5-1
新月の時が来た。
どの国にも有事の際に要人を逃がす抜け道というのは在る。特にシャンパーニュは戦争が盛んだったのだから。
地下道は複雑な迷路になっていて、道を知らない者が一度迷い込めば二度と地上に上がれないだろう事は、所々にある朽ちた白骨が証明している。
「ここです」
カヴァが開けた場所で立ち止まる。ランタンの灯りで見る限りは、およそ百人は入れそうな円柱形の空間の中心に何やらゴツゴツとした巨大な柱が通っていた。大人が両手を伸ばして三人位の幅はある。
「地上ではないのですか?」
「ここは城の真下ですが、城にはもう誰も住んでいません。私自身別の家に住んでいます。そして、姉は今此処に居ます」
辺りを見回すが、他に人の気配は無い。
「呼んで頂けますか?」
「…その必要はありません」
カヴァはそのまま歩いていき、柱に手を着いて言った。
「これが、我が姉、フレシネ キュヴェ エスペシアルです。能力名は【
「これは……木の根、ですか」
ロブマイヤーが近づいてよく見ると、カヴァの視線の先が何やら女性の形をしている。そして気付いた、柱に見えていたのは大樹の根のほんの一部だと。
「国の至る地面から枝葉を生やし、更に地下に根を張り巡らせています。そうして国全体に恩恵と平穏を与え、国民から感謝の祈りを享受する能力。これこそがこの地で生まれたエスペシアル家に代々課された責務。いえ、呪いと言っても良いでしょう。私も知ったのは遠征から帰って来てからですが」
「……」
なるほど、国中に生えていた豊かな深緑は全て彼女の一部だったという訳か。
「彼女と話せますか?」
「無理です。もう人としての自我はありません」
「ふむ……それで、貴方は姉を元に戻して欲しいと? 先に言っておくと不可能です。いえ、
「ええ、そうでしょうね……」
カヴァの全身と表情に年齢以上の衰えが浮かぶ。おそらく何十年と掛けて、ありとあらゆる手を尽くしてきたのだろう。だがその年月と苦労は、どう足掻いても無駄だという絶望を深めるだけだった。
「ならもう、終わらせて下さい。彼女を解放して下さい」
「国民全員を犠牲にして、国全体を滅亡させてでも?」
「こんなのは間違っている! 誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさなど! あいつらを見たでしょう? 自分達が誰のおかげでのうのうと生きていられるか、知ろうともしない! あいつらにとってフレシネは毎日乳を出す家畜なんです! 私はもう……その屈辱に耐えられない!」
「……」
それまで温厚さを保っていたカヴァが初めてその本心を露わにした。
だが、そうして出た結論に、ロブマイヤーは共感はしない。国というのは国民全員が国の為に尽くし、歯車となり、それを管理する者、外敵から守る者が居て初めて維持される。シャンパーニュは少々構成が違うだけだ。家畜が可哀想だからと乳を取るのを止めれば、誰もが飢えてしまうだろう。何より世話をしないで生きていける家畜は居ない。
犠牲になるのが愛した女性なのが嫌だ、なら全員道連れにしようと。要するにこれは、国民全員を巻き込んだ無理心中だ。
既に彼は王族としての誇りを失っていた。そこに居るのは、ただの愛執に取り憑かれた老人だった。
「……良いでしょう。この依頼、承ります」
ただ、生憎ロブマイヤーの方にもそれを止める動機は無かった。
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