第9話


『大丈夫、ちゃんとおうちに帰れるようにしてあげるから。だから心配しないで』


『僕は帰りたくないです』


『そんなこと言っちゃだめ。子どもは家族と一緒じゃなくちゃ』


『先生、でも』


『梓くんは、何も心配しなくていいの。先生、ちゃんと分かってるから』


『…………』


 あの家で、僕がどんな扱いをされていたのかも知らないのに。


 だけどそれは言葉にはならなかった。


 僕の言葉は脆弱で、意味がない。通じない。誰の心にも、届かない。




「どうしたの?」


 ぼんやりと、今朝見たばかりの夢を思い出していたら、前から声がかかった。


 顔を上げると、日波が湯気の出ているマグカップを持ってこちらを見ていた。


 うっかり目を合わせそうになって、慌てて目をそらした。


「どうもしないよ」


 そう。どうもしない。どうもしないんだ。


「僕は今日、出かけるけど。君はどうするつもり?」


「んー……。特にないな」


「じゃああいつのところに行ってこれば? 聞けば、暇なら答えてくれる」


「そうする」


 よし。これで家からこの女を追い出すことができる。


 僕は、久しぶりにあの人のところに行くことにした。昨日思い出したことだし、それにこれ以上、あいつのいいように使われたくない。


 家を出るときは一緒で、鍵は彼女に渡しておいた。しばらく帰れないだろうから。


「部屋使うのはいいけど、散らかさないでね」


「そこまで図々しくないよ。私」


 それを最後に、僕は彼女とは反対に、駅へと足を向けた。

 

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