁美に標準を合わせると、先程のコンテナを突き破った技を繰り出す素振りを見せる。

そして、翼を畳み、鋭いくちばしを光らせ郁美へ一直線に急降下した。

郁美は息を荒らげながら、避ける力も残っていなかった。



その刹那、郁美の前を誰かが走り過ぎた。

それは怨獣に向かって飛び上がり、両手に持った日本刀と思わしき刀の「反り」を同時に前に出し、くちばしを挟むようにして怨獣を掴むと、そのまま力で押し切り地面へ押し付けた。

その動きは極めて洗練されていて、美しかった。

郁美はその人物を見上げると、薄く笑みを浮かべた。


「……宇田ちゃん――」


「郁美さん、そんなに声を枯らして……。ごめんなさい。一人にしてしまって――今は休んでください。後は私が引き受けます。」


宇田は刀をしまうと、郁美に肩を貸し、比較的安全な奥の壁に寄りかからせた。

 宇田は起き上がった怨獣の方へ向かい、手にしていた刀を再び抜き上げた。

その刀は、まるで螳螂カマキリの刃のように、逆手に両手で構えられていた。これが宇田のスタイルの様だ。


「この鳥……隼型怨獣だな……。」


宇田は叫び出す怨獣に向かい言い放った。


「ふぅ……さっさと地獄へ行ってもらいますか。」

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