第17話
「君は自分の家族が嫌いなの?」
翌日、日波と僕は、自然公園の駐車場にいた。健康的で開放的な芝生広場を眼下に見ながら、のんきに会話を繰り返す。しかし時間はもう夜で、来場者用の入り口は閉まっている。
駐車場には、僕たちの乗ってきた車の他に、一台の車。僕たちはその、誰の物か分からない車の近くで話をしている。
何故こんな所にいるのかというと、千波をおびき出すためだ。日波に、彼女が行きそうな所を聞いたところ、ここだというので来てみた。僕のマンションから車で二時間程度。そこそこ長い旅となったが、千波がここに来てくれたら、その苦労も報われる。
そして、僕と志乃葉さんの仮説が合っていれば、千波はここに来るだろう。
その時間潰しに、僕と日波は車から出て駐車場の柵から芝生を見ているのだった。
「嫌い」
日波の答えは簡潔だった。
「ここもまぁ小さい頃に一回来ただけだけど、千波が楽しいと思ってたならここにくるだろうなと思っただけ。私自身はもう特に何とも思ってないのよ」
「それはどうして?」
楽しい思い出というのは、一生そうではないらしい。日波が僕に見せた記憶の中では、それも楽しそうな雰囲気があったが、それは単なる記憶であって、感情を伴う思い出ではなかったらしい。
難しいものなんだな、と思った。
現在、家族のことを語る日波の口調は苦々しい。
「君は、家族の何が嫌だったの?」
「やけに踏み込んでくるじゃない。何、私に興味でも湧いた?」
「まさか。君自身に興味は無いよ。ただ、僕はそういう気持ちを想像できないから聞いているだけ。後学のためにね」
「あっそう。それなら答えてあげましょうか。人間、自分を憎んでいる相手を、憎まずにはいられないものなのよ」
「へぇ、それは千波のこと?」
「……それもある」
日波はそれ以上語りたくはないようだった。話題が途切れる。冬なので寒いが、車内で待つことは憚られた。車内では逃げ場がない。
この前、千波は日波を慕っているように見えた。姉のために家族を殺してしまった哀れな妹。その思いは一生報われることがなさそうだな。
報われることが正しいのか、僕には分からないけれど。
「日波」
「何」
「それなら君は、千波が死んでも傷つかない?」
それは、僕ができる最後の問いかけだった。ここは分岐路で、日波の選択肢によって千波の運命は決まってしまう。それを知っているのは、今この場では僕だけで、日波は何も知らないまま自分と妹の運命を決めてしまうのだ。
日波は、僕の方を見た。目を合わせないようにして。僕には見られないその目に浮かぶのは、何だろう。日波が服の裾を握って、震える唇を舐め、何かを決心しようとしているのだけは分かる。
それが致命的であるということも。
「私は――」
日波の言葉が終わらないうちに、大粒の石が飛んできた。避ける間もなくそれは僕の肩に当たる。痛い。石の飛んできた方へ顔を向けると、もう一つ石が飛んできた。次は頭に当たりそう。考えている間に、僕に向かって飛んできたはずの石はどこかへと消えてしまった。ぱくりと、暗闇に食べられてしまったようだ。
隣から、日波の戸惑いが伝わってくる。その気持ちは分かるが、今はそれどころでもない。
「出てきなよ。殺すなら、ちゃんと君の前例に則るべきだ」
駐車場から公園内に入る道の脇に、駐車場用のトイレが設置されている。そのトイレの建物の影から、千波が出てきた。隠れていたのだろうが、日波の答えが聞きたくなかったらしい。手には相変わらず刃物が握られている。以前と違い、家庭用の果物ナイフだった。
「何でよ」
ぽつり、と千波の声が夜の中に響く。
「なんでそいつと一緒にいるのよ。私が助けてあげたのに」
「助けてなんて言ってない」
「お姉ちゃんは! 私が助けたの!」
絶叫だった。それが千波にとっての、存在意義だった。痛々しいくらいに研ぎ澄まされた、一つの狂気であり、願いだった。それが向けられているのは日波だ。彼女はこれをどう受け止めるのだろうか。
「なんで、なんでお姉ちゃんは、私と一緒にいてくれないの。何でそんなバケモノと一緒にいるのよ!」
「え……?」
急に矛先を向けてくるのは止めてもらいたい。痛くもかゆくもないが。
「そいつ、変な力持ってるわよ」
「そうだね、それは否定はしないよ」
一度体感してしまったことを、彼女は覚えていたらしい。そりゃそうだ。目の前で突然刃物が消えてしまった経験なんて、数少ないだろう。
千波は僕を元凶のように睨みつけてくる。言いがかりだ。そしてナイフと反対の手に隠し持っていた石をまた僕の方に投げつけてきた。まっすぐに投げられた石を、今度こそ僕の意思で消してしまう。軌道の途中で不自然に消えた石を見て、日波は少なからず驚いたようだった。
一方、千波は勝ち誇ったように笑っている。
「そんな力を持ってるくせに、私のお姉ちゃんに近づかないでよ。そんなことができるなんて人間じゃない」
それは正論だ。
「人間じゃないくせに、人間のフリなんてしないでよ。このバケモノ」
千波の言葉は、僕にとっては慣れた侮蔑であり、罵倒だった。
俯いた僕に、千波はキャハハ、とまた笑う。
「そんな力持ってるくせに、あんたは人間でいたいんでしょ? だから余計なことに首を突っ込んできてるわけでしょ? じゃあさっさとここで殺してあげるから安心してよ。この世界にバケモノの生きる場所なんて、どこにもないんだから!」
千波が僕に向かってスタートを切る。手には果物ナイフ。
僕は一つため息を吐いて、それもいいか、と諦めた。
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