第7話
目を開けた。ぼんやりとした景色が見えた。
どうして見えるのだろうか。
少し、疑問。ポケットに入れたままにしておいた携帯電話を取り出すと、すでに七時を回っていた。
そうか、だから見えるのか。
妙に納得しながら、僕は仰向けに寝かされていた状態から起き上がった。気分は最悪だ。頭がズキズキする。さっきまで何の夢を見ていたのだろう。覚えていない。
ふと気付いて、辺りを見回した。
そこは見たことのない景色だった。
僕は、簡易ベッドに寝かされていたらしい。それには、ストレッチャーのように脚に車輪が四つ付いていた。隣においてあるパイプ椅子に、僕のコートがかけてあった。
部屋の壁際には、明らかに治療用と見える機器がずらりと並んでいる。
どこだ、ここ……。
とりあえず、自分はまだ何もされていないようなので安心した。
簡易ベッドから降りる。
「おはよう、梓」
聞き慣れた声に振り返ると、やはりというかなんというか。奴が立っていた。
「驚いたよ、いきなり往来で絶叫したらしいね。思春期というのは何をしでかすのか分からなくて、本当に恐ろしいね」
「うるさい。誰が思春期だ」
パイプ椅子に引っかかっていたコートに腕を通して、嘲弄してくる奴を睨む。
「しかし残念だ。ケータイに連絡が入らなかったらその光景を観察出来たのに。絶叫する梓なんて貴重だろう?」
観察する気だったのか。人をなんだと思っているんだ、こいつ。
まぁ、どうせ聞いたところで「研究体」とか何とか言われるから聞かないけど。
喋ると頭に響いた。
でも訊きたいことは山ほどある。
「どうしてお前が、そのことを知ってるんだよ」
「彼女に聞いたから」
奴の答えはとても単純だった。
その時僕はよっぽど不機嫌な顔をしていたらしい。奴はやれやれとでも言うように両手を広げて肩をすくめると、僕に部屋から出るよう促した。
奴に連れられて、廊下を曲がる。廊下に見覚えがあるから、多分いつも来ている病院だろう。予測は当たって、いつもの診察室へ通された。
主治医の先生から、目の観察と簡単な問診を受ける。目立った異常はなし。いつものようにあとは様子見、ということで診察室を出た。
それで終わりではなく、病院のロビーへ連れて行かれた。
夜の七時も過ぎているため、ロビーにほとんど人はおらず、照明も最小限だ。しんとしている。そんな中、待合の椅子に座っている子が一人。
奴は迷うことなくその子の所へ近づいていく。
その子の顔を見て、思い出した。
さっき僕が気を失う前、最後にぶつかった女の子だった。首元にかからないくらいのストレートの茶髪。強気なのが分かるつり目、適度に日に焼けた肌、しかし表情は硬く、不機嫌そうに口を結んでいる。普通の、年相応の格好をしている女の子だ。多分、中学生くらいだ。首に、僕がこの前拾った銀プレートのペンダントと同じ物がかかっていた。
「まぁ座りなよ」
僕も、奴に倣って少し離れたところの椅子に座る。
彼女は少々戸惑っているみたいだが、しっかりと奴を見据えていた。
「で、彼女はなに?」
「聞きたいことは自分で聞きなよ」
「説明して」
「自分で聞けるだろ?」
「喋りたくないんだよ」
できる限り冷たく吐き捨ててやった。
彼女は表情を崩さない。仏頂面。どこかで見たことある顔だと思ったけど、なぜか思い出せない。頭の痛みが、それをさえぎっているようだ。
「早く」
「分かったよ、仕方ないね。さすがの梓も女の子と話すのは照れると見える」
一気に聞く気が失せた。でもここで怒ったらなんか、今以上にからかわれそうだから黙っておく。
「梓が絶叫して気を失った後、その子が連絡をくれたんだよ。君の携帯からね。俺もちょうど仕事が終わっていたから迎えに行ったんだ。そしたら君はかなり衰弱していたから、ひとまずここの部屋に移動させて、その間、少し事情を聞いてたんだ。分かった?」
「わかった。でもどうしてここなの?」
「部屋が空いてなかったから」
なるほど。
「で、この子誰?」
僕は彼女を改めて見た。ジーパンに白い長袖のシャツ。その上に黒いベストを着ていた。隣に置かれた大きな鞄が目につく。
「
あっさり答えられた。彼女は相変わらずぶすっとしていた。その言葉で、頭に引っかかっていたことを思い出す。
この間見た遠藤千波とそっくりだ。瓜二つといってもいいくらい。そっか。そうなんだ。ふーん。
僕は奴を見た。
「……嘘つき」
「誰が?」
お前が。もう信用しない。でも、信用するしないに関らず、縁が切れないのは厄介だよな。
疲れていたので、これ以上は何も言わずに椅子の背に凭れた。
「……どうしてくれんのよ」
唐突に、低く、恨みがましい声がした。無視しようにも、ちょうど自分の斜め前だから無視できない。
彼女は、そろえた膝の上で両手を握り、キッ、と僕を睨んだ、ような気がする。嫌な予感がしたので、僕は彼女を視界から消した。
「どうしてくれるのよ。私のクリームメロンパン!」
きっと、拳を固く握り締めて僕に向かって怒鳴ったのだろう。
僕は理不尽な怒りというやつが嫌いなので、耳をふさいで現実逃避。それでも彼女の声は聞こえてくるので、よほど大きい声で喋っているらしい。
あぁ、うるさい。
「一日三十個の限定商品だったのに。これを食べるためにわざわざ電車乗り継いできたのに。あんたにぶつかったりしなければ、あんたと目を合わせたりしなかったら、私は今ごろクリームメロンパンを堪能してたのに! あぁもう! なんでこんな奴のために電話なんてかけちゃったのよ。あーもう私の馬鹿。お人好しー。メロンパン食べたいな~」
後ろから二番目の台詞が、耳に痛かった。
耳から手を離す。
「メロンパンはもういいから。君は何か見たの?」
聞くと、握っていた拳を開いて、鹿波谷日波は椅子から立ち上がり、僕の方へ寄ってきた。
「教えて欲しい?
「そうしてもらえると嬉しいね。鹿波谷日波」
「盛り上がっているところ悪いけど、今日はもう帰る時間だ。ここも閉めるから」
僕と彼女の間に入ってきたのは、今まで傍観に徹していた奴。
「日波ちゃん、行くところがないなら今日は梓の家に泊めてもらうといい」
それだけ言って、早々に奴は会話から逃げた。反論する暇もない。彼女は傍らの鞄を肩にかける。立ち上がって駐車場に向かう道すがら、奴は彼女に聞こえないよう会話を切り出した。
「今回の侵蝕は、酷かったみたいだね。いつもは悲鳴なんて、絶対あげないのに」
「酷かった、なんてもんじゃなかったよ。余計なものまで、ついてきた」
もちろん彼女のこと。
「彼女は、君の過去のことを知っていたよ」
「そう」
たいして興味のあることじゃない。昔のことを思い出したところで、それでまた苦しむ羽目になるだけなのだから。
「でもま、精密検査してもいい結果は期待できないだろうね。君の身体が、現在進行形で何かに蝕まれてるっていうのに、いまだ原因不明だし」
僕は奴を見上げるのをやめた。痛む首をさすりながら、当時のことを思い出す。
〝侵蝕〟は、三年前、入院中に突然、何の前触れもなく僕の右目を襲った。毎日六時から七時にかけて突発的に。それ以来、右目はずっと視力が低下し続けている。原因は、さっきこいつが言ったように不明。いずれ見えなくなるだろう、とこいつには言われたが、実感がない。当たり前だが、僕は光を失ったことがないのだ。
僕は姿勢を正し、息を吐いた。
「いいよ。どうせ使い物にならなくなるんだからね、僕は。だからあんな風に扱われたし、世界からも切り離される。それ故に、偽物なんだよ」
僕の目は、だんだんと衰えていく。身体も、きっとそのうちなにかに喰われるだろう。
僕は世界の邪魔者なんだ。
頭に、奴の手が乗せられた。
「そうマイナスに考えることもない。まだそうなるとは、決まってないんだから」
慰めるように言う奴は、僕を励まそうとしているか。それとも、ただの気まぐれで言っているだけなのか。よくわからなかった。
そんなことをしているうちに、駐車場に着いた。どうしてうちなのか、と聞けば、彼女は家出中らしい。それでどうやって生活してたんだろう。そんな僕の疑問など関係なく、鹿波谷日波は、僕の家で一夜を明かすことになった。
やれやれ……。
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