第13話


 部屋に帰ったら、鍵が開いていた。日波がいるのだろうか。


 靴を脱いで、部屋に上がる。ドアを開けて直ぐ、僕は部屋の中で座っている彼女を見つけた。


 日波に似た背格好、髪型、顔立ち。姿形は日波にしか見えない。だが、この虚ろな雰囲気。陰鬱としたそれは隠せるものじゃない。


 日波じゃないな。だとしたら、彼女の正体は明白だ。


「何をしている遠藤千波。僕の部屋で、楽しく愉快に殺戮でもするつもりか」


 彼女は立ち上がって僕を振り返った。顔には歪な笑みが浮かんでいる。


「そうね。余計なことをしてくれたお礼をしなくっちゃ」


 それは僕の台詞では? と思うが、彼女にそれは通じないだろうから黙っておく。僕は巻き込まれていくしかないし、降りかかる火の粉を振り払うことしかできない。


 今回のこれは、降りかかる火が大きすぎる気がするが。


「……君は、日波を助けたかったんじゃないのか?」


 あの現場を見て、家族構成を聞けば、経験値の少ない僕だってそれくらい想像できる。離婚した両親、持ち家を追いやられた父、離ればなれになった双子の姉妹。


「そうよ、私が姉を助けるの」


 あ、そうなんだ。日波の方が姉なんだ。それはちょっと意外。


「私が姉を助けて、これからは二人で生きていくはずだったのに。意味の分からない連中に邪魔されてとっても不愉快」


 ごそり、と千波の手の中に現れたのは大振りの家庭用包丁。


「二人で? それが君の望みか?」


「そう。そして姉の望みでもあるのよ。だってに遭わされたんだから」


「あんな目?」


「両親の勝手であんな掃きだめみたいなところに追いやられて、父親の面倒を見させられて……。姉はそんなことにさせられていい人じゃないのに。心底うんざりしてたに違いないわ。だから、助けなくっちゃ。私だけが、助けられるんだから」


 千波の口調は、浮かされたような熱っぽいものだった。それだけが世界の真実のようで、そうと信じている口調だった。


 遠藤千波の、根幹とも言える動機だ。


 自分の世界について語る時の志乃葉さんにそっくりだな、と思った。


「なるほどね……。日波を返して欲しいだけなら構わないんだけどね、全然。好きに連れてってくれ。でも僕だって、痛いとかそういう神経は持ってるから、死ぬのは勘弁だな」


 部屋のドアを閉めて、それにもたれながら僕は彼女と向き合っていた。


「そっか。そうだよね」


 納得してくれた。


「じゃあ心臓一突きで送ってあげる」


 気のせいだったな。納得してくれたなんて。


 歪な笑みのまま、彼女は僕の方を見ていた。


「というよりもさ、結局君は姉の為なんて言い訳使って、自分の欲望を満たそうとしているだけじゃないか。自分がそうしたいからって、誰かの気持ちを語るなよな。気持ち悪い。大体、日波が本当に助けを求めていたなら、最初から君にそう言ったはずだろう。言わないって事は君のことを頼りにもしていないって事だろうし、そこから出たいとも思っていなかったんじゃないの? そもそも出たいと思ってたなら、あの性格上、誰も助けなくても自分でなんとかしていたと思うし」


 千波の顔から笑みが消えた。能面みたいな顔になる。


「それで殺人を犯して、自分の思い通りにならなかったからって日波を保護した人間まで殺すって? おこがましいんだよ」


 言った直後、彼女に飛び掛かられた。間に置いてあったテーブルを踏み越えてきた彼女の両手を、なんとか捕まえる。


 ここまでは想定内だ。話から大きくずれてはいない。だが、彼女の異能はまだ判明していない。動機の方は、少し引き出せただろうか。


「偉そうなこと言ってるのは、そっちじゃない。なんだっていうの」


 包丁の切っ先が僕を向いている。眼前に迫った銀色のそれをなんとか押さえるが、僕の筋力では限界があった。最初から分かりきったことだったけど。


 目の前に迫ったそれを、なんとか最後の力を振り絞って頭をずらし、軌道をずらして包丁を床に突き刺してもらう。


 床に包丁を突き刺したまま、千波は僕の上に馬乗りになっていた。


「どいつもこいつも鬱陶しい。刺しても刺しても刺しても後から後から湧いて出てきてくれて迷惑だわ。どれだけ殺したら死んでくれるわけ?」


「試してみたら?」


 千波の目に浮かんでいるのは、昏く静かな狂気だ。口を大きくえがめて歪な三日月を描いてみせた。


 床に突き刺さった包丁を抜いて、そのまま、また僕に向かって振り下ろしてくる。馬乗りになられているので、今度こそ僕に逃げ場はない。


 僕の心はざわつくこともなく、動かなかった。包丁は、僕に突き刺さる前にその大部分を消失させてしまった。僕の気持ちと関わらず、僕は僕を守ってしまうのだ。


 手段を見失った千波の手が止まる。驚いたように、手の中に残った柄を見つめ、すぐにぽいと後ろに投げ捨てた。


 切り替えが早い。


 次はないので、とりあえず聞きたいことは聞いて、まずは落ち着かせよう。


「殺される前に聞いておきたいんだけど、いい?」


「なに?」


「どうしてここに来れたの?」


「日波に教えてもらったから」


 瞬間、言い表せない嫌悪感が胃に落ちる。他人と関わるとやはりろくな事がない。


「それともう一つ。大崖崎にあるアパートで、住民を皆殺しにしたのは君で間違いない?」


「そうよ。父親だけの予定だったけど、見られたんだから仕方ないわよね。一人ずつ殺していったの。騒がれても嫌だったし」


「君みたいな普通の女の子にそんなことができるなんて驚きだね。何か秘密でもあるのかい?」


 僕の軽口に、千波は大きく笑った。きゃらきゃらと耳に痛い笑い声だった。


「人を殺すことに、特別なことなんているの?」


「……いや、いらないね」


 人を殺すことに、特別なことなんて一つもない。誰もが犯す可能性のある過ちで、誰かが犯してきた間違いだ。


 遠藤千波は、“姉のため”という免罪符でそれを正当化した。


 そうでなければ生きられなかったのだろう。自分の世界で、自分の気持ちを正しいものだと誤認し続けなければ耐えられなかったのだ。志乃葉さんと、そして僕と同じ。どうしたっておかしいのは僕ではなく、外側にある世界の方だ。だったら自分の世界を否定するものを壊さなければならない。自分の世界の外にあるものを、壊して壊して壊して、そうして自分の世界だけを守らなければいけないのだ。


 僕は、自分と正反対な人間に鹿波谷日波を選んだことを、正しいのだと実感した。


「というわけで、死んで」


 未だに僕に馬乗りになっている千波が、僕の首にその両手を伸ばしてきた。

 

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