異能力者と怨獣殺し

郁美の瞳に映るのは目の前のスーツの男。とりあえず、自分たちを助けた、ということだけは理解できる。

男は銀に輝く刀身を鞘に収めると、くるりと郁美の方を振り返り、


「お前、異能力者だったんだな」


と言った。

――異能?郁美には聞き慣れない言葉だった。


「イ、イノウって……?」


「まぁ知らなくて無理は無い。

――人類の約〇・五%の人間が持つ、物理的、科学的に不可能な事が可能になってしまう能力の事だ。俺だって持っている。」


「な、なるほど……?」


郁美は更に頭の理解が追いつかなくなる。


「……分かっていないな」


図星だ。郁美は初めて周りに聞こえるくらい大きな「ギクッ」という音を確認した。


「つまり、非科学的な事が出来る人間の事だ。例えば、手から炎を出したり、口から突風を吹いたり、あるいは、歌を歌ってその女の傷を治したり。」


郁美はドキッとした。今までこんな事一度もなかった筈なのに……またしても疑問は増える。


「――一つ気がかりがある。お前、名前は?」


急に男が郁美と同じ視線まで腰を下ろす。そして目を合わせる。


「星野郁美……です。」


「……。そうか。俺の名前は幸田真紘こうだまひろ。突然だが星野。お前を、怨獣殺し五番隊隊長の名に於いて、怨獣殺しにスカウトする。――。こちら怨獣殺し五番隊隊長。犬型怨獣の駆除を確認。それから――」


 「…………へ?」


自分でも分かるくらい、空気が抜けたような情けない声が出た。

それは無線で会話する真紘にも恐らく届くくらい大きな声だった。


「えっと……怨獣殺しって……え?二十二年前に……」


「そうだな。怨獣は二十二年前に姿を完全に消え去り、怨獣殺しという職業も無くなった……というのが表向きだ。だが実際、怨獣はこの世から一回も消え去ったりはしていないし、怨獣殺しも健在している。」


郁美は既にそれが嘘では無いことがわかっている。現に、今ここで犬型怨獣を駆除した瞬間を目の当たりに下からである。

とはいえ、自分にこんな、犬を真っ二つに出来る力があるわけが無い。そのうえ、運動能力が皆無。この真紘と言う男は、なぜこんな人間をスカウトだろうか。出会ってまだ三分も経っていないというのに……


 「……今すぐに答えを出さなくていい。それよりも今は、お前の抱えてるその女の方が優先だ。」


真紘の落とす視線に乗じて郁美も思わず御子に目をやる。すると、御子の額の、先ほどまで傷口があった箇所のカビ色のアザがあることを思い出した。


「あっ、ミコ……」


未だ失神から目を覚まさない。すーすーと呼吸の音が聞こえるだけで、何も起こらない。


「……どうやら、怨腫瘍おんしゅようだけは残るようだな。そのほかの傷は全て治っている。」


真紘が御子の頭や腕をくまなく診ながら言う。

すると、御子の背中と膝裏に手を入れ、ひょいっと持ち上げた。

そして、郁美に背を向け、細い道から出るために歩き出した。


「ちょっと、真紘さんっどこへ?」


思わず郁美も立ち上がる。


「お前も来い。星野。コイツが独りだと可哀想だろ。あと、お前に会わせたい人がいる。」


郁美は「どこへ」と聞いたはずなのに、答えになっていない。


少し歩いて細い道から抜け出すと、一台の黒い車が泊まっていた。助手席には御子が乗せられ、運転席に真紘がいた。


「後ろだ。乗れ。」


いきなり過ぎる真紘に度肝さえ抜かれる。

困惑混じりのため息と共に、郁美は真紘の車の後ろに乗り込んだ。

郁美の中で、「幸田真紘」という人間の第一印象が確立した瞬間であった。


「……あの、真紘さん?どこへ……?」


出発した車の中で身を縮ませながら郁美は問う。


「――。怨獣殺しについて、少し教えておこう。」


「ち、ちょっと待ってっ、どこに向かってるんですか?」


「怨獣殺しというのはな、一番隊から五番隊で編成される組織だ。」


真紘は郁美の質問を全く受け付けない。いや、聞こえていないと言った方が適切。

郁美は口をとがらせるも、真紘の話が大事だということが分かっている。それ故に、話を遮ることは出来ないと悟り、黙って話に耳を傾けた。


「俺はその中の五番隊の隊長だ。それぞれ一から五番隊の隊長で編成される本部隊というものもある。それから民間の組織も――」


長い話を要約すると、今の怨獣殺しは、部隊ごとに別れて活動していて、郁美がスカウトされたのは真紘の率いる部隊だという。


(怨獣ってあの犬もそうなんだよね?――だれかの為に命を懸けようなんて、私には出来ない……)


疲れた体で考える。数分間ウトウトし、首が上下に揺れる。そのまま、郁美は深い眠りについた。



「――いいかい?郁美。本当にどうしようもなくなった時にはな、歌を歌うんだ――」


――誰かに抱えられている。私の顔を覗き込むように誰かが見ている。光が反射して、顔がよく見えない。けれどこの声は男の声だ。


「――あなたは、誰……?どうして、私の名前を……?」


朦朧とする意識の中、問いかける。


「はっはっは。すぐに分かるさ。ほら、行っておいで――」


激しい光が私の周りを包み込む。思わず目を瞑った。


「――起きろ。星野。起きろ。」



もう一度目を開けると、目の前には郁美の肩を揺する真紘の姿があった。背中には、御子を背負っている。

もう目的地には着いたのか。半開きの目をこすりながら車から出て、周りを見回した。

そこには、三百六十度、目の前に森が広がっていた。

しかし、地面は駐車場のようなアスファルト。言うなれば、「森」という名のバイオームに「駐車場」という場所を上から落としたのではないかと思われる程ぽつんとしていた。

そして、三十階はあるだろう、大きなビルがたった一つ建っていた。


「ここが、怨獣殺し本部だ。ついてこい。」


「えっ、あっ、ちょっと待って下さい!」


立地に不思議を覚える郁美に構いなく、真紘は御子を背負い、ビルへ歩いていく。

郁美は追いかけるように真紘へついて行き、隣に並んだ。



 近づけば近づく程大きなビル。真下まで来ると厳重な鉄の扉が一つ。

真紘は胸ポケットから一枚のカードを取り出すと、右のセンサーにかざす。

すると、ゴゴゴっと鈍く大きな音を鳴らしながら開き、白い床や壁といった明るい空間が現れた。


(おー。最新鋭……!)


「行くぞ。」


郁美は真紘の後ろをコバンザメのようについて行く。

中を見渡すと、受付、自販機、ベンチに観葉植物。人も結構歩いている。扉こそ物騒だったが、入ってみると、普通の会社のような雰囲気だった。


「こんにちはー真紘くーん。あれ、負傷者ですか?」


受付の人間が真紘を呼び止める。


「ああ。医務室へ。藤井を頼めるか?」


「はーい。藤井さんね。……ん?この子は?」


受付は真紘の後ろに隠れてる郁美を覗く。


「ど、どうも……星野です。」


「こんにちはー星野ちゃん。受付の榊原さかきはらでーす。」


会った瞬間、優しい人だな、と思えるような明るい雰囲気をかもし出している。


「少し用があってな。社長に会わす。」


「はえ!?社長に!?――失礼。とりあえず、藤井くんに連絡入れればいいのね?」


「ああ。頼む。」


真紘が『働く男』のように見えた初めての瞬間であった。

そんな事よりも、郁美は驚いた。

「社長に会わす」という言葉に。急に何を言い出すか、真紘に問おうとも、既に奥のエレベーターに向かっていた。エレベーター前へ着いた時、


「悪いが、怨獣殺しでない人間が出入りできるのは一階エントランスまでだ。星野、お前を連れていくことは出来ない。

藤原御子、と言ったか。こいつを医務室へ連れていく。だからあそこのベンチで待っていろ。」


と言われてしまった。


「えっ?」


ポーンとエレベーターの到着音が鳴る。


「すぐに戻る。」


真紘がエレベーターの中へ。


「あっ、ちよっ、真紘さん!?」


手を伸ばすも、エレベーターは閉じてしまった。

言葉だけで強引な、幸田真紘に、大きなため息を一つ吐くのであった。


「――社長に会うって何だよ……全く、人の話も聞かないで……!」



渋々、自販機横のベンチで待つようになった郁美。真紘への不満をタラタラと垂れている。落ち着かないのか、足をバタバタさせる。


「星野ちゃん。隣、いい?」


先刻の受付の榊原が、缶のドリンクを二つ両手に持ちながらこちらへ来た。


「あ、どうぞ。」


「ありがとー。はい、コレ!」


榊原は、左手に持つ「おしるこ」を郁美へ差し出した。

「いや、大丈夫ですよ!」


「えー、貰ってくれないと困るよー。わざわざ二本買っちゃったし。……おしるこだし。」


「……。じゃあ、いただきます……」


郁美は榊原の差し出す缶を受け取り、栓を開けた。


「ぅわっ!何コレ!?炭酸!?」


「そー!私のオススメドリンク、スパークリングおしるこ!」


驚く郁美に腹を抱える。


「こっ、こんなのがあそこの自販機に置いてあるんですか……」


ここの自販機のセンスを問う郁美。


「いやいや。あの自販機には普通のしか置いてないよ。これを炭酸にしたのは、私の異能力。色んな液体を炭酸にできるの。」


「……あっ。」


異能力……郁美は今、少々この言葉に敏感であった。自分の身に起きている謎。

なぜ自分が異能力を使えるのか。それがまだはっきりしていないからだ。


「榊原さん、一つ質問、いいですか?」


「いいけど、先ずは二人とも改めての自己紹介がまだだっだからさ、その後ね。」


郁美は小さくうなずく。


「――先ず、私から。こほん。私の名前は、榊原橉さかきはらりん。怨獣殺し本部受付兼四番隊隊長やってまーす。

『液体を炭酸に変える』異能力を持ってます!真紘くんと同期で同級生の二十五歳!よろしく!」


はきはきと喋り、聞き手が心地よい自己紹介に、郁美のハードルが上げれられる。

御子程コミュニケーション能力がある訳では無いし、いつも一緒にいるから、新しい人と会った時は大体御子が、


「こっちは私の友達の郁美よ!」


と言って場を保ってくれる。


「次、君の番!」


何を話せば良いのか分からない。が、相手の期待に応えるためにも、ゆっくりと口を開けた。


「えーっと……私の名前は星野郁美です。高二です。運動は苦手……というより嫌いです。

でもその分、歌を歌うのは得意で、とても好きです。よ、よろしくお願いします!」


最後にかけての台詞が早口になり、咄嗟に頭を下げてしまった。

同年代とは緊張しないのに、年上となると、どうもいつもの自分ではなくなってしまう。


「……うん!よろしく!星野……いや、郁美ちゃん!」


頭を上げると、優しい笑みの榊原が手を伸ばしていた。


「……!はいっ!」


それに見合う笑顔を、郁美は作っていた。そして榊原の右手を、両手で包み込んだ。


「……よし、自己紹介も終わったとこで、質問って?」


「はい。あの、異能力についてなんですけど……異能力って、今日初めて知ったんですけど、榊原さんは、いつから異能力を使ってたんですか?」


「そうだねー。多分、自分の異能力に気付いたのは四〜五歳の頃かな?

飲んでた水が、急にシュワシュワしだして、びっくりしてむせたんだよね。」


郁美の予想は外れた。誰もが自分と同じ時期に異能力が発現するものだと思っていた。


「そんな感じかなー。―でも、どうして聞いたの?」


「いや、実は――」


郁美は先刻の犬型怨獣と、自分の使った能力についてを話した。


「――なるほど……郁美ちゃんは今日自分の異能に気付いたんだね。まぁ、ここに連れてこられる一般人なんていないし、そもそも非異能力者は異能を確認することは出来ないから。

……うーん、私が言えるのはひとつかな。

目覚めた異能は、取り消せない。神様は、郁美ちゃんを選んだんだよ。

だから、何も心配はいらないんじゃないかな。いつもどーり、過ごしてりゃいいの!」


「いつも通り、ですか……」


「そ。悩むことないさ!」


榊原は、白い歯を見せた満面の笑みで笑いかけた。しかし、郁美は少し納得のいっていない表情をしていた。

本当はとてもありがたい言葉なのだが、

「いつも通り」、ということが出来るかどうかが最大の悩みで疑問となった。


「実は、ですね。私、真紘さんにスカウトされたんです。その、怨獣殺しに……」


「……はえ!?真紘くんが!?郁美ちゃんが犬型怨獣を倒した訳じゃないのに!?」


「……はい」


「異能力が昔から使えた訳じゃないのに!?」


「……はい」


「二人は元々面識があった訳じゃないのに!?」


「…………はい」


郁美の表情はどんどん曇る。それに比例して、榊原も、怒りの感情が。


(あの強引男が……!何やってんだよ……!昔っからアイツは……!いつも通りの生活送れないじゃん…!)


郁美にばれぬように笑顔を貼り付けるも、右手には力のこもった拳が震えていた。


「ま、まぁ、決めるのは郁美ちゃんだし、別に決まった訳じゃないからね!」


「はい。分かってます……」


上手く怒りの表情を隠せていると思っている榊原だが、郁美にはそれは必要なかった。


(榊原さん、めっちゃ怒ってんな……拳震えてるし。)



 ――ポーンと、あの、エレベーターの音が鳴った。開くと、真紘が乗っていた。


「あっ!真紘くん!」


榊原はベンチから真っ先に離れて真紘の方へズカズカと向かう。


「――どうした。榊原。」


「なんで郁美ちゃんをスカウトなんかしたの?」


ヒソヒソと耳に打つ。


「それは……いずれ分かる。――お前、聞いたか?星野の異能力の内容を。」


そう言うと、スタスタと榊原を置いていった。


「ちぇっ、教えてくれないの!真紘くんのケチっ!」


 「――藤原は、当分この医務室で預かることになった。何でも、あの怨獣の毒は面倒な構造らしくてな。」


「えっ?それって、大丈夫なんですか?家族とか、友達とか……」


「問題は無い。本部には政府も一枚噛んでいる。その辺りはなんとかなる。――行くぞ。星野。社長室へ。」


「なっ、何で行く必要があるんですか?」


誰もが思うであろう言葉。

初めて出会った人と、初めて行った場所で、初めて「社長」たる人間と会うのだから、当然、反射的に口に出る。


「……。社長が、お前に会いたがっている。それだけしか俺は知らない。」


背を向けた真紘の言葉は、語気がいつもとは違った。

真紘も真紘で、なにかあるのだろう。

そう悟った郁美は、黙ってエレベーターまで歩き出した。


「行くなら早く行きましょう。真紘さん。」

「――ああ。」


二人は並んでエレベーターへと入っていった。


 「あーっ!ちょっと待って!私も乗る!」


扉が完全に閉めきる前に、榊原が走ってきた。慌てて扉を開く郁美。


「やー、ごめんごめん。私もちょっと郁美ちゃんの事気になっちゃって!」


「お前、そんな事で社長室に行くのか?」


「そう!郁美ちゃんも、真紘くんだけじゃ心細いでしょ?」


「えっ?……ははは……」

(なんて返せばいいか分からん!!)


「……勝手にしろ。」



 エレベーターには、真紘、榊原、そして、郁美が乗った。

そして真紘は、「三十」と刻んであるボタンを押して、社長室へ三人で向かうのであった。

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