第二十三話 心に響く思い(3)

「何を着ていこう。そうだ、着ていく服は、何が良いのだ?」


 少し、上品な服が良いんだろうか?

 街で買ってもらった服が良いのか?

 それとみ、ローズが作らせた、あの洋服が良いのか?

 けれど、あの服は、普段着だと言っていた気がする。

 じゃ、ダメじゃないか?


 夜、シャトレーヌが着せてくれた、和服みたいなのがあったな。

 枇々木ヒビキが、着てる姿を見てみたいと言っていたのを思い出した。

 

「よし、服はこれにしよう。後は……」

 髪型がわからないな。

「まあ、良いか。後ろに束ねて、馬の尻尾みたいにしてみよう」

 ローズかシャトレーヌが居れば、色々決めてくれただろうけど、これはこれで気に入った。

 化粧?

 どうするんだ?

 それは、諦めるか。

 しょうがないのだ。


 覚悟を決めて、リビングルームに向かう。

(あれ? 使用人達がいないのだ。いつもなら、朝の準備をしているはずなのに)

 全く人気がないわけではないが、少なくとも、リビングやキッチンには、誰もいなかった。

(途中で、人に見られたらどうしようと思っていたから、丁度良いか)

 

 リビングルームからは、灯りが漏れていた。

 枇々木ヒビキは、起きているようだ。


(あ、あれ、足が、動かない……)

 着なれない服のせいか、足が止まってしまったのだ。

 胸の周りも、きつい気がする。

 コップの音が、カチャカチャとしている。

 何か飲んでいるようだ。

 ペラペラと紙をめくる音、そして、ペンで書き込む音。

(原稿を見直しているのかな?)

(昨日、徹夜したのかな?)

 部屋の入口付近で、ひとり悶々としている私。


 スゥーと深呼吸をして、リビングに入る決意をし、枇々木ヒビキの座るテーブルに近づいていく。


「あ、あの。ひ、枇々木ヒビキ、さん!」

 『さん』の所は、小さな声になってしまった。

 枇々木ヒビキは原稿に夢中で、直ぐには、こちらに気が付かない。

「えっ? 枇々木ヒビキさん?」

 聞きなれない呼び方をしたせいか、少し驚きながら顔を上げる枇々木ヒビキ

「あっ!」

 私の着物姿を見て、枇々木ヒビキの動きが止まった。

 そして、手にしていたペンを、

(また、この人は、ペンを落とした! あれだけ大事だと言っていたのに)

 けど、今回のは、ちょっと嬉しかった。

「あ、あの、あの、あの。リリィさん、どうしたのかな? こんなに朝早く。それに、綺麗な服を着て」

 枇々木ヒビキも慌てている。

 ペンを拾い直し、私に尋ねてきた。

「返事を。ちゃんと返事をしてなかったと思って」

「返事?」

「あの小説の返事! してなかったと、思って」

「あ、ああ。そういうこと?」

 そう言いながら、枇々木ヒビキはカップを手に持って飲もうとしたが、中身は空だった。

「あ、あの、だな。返事は、だな。うん、だ」

「へ?」

 あろうことか、こいつは、聞き返してきた。

 私は、着物の裾をギューと掴みながら、もう一度伝えた。

「返事は、”うん”だ。OKだ!」

 つい声が大きくなった。

「うん」

 枇々木ヒビキが、それだけしか言わない。

「ちゃんと返事はしたぞ。お前はそれだけか?」


 そう言い終わった瞬間、枇々木ヒビキは、私を抱きしめていた。

 そして、こう言った。

「うん、ありがとう。リリィさん」

「い、言わなくても大丈夫と、私は思ったんだが。シャトレーヌが、だな。ちゃんと返事をしろと。ちゃんと口で伝えて貰えと、言うから」

「そうか」

「そうか、と言うだけか?」

「リリィさん、OKしてくれてありがとう」

「う、うん」

 今度は、私の方が、短く返事をする。

「私は、もう二度と、元居た世界には帰れないのだ。責任取ってくれるな?」

「うん。リリィさん。心配しないで」

「本当か?」

「どうやって、証明すれば良い?」

「私に、聞くのか? なら、血判状でも書いて……」

 そう言いかけた時、枇々木ヒビキの唇が、私のと重なった。

「……?」


 それは、一瞬の出来事だった。

 なのに、長い時間だったような気もした。

「ご、ごめん」

 枇々木ヒビキは、謝って来た。

「なんで、謝るのだ?」

 自分の情けない顔を見せたくなくて、枇々木ヒビキの顔が見られない。

「あ、謝らなくても。……、良い、のだ」


 その間、リビングルームには、私と枇々木ヒビキの二人だけだった。


「あの。そろそろ戻らないと、他の人も、来る。この格好で、みんなと普通に会うのは、恥ずかしいのだ」

「あ、そうだね。でも、……。ちょっと、残念」

「……」

 二人とも、黙ってしまった。

「フェイスや、ローズ達にも、ちゃんと伝えないとな。色々と助けてもらっているし。その時、この格好では、上手く喋れなくなりそうだし」

「そんなに、余裕ないの?」

揶揄からかうと、本当に息の根を止めるぞ。ちょっと、息苦しいのだ」

 枇々木ヒビキの目も直視出来ない、今の自分が言っても説得力がない。

 だが、普通の女の子では無かった自分が言うと、どれくらい一杯一杯なのかが、実に良く伝わる言い方だ。

「あ、そんなに大変なんだ。じゃ、しょうがないね。待ってる」

「うん。着替えてくる」

 私は自室へ着替える為に、いったん戻った。

 少し名残惜しい気持ちもあるが、また普通の一日が始まるので仕方がない。

 

 着替えて戻ると、使用人のみんなが、キッチンで朝食の用意を初めていた。

 使用人達が遅く来たのは、シャトレーヌが使用人達にお願いしていたからだと、後で聞かされた。

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