第五話 ”帝国の黒き重圧”、最後の命令
国境付近の岩場には、人気はなかった。
ここは、帝国と皇国が最も近い所。
勃興してきた帝国に対して、事あるごとに皇国は介入してきた。
帝国と皇国は、仮想敵国の関係にある。
だから、国境の警備は、どこも厳しい。
親方様でも潜入を許さない、鋼鉄の様な見えない壁が、張り巡らされていた。
ここにも、その気配を強く感じる。
一人、二人。全部で三人。
特に強いのが一人。
気配は感じるが、遠すぎて私にも場所が特定出来ない。
一人では、生きて潜入出来る気がしない。
けど、それでも行きたい。
今は、異世界人が皇国に連れ去られた件で、近くの外交官邸で朝から延々と交渉が行われているようだ。
そちらに、警備も力を割かなければならないはずだ。
だからずっと、張り付いているわけはない。
自分の気配を悟られないようにしながら、機会を待つことにした。
誰かが交代で入れ替わる時、その時がチャンスのはずだ。
そうして機会を伺っていると、背後から声を掛けられた。
「リリィ。お前でも、これを突破するのは難しかろう」
「……!」
振り向くと、親方様がそこにおられた。
緊張で心臓が高鳴っているのがわかる。
この圧倒的な重圧感。
かつて、現場に出られていた時は、いつもこうだったのか?
執務室にいる時は、これほどではなかった。
失敗した私を、始末しに来られたのだろうか?
でも、おかしい。
親方様自ら、現場に来られるなんて。
「はい。3人程、強く警戒している者がいるようです」
勤めて冷静に返した。
「いま、近くの外交官邸で、交渉が行われているのは知っているな」
「はい」
「交渉が長引いている。我らも裏から圧力をかける為に、総がかりでそちらへ向かうことになった」
「はい」
(ああ、私にも、一緒に向かえと言われるのか)
私は絶望感に打ちひしがれた。
(そうなれば、あの人には、もう会えないな)
「これから、私もそちらに向かう。さすれば、ここで警戒している者達も、私を追ってくるだろう」
そう言われながら、親方様は、袋を私に投げてよこした。
「リリィ。お前は、その隙に”皇国に潜入”せよ」
(えっ? 私は、潜入?)
私は、その言葉にときめいていた。
「はい」
少し、声が震えていた。
「ん? どうした、リリィ。泣いているのか?」
「い、いいえ」
目に溢れているかもしれないが、涙は流れていない。
だから、こう答えた。
「つらくて泣いているのか?」
「いいえ」
「任務を果たした後に、死ななければならないことを悲しんでいるのか?」
「いいえ」
「では、嬉しくて泣いているのか?」
「……」
私は、返事をすることが出来なかった。
涙が仮面の下から顎の下をつたわって、ポタリと落ちていた。
親方様は、私を静かに見つめられて。
「そうか」
目を軽く閉じられながら、答えられた。
表情は、変わらない。けど、いつもより優しい表情をされている気がする。
親方様は、渡した袋には潜入後の衣装が入っているとお話下さり、命令された。
「では、行け!」
そう言い放つと、親方様は、気配をさらに強くされた。
まるで、これから戦でも始められるかの様に。
近くの岩場をワザと砕いて大きな音を出し、去って行く。
皇国側の警備の目を引き付ける為だ。
私は、後ろ姿を最後まで目で追っていたが、直ぐに見えなくなった。
皇国側で警戒していた二人の気配は、後を追うように消え去っていった。
最後に残った者も、やがてその気配が無くなった。
全ての気配が無くなり、私は立ち上がった。
「行こう」
私の鼓動は、嬉しさで高鳴っていた。
素早く谷を下っていく。
足が、とても軽い。
少しの岩場でも、踏み外す気がしない。
わずかな足掛かりでも足場にして、スルスルと飛び降りていく。
谷底について、今度は河を渡る。
小さな岩場、僅かな広さの中州、流れていく浮木。
それらを1つ1つ、踏み外さず、河を越えていく。
(もうすぐ森の中。そこに入れば……)
対岸に辿り着き、今度は駆け上がる。
手で軽く岩や、木を掴みながら、飛びあがって行って、あっという間に森の中に入ることが出来た。
(すこし、無理をし過ぎたか?)
ハァハァと息が少し上がっていた。
少し息を整えると、森を駆け抜けていく。
(あいつに会ったら、何を聞くか?)
走りながら、私は色々詰問する内容を考えていた。
(私の姿を見ても、何故恐れなかったのだ?)
(最初から最後まで、私の目から視線を逸らさなかったのは何故なのだ?)
(何故、避けられたのだ?)
(あそこを離れてから、何をしていたのだ?)
(何故、あなたと私の出来事を元に、あの「本」。「小説」と言うのを書いたのだ?)
(何故、そこまで、私に拘るのだ? 私は、ただの暗殺者なのに。)
(今は、何をしているのだ? まだ、続きを書こうとしているのか?)
(次は、何を書くのだ?)
(書いていることが、この世界の国々に影響を与えているのは知っているのか?)
(1人で書いているのか?)
(あまり強そうじゃないのに、身の危険はないの?)
(脅されて書いているだけじゃないのか?)
深い森は、もうすぐ抜ける。
道へ出る前に服を着替え、再び走り続けた。
(もう直ぐ、もう直ぐ、あいつのいるはずの街に着く)
(そして、聞くのだ。さっき考えたことを)
(そして、そのあと、私は……。私は……)
「私は、何をすればいいのだ?」
街に入ると、私の足は止まってしまった。
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