第12話
四日後。僕は電車の中で、志乃葉さんに貰った薄っぺらい冊子を読んでいた。
毎回毎回、面白い話を書く人だと思う。ただ、必ず人は死ぬが。
「梓はさ、いまどんな気持ちなの?」
昨日、パソコンに向かいながら、唐突に志乃葉さんが聞いてきた。
「別に何がどうということもないですけど」
「ふぅん……そう、そっか」
結局、この問いに何の意味があったのか。ただなんとなく聞いただけなのか、よく分からない。
「梓は自分と正反対である《本物》が近くにいても平気なわけ?」
「いい気分ではないです」
「そりゃあそうよね。よしよし」
「志乃葉さんは嫌なんですよね」
「あんなの近くにいたらストレスで死んじゃうって。《本物》と《偽物》は、所詮相容れないのよ」
「その定義の最低条件は、誰が決めたんですか?」
「世界」
聞くと、これ以上ないくらいにあっさりとした答えが返ってきた。この定義が曖昧な言葉を、志乃葉さんはどの単語よりも愛している。
「この場合、世界っていうのはあくまでこの地球のことね。人は人の社会の下では不平等だけど、地球の下では平等なんだから」
「訳のわからない自分的世界理論はいいので、はやく話を進めてください」
「じゃあ黙って聞けガキ」
睨みつけられた。構わないけど。
「偽物は、世界を認めない。自分の世界を、ってことだけど。地球というか、私たちの世界を取り囲んでいる世界にしてみたら、ちょうどいい数あわせってことよ。本物ばっかりでも、つまんないしね」
それはあなたの趣味の問題です、と心の中で呟いておく。
「しょうがないんじゃない? 生きてるだけでありがたいなんて思わないけど、生かされているだけまだマシさ。どうせ、偽物なんて死に損ないなんだしね」
あっさりと言える志乃葉さんを尊敬する。僕には言えない言葉だ。死に損ないなんて。
「志乃葉さん。あなたはまだ、自分の殺人衝動に駆られて、文を書いているんですか?」
「当たり前。当然だね。衝動が抑えられないから書く。書いても書いても書いても足りないんだけどさ。私もそろそろ、限界だよ」
疲れた口調で、志乃葉さんは言った。
「それなら、僕を殺してみませんか?」
そう言った僕の顔は、どんな表情をしていたのかわからない。多分、無表情。でも、志乃葉さんは馬鹿にしたように鼻で笑ったので、実際は違うのかもしれない。
「ガキが生意気言ってんじゃないわよ。私が殺すのは、紙の上でだけだよ。それでも殺されたいんだったら、登場人物にでもなるんだな」
紙の上でしか人は殺さない。それは、ずいぶんと前から変わっていない。こんな性格をしているくせに、まだ彼女は何も殺していない。少しだけ、うらやましい。
僕はできるなら、彼女の書く小説の被害者でありたかった。ある時そう言ったら、「人に頼って死ぬ死に方は、馬鹿の死に方だよ」と言われてしまった。
志乃葉さんは、当然のようにあの時から変わっていない。かく言う僕も、変わってないのだけど。
それにしても、彼女の言う、世界が定める定義は分かり難い。そもそもあれが本当に世界の定義なのかも怪しい。
でも偽物には二つだけ、本物とは違う共通点がある。
それは、自分を嫌いという点。もう一つは、体のどこかにためらい傷の痕があるという点。
志乃葉さんが選ぶ《偽物》には、必ずそれがある。それは、一度死のうと思ったけど死ねなかったということ。
僕は、志乃葉さんが描く登場人物をうらやましく思いながら、冊子の最後のページをめくる。
電車が走るたびに立てる音が、気持ちよく耳に届いてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます