第10話


 駅から電車に揺られて三〇分。


 降りた先は、右も左も前も後ろも団地やマンションが立ち並んだ住宅街。そんな町の中央を、鉄道の線路が貫いている。


 その人は、そんな町のちょうど中央にある駅から、十五分ほど歩いた距離に位置するワンルームマンションの一階に住んでいた。


 約一ヶ月ぶりに会いに行く。きっとまた雑用をやらされるのだろうが、仕方ない。


 チャイムを鳴らす。応答なし。これもいつものこと。勝手にドアを引いて中に入ると、以前来たときと同じく、玄関は何が書いてあるのかわからない、白黒の紙で埋め尽くされていた。


 なんとか散らばった紙を一ヶ所に集めて靴を脱いだ。廊下も同じような有様だったが、こんなところまでいちいち片付ける必要はない。


 ダイニングへ繋がる扉を開けると、そこはもう、床一面が紙に占領されていた。


「こんにちは」


 扉に背を向けて、足の長い黒いテーブルの上に置いたパソコンに向かっている内藤志乃葉しのはさんへ、一応挨拶の声をかけた。


「誰?」


 椅子の背と背中に挟まれた彼女の髪は少しも動かず、彼女は後ろの僕へ聞いた。


「名嘉街です」


「あぁ、梓ね。そろそろ来ると思ってたよ」


 それでも振り向かない。いつものことなので、要求するのはやめておく。


「というわけで、掃除よろしく」


「文章繋がってませんよ。というわけってどういうわけですか」


「そういうわけだよ。察しなさい」


 無理です。今の話の繋がりと何の関係もないじゃないのに、一体何を察しろと言うんですか、あなたは。


 要求されているのは掃除。志乃葉さんの中では、僕=掃除という方程式が成り立っているのかもしれなかった。


「僕も忙しいんですけど」


「ここに来る暇がある人間を、私は忙しいなんて定義しない。観念して掃除して」


「嫌です」


「この部屋、片付けてくれたら梓の話もちゃんと聞いてあげてもいいよ」


「…………」


 この自己中でわがままな完全利己主義者に何を言っても無駄だ。知っていたけど。


 キーボードを叩く音がする中、僕は聞こえないよう静かにため息をついた。


「ため息つかないで掃除。それが終わったら私のためにコーヒー淹れてね」


 プラスアルファがないと、ちょっとはやる気になるのにな。


 思っていてもしょうがない。


 僕は観念して、まずは部屋に散らばり、今もなおテーブルの上にあるプリンタから吐き出され、散らかされる紙を拾いにかかった。


 従順な召し使いという言葉が、頭の中に一瞬浮かんで消えた。


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