二十二年越しの再起

エレベーターの中では、真紘はネクタイを締め直し、スーツのボタンを上から順に閉めていく。

榊原は、前髪を整える。

郁美は二人から感じ取った。扉が開いた瞬間、もう既に社長室だという事を。

郁美もしっかりと身なりを整える二人を見て、胸の鼓動が早くなる。

第一印象が「ろくに会話をしない人」

と「初対面の人にドッキリを仕掛ける人」だから、である。



 到着音が鳴り、扉が開くと、眩しい夕日の後光が差し込んできた。

案の定、すぐに社長室だった。そのもの凄い光に照らされている奥の机には、人が座っている。目がくらんで黒い影のように見える。


「失礼致します。五番隊隊長、幸田真紘です。」


「失礼致します。四番隊隊長、榊原橉です。」


「例の方を連れてきました。」


「……ご苦労。三人とも、こちらへ」


二人は頭を下げ、同じ歩調で歩いていく。真ん中の郁美も、つられて歩く。

社長にかかる黒い影が少しづつ薄れていく。そして、その顔の全貌を捉えた。

白髪で細い顔。長い髭を生やしていた。その厳しそうな顔立ちに、ますます鼓動が早くなる。


「――君が、星野郁美君、だね?私は社長……怨獣殺し総大将の、八縄喝次やじょうかつじだ。よろしく」


「――は、はい。よ、よろしくお願いします。」


擦り切れそうな細い声で返事をした。これから何をされるかという恐怖と、威厳を真正面から感じる威圧感に圧されているからだ。


「――はっはっは。そんなに緊張することないさ。私の顔は、そんなに怖いかね?」


不意に笑顔を見せる。一人で急に笑い出すから、郁美は驚き、戸惑う。


「なに、ただ一つだけ聞きたいことがあるんだが、良いかい?」


郁美の心境を感じ取り言葉を発する。

思いの外優しそうな人だ、郁美はそう思い、一安心。郁美の中で張り詰めていた空気が解けたように感じ、はい、とうなずいた。


「君は、星野泰三ほしのたいぞうという人間を知っているかね?」


 星野泰三……郁美はこの男の事を知っている。知っているが、会ったことは無い。見たことがあるが、話したことは無い。

――ゆっくりと郁美は口を開けた。


「私の……父の名前、です。」


「……やはり、か。幸田。君の推測は正しかったな。」


「はい。彼女の異能力を見て、確信しました。」


(――え?何……?どういうこと?私のお父さんの事……え?)


脳の処理が追いつかない。自分の父は、自分の産まれる前に亡くなっている。

それがなぜ今、この場所で思い出されているのか。

なぜ「異能力」という単語が出てくるのか。


「い、異能力……って、ど、どういう事、なんですか?私の父と、なんの関係が……?最も、私の父は、既に亡くなっていますし……」


「本当の事を今から言う。信じろとは言わない。だが、嘘はつかない。

――君の父、星野泰三は、今から丁度二十二年前に勃発した東京壊滅事件で命を落としている……!君の父は、怨獣殺しだったのだ……!しかも、ただの怨獣殺しでは無い。本部隊隊長……

つまり、怨獣殺しの『最高戦力』だった。」


「――え?」


訳が分からない。体は列車に乗り込んだが、脳だけが乗り遅れたような感覚。

則ち、「声」は聞こえていたが「話」が聞こえていなかった。

母からも、全く父の話をされたことは無い。せいぜい、顔と名前を教えてもらった程度だった。

自分の茶髪は父からの遺伝だったのか、くらいしか印象に残っていなかった。郁美はそれが普通だと思い込んでいたが、違った。

母は、この事実を自分に話したくなかったのだと悟った。


(それが、私がお父さんの事をあまり知らなかった理由……お母さんが、私に教えてくれなかった――)


「……私の父は、どんな人だったんですか?」


「俺も、直接会ったことは無い。最も、俺は当時五歳だったからな。」


「私も、その当時は静岡に居たから……」


真紘、榊原共に答えた。だが、郁美は仕方ないとは思えない。父のことを知らないならなぜ自分をスカウトしたのか。


「私は、惜しい事をしたよ。」


小さく、八縄は呟く。先刻の和気藹々わきあいあいとさせようとした時とは違う、真剣な顔立ち。


百足むかで型怨獣……東京壊滅事件に現れた、今までで最も強いとされた怨獣だ。――そこで、泰三君は相打ちとなって死んでいったんだ。そこに居あわせた誰一人として、殺されずに、な。」


――郁美は思い出した。「東京壊滅事件簿」という逸話を。

中学の歴史の教科書にコラムとして載っていて、「死傷者は限りなく少なかった」

「戦火の中では、不思議な歌が流れていた」という二文がやけに頭に残っていた。

それらと今、自分の父の話が噛み合った。

郁美の疑問が、確信に変わった。


「――私も、父と同じ異能が使えるって事……ですよね。」


「ああ。泰三君自身も、君と同じ年の頃に異能力が目覚めて怨獣殺しをしていたんだ。」


対して、父の死因には驚かなかった。

郁美を困惑させていた全てが繋がったからである。霧の晴れた顔に変わった郁美には、ある思いが込み上げてきていた。


――これは何かの運命だ――


「――私、怨獣殺しのスカウト、その話、受け入れます。

……お父さんの事、もっとよく知りたいし、ミコとか、結構周りの人も襲われるって分かったから、せめて自分の周りの人くらいは、守ってあげたいな……って」



語気がどんどん弱くなりながら言った。

最後の方は何と言っていたか聞き取れない程に、勇気に隠れた羞恥心が表れていた。



夕日が沈みかけ、紫色の空で、辺りは隣の人の顔がよく見えない。

そんな中で、郁美は顔が真っ赤になっていた。

自分がこんなクサい台詞を言ったという事実が最も羞恥心を感じさせた原因。

榊原は、赤い顔に気づき、ふふっと笑い声をあげると、郁美にぎろっと睨まれた。


「……はっはっは!やはり親子だ!泰三君も、同じことを言って入隊したよ。いいだろう!星野郁美!怨獣殺し本部総大将 八縄喝次の名に於いて、怨獣殺しとして任務にあたる権利を認める!」


力強く、腹の底に響く声。心を奮い立たされる郁美の顔は、ひとつ成長していて、赤面はどこかえ消えてしまった。



星野泰三は、二十二年越しの再起を果たしたのだ。



 一階へ降りると、ある疑問が郁美の頭の中をよぎった。


(あれ?私怨獣殺しになった訳だけど……これからどうすればいいの……?)


そんなことを思っていた矢先、声に漏れていたのか、榊原が言った。


「郁美ちゃん、私達の四番隊、来なよ!丁度一人抜けちゃってさー、一枠空いてんの!」

「駄目だ。星野、五番隊に来い。」


「は?」


「五番隊は今活動が禁止状態なんだ。あと一人入れば活動が再開できる。お前が五番隊に入るためにまず……」


「ストップストップ!!何で五番隊入る前提なの!?」


「……やるか?」


「いいよ!郁美ちゃんを賭けて勝負じゃ!」


郁美の前で大の大人が争っている。

しかも、自分を賭けて。

視線の間にバチバチと弾けるものが見えるようだ。


(えっと……私のために争ってるの?

何で……って、そうか……私が最強の怨獣殺しの娘だからか……)


二人の言い争いを止めようにも、自分がどちらの部隊に入ればいいのか分からないから、止めようがない。


二人は今にも攻撃を始めそうになっている。まずい、何とか止めなくては。あたふたしていると、後ろから一人の男が向かってきた。


「この事象は星野隊員がどちらの部隊へ配属をするかの問題ですね。

怨獣殺しの規定、第三条、『怨獣殺し新隊員の部隊決定について』によると、一項、新たな隊員は、各部隊隊長の勧誘により所属部隊の加入が可能。と、ある。これは二人とも守っている。」


随分と堅苦しく真紘と榊原に言う。しかも、暗記しているのかと思うほどにスラスラと規定を唱える。

それよりも、何が凄いかと言うと、先程まで言い争っていた二人がしっかりと耳を傾け、一時休戦していることにあった。


「なら、どっちが規定を守ってないと言うんだ。」


「第三条四項、怨獣殺し隊員が入隊した時、既にスカウトされているなら、その新隊員をスカウトした証明書を受理された隊員の所属している部隊への配属が決定される。と、ある。

則ち、榊原四番隊隊長、貴方には星野隊員の四番隊勧誘行動は規定違反とされます。」


「……ちぇ、郁美ちゃんは五番隊に入るのね。がっかりー。」


榊原がなんの抵抗も無く食い下がった。


「助かった。根岸。」


仲裁に来た男は根岸旬ねぎししゅんと言った。

ピシッとした身なりに眼鏡をかけている。

社長秘書兼事務処理長とのこと。

権力もそこそこ、全体的に、怨獣殺しをサポートする職だという。そして、ここに来たのは、郁美のためらしい。


「……星野隊員ですね?先程はお騒がせしました。手続きがあるので、私と来ていただけませんか?」


物腰柔らかく、大人な雰囲気。はい、と返事をし、根岸の方へ。事務室へと案内されるようだ。榊原と真紘に背を向けると、


「郁美ちゃーん!また会えるといねー!」


と元気よく手を振られた。郁美はふふっと笑みを浮かべ、小さく振り返した。



「……では、これで手続きは以上となります。怨獣殺しは機密組織なので、決して口外しないようにお願いします。また、学校は本部の監視下に置かれていますので、学業などに支障のない事を約束します。

詳細に関して、御両親……失礼。お母様には私からお伝え致します。」


山のように積まれた書類を全て書き終え、一段落していた郁美だったが、その根岸の言葉に一言投げかけた。


「……お母さんには、私が直接話をします。お母さんも恐らくお父さんの事、知ってただろうし……。勝手に決めちゃった事だから、それくらいは自分で説明しなきゃって。なので……」


「承知しました。……もう二十時ですね。ご自宅前まで送ります。」


「あっ、ありがとうございます!」


郁美は根岸という男に信頼と尊敬の念が芽生えた。年の差があっても自分がへりくだり、書類それぞれの説明も上手。

そして車で送ってくれるなどという気配りもできるからである。

やっと、この建物に入ってから「いい大人」に会えた気がした。



 車内。助手席に座った郁美は、根岸に一つ質問をした。真紘や八縄と会った時に疑問を持っていたものである。


「――今更ですけど、怨獣って本当に居るんですか……?」


「居ます。まあ、そう思われても無理はありません。今までに会った怨獣は全て記憶から抹消されていますから。」


「……えっ?」


「社長の異能力です。≪東京壊滅事件後に出会った怨獣の存在を全て忘れ、別のものに記憶させる≫という常識を日本全土に行き渡らせたんです。簡単に言うと、洗脳、ですね。」


運転をする根岸は、全く表情が変わらない。怨獣殺し内では周知の事実、ということで、特に何も思わない。


「そうなんですか……」


「政府が、東京壊滅事件を境に怨獣及び怨獣殺しの存在を匿う事に決めたんです。

社長の異能力ならそれが可能だと知っていましたので。

そして、平成十二年五月二日、社長が洗脳を行い、『出会った怨獣は全て怨獣とは別の存在、記憶として処理される』

……この常識が行き渡りました。

――例えば、星野隊員のご友人、藤原御子さんが大きい怨獣と出くわし、衝突しそうになった所を間一髪でかわし、腕に軽傷を負ったとしましょう。この一連の流れで、『大きい怨獣』は『車』になります。」


「つまり、このシチュエーションは、『御子が車にぶつかりそうになったけど腕をかすっただけで済んだ』って感じに記憶が改ざんされるんですね……」


「そうです。そうやって現代は社会から怨獣が消え去ったんです。」


郁美は彼の話に聞き入っていた。自分がもう怨獣殺しだという事を自負していたからだ。道中で聞いた話はと言うと……

異能力も同じく洗脳で他のものに処理される、怨獣殺しは洗脳が無自覚の間に解かれるとか、そういうものだった。

 住宅路の車道の端に車が止まった。郁美の家の前まで到着した。


「着きましたよ。」


「はい。送ってくださってありがとうございます。」


助手席から出ると、手前で手を組み、丁寧なお辞儀を一つ。根岸は微笑みながら小さくうなずいた。


「では、明日、日程通りお願い致します。」


「はい!さようなら!」


車は、後ろの赤いランプを光らせながら走り去っていった。



くらい夜の中、郁美はふと上の星空を見上げた。雲ひとつとしてない、美しい空。


(――こうやって星を見たのって、いつぶりだろ。

――あの夢で出てきた人は、お父さんだったんだね。

……お父さん、私、人のために何かやるってのはガラじゃないけどさ、やってみるね。だから、私の事、ずっと見ててね。)


澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで深呼吸した郁美は、玄関へと歩いていくのだった。

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