第11話
要求された掃除を一段落させ、コーヒーのカップを彼女の前へ置いた。
台所まで紙に占領されていたから、片付けるのに時間がかかったが。一体何を食べていたんだろう。この人は。
パソコンの前から横に移動した彼女は、今僕の前でコーヒーを飲んでいた。
内藤志乃葉さんは、僕と同種。先輩みたいな人だ。職業は、物書き。
昔、僕があの男のせいでこの世界に放り出されてしまった時、彼女は僕に名前と、生活する上で必要なことの大枠を教えてくれた。今思えば便利に使えるように仕込まれただけのような気もするが、そのおかげもあって一人暮らしなんていう待遇も許されているので、感謝しなければいけないのだろう。
そして、独自の言葉の定義と世界観を教えてくれた。
『偽物なら、変わらない。本物なら、変わる。それだけ。偽物は、ずっと同じ世界を引きずっていく』
後になって分かったことだが、彼女の言う世界とは、彼女から見た世界であり、偽物とは、成長しない彼女自身のことだ。精神年齢というのとはまた違うもの。志乃葉さんが決めた世界の中で、そうだと『固定』された子は、身長、体重、髪型、行き過ぎるとその日の気分まで、固定された日と同じになってしまうらしい。僕はそこまでではないが。
故意に自分の成長と、世界を止め、それに満足して、いつまでも同じで居続ける。それは、最初からそうなるように決定付けられていたようにそうなる。運命なんて、また安っぽい言葉だが。
志乃葉さんがこうなってしまったきっかけは、中学時代のいじめと、家庭環境のせいらしい。詳しくは知らない。この人の『異能』が一体どの程度の力なのか、僕はいまだにつかめない。
「はー。っと、で、私の忠実な下僕たる梓くんは、一体何用で私のもとを訪ねてきたのかな?」
と、カップを両手で包みながら首をかしげると、ずぼらな生活をしているはずなのに、やけに綺麗な、腰まである黒髪が肩から流れた。そういうところと顔だけは、女らしい。そして、コーヒーを飲むと、何故か機嫌がよくなる人だ。
「話すなら話す。話さないなら掃除。どっち?」
「話します」
これ以上雑用するつもりはない。
面倒だったが、適当に省いたりはせずに最初から話した。志乃葉さんは、黙って話を聞いている。
話が、昨日の侵蝕のことに触れた時だった。
「そこで、君の世界は破壊されちゃったわけだ」
「そうですね」
「平気なの? 梓。壊れちゃってない?」
「僕は狂ってません」
やけに心配そうに言っているが、また新手のからかいだろう。案の定、舌打ちが聞こえた。
「大丈夫ですけどね。すでに修復はしてますし」
「ま、そうだろうけどね」
飲み干したカップをテーブルの上に置き、背中をのけぞらせる志乃葉さん。白い首元には、鎖骨に平行な一本の線がある。
元の姿勢に戻って、志乃葉さんは僕を嘲笑うように目を細めた。
「君の世界は、もう変われない。本物じゃないから変われない。きっと死ぬまでそうなんだろうね。自覚しちゃったし」
「光栄ですよ」
僕は素っ気なく返す。
「可愛くないガキ」と言って肘をつく志乃葉さんは、見ていて飽きない人だ。顔も言動も年相応ではないからかもしれない。
「で、続きは?」
「もうありませんね。あとはその鹿波谷日波に、プライベートなことを突っ込まれたくらいです」
「なんだ。もうないのか」
目に見えてがっかりされるが、僕はこれ以上話題なんて持ってない。
「なくても、志乃葉さんなら問題ないでしょう?」
「そりゃあ、まぁ、ね。いま聞いた話だけで問題はないよ。どうせ梓はこの出来事の結末を聞きに来たんだろうし?」
「そうですよ」
「じゃあ聞くけど、梓はどういう結末がいい?」
頬杖をついて、志乃葉さんはこともなげに聞いてくる。だけど僕に結末を決めることはできない。
「それは志乃葉さんが決めることじゃないんですか?」
今までの例を振り返って聞いてみるが、志乃葉さんは意味深長に笑うだけだ。
「なら、質問を変えようか。その鹿波谷の双子、どっちが梓にとっての《本物》だと思う?」
本物と、偽物。
志乃葉さんが言う定義の中で、僕は志乃葉さんと同じく偽物。では、鹿波谷日波と遠藤千波は、どちらが本物だと思うか。それはつまり、自分とは違うタイプの人間はどちらなのか、と聞かれているに等しい。
「……日波、の方じゃないですか?」
「成る程、それはどうして?」
「特に理由はないですけど、嫌いなタイプだったからです」
根本的に、あの男と同じく目的のためなら手段を選ばないタイプのように見えた。つまり僕とは相容れない存在だ。
それに、人殺しはどちらかといえば僕と近しい生き物だろう。
「なるほどね~。それは納得」
「それに、僕が会ったのが鹿波谷日波なら、日波は誰かを殺すなんて手段は取らないと思いますよ」
それは、彼女と意図せず交換してしまった記憶の中からも感じていた。彼女の記憶からは、そこまで強い憎しみが感じられなかったからだ。
僕の意見を聞いて、志乃葉さんはふむふむと何度か頷くと、またパソコンの前に移動した。話の大筋は決まったらしい。
「それならやっぱり、自分の父親を殺したのは千波にしようか」
「何かどんでん返しがない限り、それが正解だと思いますよ」
外部犯という可能性は、ここでは捨て置く。要するに、僕たちにとって都合の良い結末は何か、という話をしているだけなのだ。
千波に『異能』があれば保護をするし、なければ処分なり、警察へ引き渡すなりの対処を考える。それだけのことだった。つまるところ、僕たちに真相など関係がない。
「さて、じゃあここから肝心なのは、遠藤千波の動機だね」
にやにやと口元に楽しそうな笑顔を浮かべ始める志乃葉さん。こういう時は生き生きする人だ。人の不幸はなんとやら、の精神なのだろうか。僕には理解できないが。
しかし、実際に遠藤千波が父親を殺したとしたら、その動機は重要になってくる。彼女は一体、何のために父親を殺したのか。そして、他のアパートの住人は何に巻き込まれたのか。
「ま、それに関しては本人に聞いてもらうのが一番だから。よろしくね、梓」
「はぁ……」
「ほらそこ、嫌そうな顔をしない。自分で首を突っ込んだことでしょうが」
正しくは、首を突っ込まされた、だ。僕が望んでこの事件に関わったわけではない。いつだって僕自身は穏やかに生きたいと願っている。
「動機もでっち上げればいいんじゃないですか?」
いたって素直なお願いだったのだが、志乃葉さんはとても嫌そうな顔をした。
「梓、人はなぜ行動すると思う?」
おまけに、びし、と指で差された。何故行動するのか、と聞かれても困る。答えに困っていると、志乃葉さんは僕の答えを待たずに持論を話し始めた。
「それはね、感情があるからよ」
「はぁ」
「感情とは欲求であり、欲求はつまるところ感情なの。感情があるから人は時に大変な事件を起こす。そして行動とは、目に見える感情の結果でしかない。大きな事件っていうのはそれだけ大きな感情の結果、というわけ」
それが、志乃葉さんが動機をでっち上げられない理由なのだろうか。
できの悪い生徒を見るように、志乃葉さんはやれやれと肩をすくめる。
「何かをしでかす時の動機って、ほとんど感情で占められてるでしょう? それに事件によってはその人に深く根ざした物だったりするから、私が手を出せる所じゃない。そこを捏造できるなら、そもそも事件なんて起こさないっての」
「……まぁ、そうですね」
自分が好きな娯楽を生み出せるなら、志乃葉さんはそれを行いそうではあるが、とは口が裂けても言えない。言ったら机が飛んでくる。
「だから、その部分は毎回梓に埋めてもらってるでしょ? だから今回もそこだけ埋めてもらえば、あとはちゃんと望んだ結末になるようにしておくから」
「今の段階で、結末のイメージはあるんですか?」
「現段階では五パターンくらいかな」
「一番ましな結末は何ですか?」
「そんなの、読者によるからなんとも言えないな」
志乃葉さんの背もたれが、軋んで音を立てた。
「志乃葉さんにも出来ないことがあるんですね」
「はー……。梓は私のことを何だと思ってるのかな? できないことのが多いに決まってるじゃない」
できないのではなく、やらないだけのような気がするけど。
「しかしま、犯人が外部犯であれ、遠藤千波であれ、何かしらの『異能』は持っててもおかしくないって思ってた方がいいかもねー。殺傷系だと厄介じゃない?」
「消していいなら問題ないです」
それを決めるのも、僕ではない。あいつが決めることだ。異能者の取り扱いに関して、この事件においては奴の預かりになっているだろう。しかし、あいつのことを言うと志乃葉さんは人が変わるので、名前や連想させることは黙っておく。
「あ、そうだ。拾ったっていうペンダント、貸してくれない?」
「いいですよ」
コートのポケットに入れっぱなしだったペンダントを、差し出された志乃葉さんの手のひらに置く。やけに爪が短い。
「どうするんですか?」
尋ねると、猫のように目を細めた。
「ちょっと細工をね。大丈夫だよ。悪いようにはしないから」
されると困るんですけど。一応人の物だし、日波に返そうと思ってたから。
「んじゃ、梓。掃除の続きよろしくね。それと、寝る部屋はいつも通り向こうの部屋のソファだから」
「わかってますよ。なるべく、早く終わらせてください」
「心配しなくても、すぐに全部終わるわよ。今回は。……あの男が、無能じゃなかったら、の話だけどね」
珍しく、志乃葉さんの口からあいつを連想させる言葉が出た。よほど、今回は楽なのか、それとも、というところだ。
いざとなれば、僕も考えてないわけじゃないからいいか。そうならないことを祈るけど。しかし用心に越したことはない。まぁ、この二人が何かを外すなんて考えられないことだけどね。
なんて思いつつ、僕はまた散らかり始めた紙を、ただひたすら集めることに集中した。
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