第2話 太極拳と西洋のスポーツ
西洋発祥の各種スポーツとは、狩猟の為の肉体の鍛錬から「自分探し」のための魂の鍛錬という方向へ行くはずでした。その意味では「中国人の太極拳」と同じく、よりスピリチャルな方向に向かうべきだったのですが、結局はゲームという遊びになってしまった。ギリシャ時代に始まった西洋人の真面目で根源的な自分探しという努力(スポーツ競技)でさえ、いつの頃からか、学問・お勉強かゲーム(という遊び)に落ち着いた(堕落した)のです。
世界中で中国人だけが、太極拳という「魂の武道」を本来の意義通りに伝え抜いてきている。
また日本人も、その中国人の影響なのか、なんでも「道」にするという精神的な特性を持っている。茶道・華道・合気道・柔道・剣道・弓道等々。
日本拳法の場合、この記事で紹介されている張軼蓉さんの若い時のように、まだ「チャンピオンにこだわる若さ」の時代であり、これを道にするには、現在、大学日本拳法に関わる人たちが、太極拳のような武道によって張軼蓉さんのように「対極に目覚める」時代を待つしかない。何年かかるかわからないが、少なくとも全く道を失った(ゲルマン民族を除く)欧米人や韓台人よりはマシでしょう。
なぜ、ゲルマン民族に魂への道が見えるのかといえば、現在の彼らはかつての黒人奴隷と同じで、第二次世界大戦終了後から現在に至るまで「ナチス」という焼き印によって執拗に激しい迫害を受け続けているからです。
ナチスの功罪とその是非は私にはよくわかりませんが、現在、彼らが被っている凄まじいまでもの「魂の虐殺」は、彼らゲルマン民族をより一層強くする道を往く上での強力な原動力となるでしょう。彼らは300年来のカント哲学(「純粋理性批判」)と、現在直面している「魂の迫害」によって、アヘン戦争(1840~42年)爾来の(欧米人による)迫害から復活した中国人と同じ道を辿るにちがいない。中国人が、西洋人による「魂の虐殺」に曝されることで本来の自分に目覚めたように、一皮も二皮も剥けた本来のゲルマン民族(の魂)に近づくことができるのです。
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