独りづつ二人

歓迎会が開かれてから数日が経ち、郁美はいつものように鼻歌を歌いながら登校している。

ふと気になるのは、御子の存在。

毎日、教室に入る前に必ず通りかかる御子の机をちらりと確認している。


「……今日も居ないか……」


溜息を小さく吐いては、自分の教室へ向かう。


と、その時だった。

御子と同じ教室の、左角の机に、見覚えのある後ろ姿が見えた。

少し俯いてるようで、顔が見えない。

大体の人間は学校が同じだから誰でも見覚えがあるだろうと思うはずである。が、郁美はそんな人間では無い。

なぜなら郁美は、自分に興味がある人間しか顔を覚えないし、他人には興味すら示さない。

つまり、郁美は「学校に友達は御子しか居ない」のである。

そんな郁美の見覚えのある人物が、御子と同じクラスに存在していた。

何十秒か廊下から見つめるが、姿勢を一向に変えることがない。

もどかしく感じた郁美はその教室へ入ろうとした。

しかし、ホームルーム開始のチャイムが鳴り始めた。


「あっ、やばっ」


郁美は急いで自分の教室へ戻り、人物の特定を後にした。


(あれ……もしかして……いや、もしかしなくても、だよねー……)


郁美にはもう既に誰だか目星は付いていた。そして少し苦笑いを浮かべながら、一時間目の教科書とノートを取り出した。



 一方その頃、フィーカでは、一角のテーブルに真紘、紗羅、鳴が座り、何やら話をしている。


「――やーやー皆さん。お揃いでー。」


フィーカの地下室から彩音が顔を出し、こちらへと向かってきた。


「奏良、学校はどうした。」


「んもー真紘さん知ってるでしょー。私は学校行きませーん。ところで皆さんなんの話してたんですー?」


彩音が空いていた真紘の隣の席に座った。テーブルを見ると、写真付きの資料が束になって重なっていた。


「これは、新しい任務ですねー」


「そ。近くの廃工場に作業員の遺体が不自然にゴロゴロ転がってたんだって。ホラ、これ。」


鳴が廃工場の外見の写真を渡そうとした瞬間、それまでずっと資料に目を通していた紗羅が横からバッと写真をかっさらう。


「あっ。」


「これ……アタシは行かないぞ。つまらない。」


バサッと資料と共に写真を投げ出し、ぐちゃっとテーブルに散らばった。


「――そう言うと思っていた。嵐間ならな。ならお前と雷葉は別任務にあたれ。」


横の鞄からまた新しい資料を取り出した。


「じゃー廃工場のは誰が行くのかなー」


「宇田と、星野に行かす。こいつらは相性が良さそうだからな。」


「ふーん……了解。じゃ、郁美と宇田ちゃんには私から伝えときますね。」


「ああ。頼んだ。」





 昼休み。最近は御子が居ないから中庭で食べることはなく、今日も教室でぼっち飯――の予定だったが、変更された。

弁当を片手に下げながら廊下へ出、隣の教室へと早足で入っていった。そして、左角の机へと一直線に進む。


「やっぱりね……宇田ちゃんだった」


「――へっ!?いい、郁美さん!?ど、どうしてっ……ここに……っゲホッ、ゴホッ!」


驚きのあまり食べていた弁当が喉につかえた。何度も咳き込む。


「あああ!……ごめん!大丈夫!?」


郁美は背中をさすり、何回か謝ったあと、真っ赤になった宇田の顔が引いていくのを待った。



「――ごめんね。こんなに驚くとは……正直私も驚いてる……」


「まさか……郁美さん、唐高だったなんて……同い年とは……聞いてました、けど……」


近くの空いた机をくっつけて、郁美も弁当を広げる。

弁当の封を開けながら郁美が問う。


「……宇田ちゃんも一人?実は私もなんだよね。御子が学校来れなくなっててねー。」


「えっと、御子……さん?って……?」


「?このクラスの藤原御子だけど。」


「えっと……ごめんなさい……お、覚えてないで……す……。」


宇田も郁美と同様、人の名前と顔を覚えない人間であった。

申し訳なさそうに肩を、体が半分位の大きさになる位に竦めている。


「いや、そんなに縮こまらないで。私もだし……未だにクラスの人の顔と名前が一致してないし……」


「いえ……私なんて、去年同じクラスだった人が誰かすら覚えてないし、先生も……

誰がどの教科担当かすら覚えてないですし……

挙げ句の果てには、周りの人に忘れられて、教科書が配られませんでした。」


どんどん空気が重くなり、郁美も少し引き気味になる。

それでも、宇田は続ける。


「あと、去年の文化祭とかでも……

一緒に準備してきた方に誰って顔されたり、体育祭で全員リレーの走順で自分の名前がなかったり……とにかく……そんな感じです……。」


「あはは……さ、災難だね……」


フォローすることも大変。どう接せばいいかすらよく分からなくなってきた。

すると宇田は、弁当を食べ終え箸を置くと、物思いな表情で言った。


「いえ。この方がいいんです。こっちの方が気楽で。」


郁美は何と返せばいいか分からなかった。

一人が好きなのか、それとも、ただの強がりなのか。沈黙がしばらく続いた。

そしてその沈黙を破るかのように昼休み終了のチャイムが鳴った。


「あっ。えっと、ごめんね。急に押しかけちゃって。」


「あっ……いえ……全然……」


「また後でねー!」


郁美は颯爽と自分のクラスへと戻って行った。宇田は小さく手を振り見送った。




今日の学校が終了した。郁美は部活動未所属のため、帰りのHRホームルーム終了直後、真っ先に帰宅する。

帰りは御子は一緒では無く、一人で帰る。

机の中の諸々を鞄へ詰め、いざ帰宅――


「星野ー。この間の定期テストの結果表返すからこっち来てー。」


担任の先生が引き止めた。


「うっ……もー。はーい……」


点数の書かれた小冊子を受け取ると、ちらっとだけ覗き込み、ぱしっと閉じ、その日はもう開かなかった。


(後で燃やそ……)


肩を落としながら校門を出た。

ふと横を見ると宇田が誰かと待ち合わせているよにうにぼーっとしていた。


「うおっ!宇田ちゃん!びっくりした……」


「えっ……き、気付いた……」


小さく呟く。


「郁美さんを……その……待ってたんです。」


「そっか。じゃ、一緒に行こ。」


「――はいっ。」


先に歩き出した郁美の後ろを、小さな歩幅でくっついていく。

まるで人からの視線を遮断するように郁美を盾にしていた。

商店街に入ると、閑静な通学路から一変し、人混みに突入する。

そうすると当然、郁美が目立ってしまう。

通りかかる人皆、盾にされている郁美に視線を送る。

次第に顔が赤くなっていき、変な汗が出始めた。鼻歌を歌っている時に感じる視線とは正反対。我慢の限界を迎えた郁美は、宇田の方を振り返った。


「――えっと、何、やってんの?なんかすごい見られてんだけど……」


「あ……あっ……す、すみませんっ!!つ、つい……」


ばっと郁美から数メートル離れて頭を下げた。


「わ……私、人の視線が……怖くて……何考えてるか分からない……から……」


付け足しで早口でおおよそ「人混みが苦手」という事も話された。


「あー……なるほど……ならいつもどうやって来てんの?」


「それは……商店街の路地裏を……通って……ます……」



宇田はゆっくり、書店とアクセサリーショップの間の、横幅僅か一メートルしかない細い道を指差した。

パイプや排気口の入り組んでいる、湿ったネズミが棲みつくような道。

小柄な宇田でなければ必ず制服が擦れてしまう。


「えっ……」


何が一番怖いかと言うと、そこに異常性を感じていない宇田の表情だった。

郁美は宇田への「変人」のレッテルを貼った。

 当然、路地裏を使わずにその後少し歩き、フィーカへ到着した。中を覗くと鳴と彩音がカウンター席に座っていた。


「おっ。お帰りー。」


振り返り鳴が手を振る。


「あれー?二人とも同じ制服だぁ……もしかして郁美も唐高?」


「き、今日知った事実だけどね……」


苦笑しつつ郁美が言った。


「へぇー。郁美もその制服、似合ってんじゃん。」


「はは……ありがとう。ところで、沙羅さんと真紘さんは?」


「沙羅さんは任務に行ってる。私も同じ任務でもう行くところ。真紘さんは本部で仕事中。」


「この二人はいっつも五番隊にいる程ヒマな人間じゃないの。キチョーな人材なんでーす。」


「そうそう。二人は本当に凄くって……って、その話は後。郁美、宇田ちゃん。真紘さんから任務の伝言を預かってる。」


カウンターのテーブルに置いてあった写真付きの資料を手に取り、宇田に差し出した。


「こ……これ……武門たけかど区の……」


宇田は鳴の手から資料を抜き取り、郁美と共に参照する。

武門区は平水区の北側に存在する、工業が盛んな区域。そこの何の変哲もない小さな廃工場に怨獣が潜んでいるらしい。警鐘は不明。写真を見るに、小部品を製造する企業だと言う事が確認できる。


「この案件、任せたからね。――マスター!」


「……マスター?」


鳴がカウンターから大声で呼び出す。


「な、鳴。マスターって……?」


「え?フィーカの店長。」


「いや、それは分かるけど……?なんで今呼んだの?」



しばらくすると、キッチンの暖簾のれんをめくり、背の高い四十路位の男性が姿を現した。

非常に背が高く、タキシードがよく似合う。綺麗に整えられた銀色の髮。

まるでドラマとかでよく見る、大人の隠れ家的なバーにいるような人だ。


「――任務かい?」


おまけに低く優しい声。正に完璧。


「はい。宇田ちゃんと、郁美が行きます。行先は彼女らに聞いてください。」


「うん。わかったよ。彩音。店番頼むよ。」


「りょーかーい。」


どうやら彼は自分たちを現場まで連れて行ってくれるらしい。


「さ、準備しておいで。水樹はもう地下へ行ったよ。」


「あっ、はいっ!」


すたこらと地下へ向かった。緊張し郁美の顔は赤くなっていた。


(やば……かっこいい……)


柄にもなく郁美が好意を示した。



「二人とも、準備が出来たようだね。それじゃあ車を出すから外で待っていてくれないかい?」


「はいっ」


乗り込んだ車は高級車で、革のシートで座り心地が良く、ブレンドされた花の香水の程よい香りが立ち込めていた。

郁美と宇田は終始緊張して、ずっと席で固まっていた。

すると、郁美が宇田に小さい声で問いかけた。


「宇田ちゃんは、前にも乗ったことある?この車。」


「い……いえ……この車は、は……初めて……です。」


「この車は……?」


「……はい。マスターさん……車を……五台……持っているそうで……」


「はぁ……!?マジで?すご……」


会話がここで途切れ、少しの静寂の間、郁美の頭はずっとマスターのことで回り続けていた。ただ、最後に「完璧な人間」として郁美は処理した。




 武門区は人気がないために、廃れたシャッター街を何回も過ぎた。その後も建物が全く無く、東京とは思えない。

車が停止した頃には、目の前の規制線の張られた廃工場。それ意外は有象無象の草供

ばかりが風に揺れる荒地だった。


「――それじゃあ気をつけるんだよ。」


車から降りた二人は感謝を伝えると、廃工場へ振り返った。そして流れるように車が走り去った。



 「――まだ、東京壊滅事件の余韻が此処には残っていたんだね……昔はこんな荒地じゃ無かったのにな」


 気付くとマスターが哀愁と悲壮感に駆られていた。後部座席に人が居ないことをいい事に、若干の弱音を吐きつつ、フィーカへ戻っていった。



 「――行きましょう……郁美……さん……。」


「うん。まだどんなヤツが居るかわからないからね……油断しないで行こう……!」


郁美は今、心なしか「姉」の気分になっていた。心配性で背の低い、可愛らしい子が隣にいるのだから。

すると当然、守ってあげなくてはという意気込みが注がれる。

その勢いのまま、規制線をくぐって宇田より先に入っていった。

 宇田の方が経験豊富で先輩で、郁美が頼る側だという事も忘れて。

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