閑話 スイーツ特集


 もし、確実に明日明後日と世界が変わりなく回って行くのだとしたら、では僕らはいったい何のために生まれて何をして土に還っていくというのだろう。それに相応しい答えはまだないし、結局僕らはこの世界の歯車に少しも組み込まれていないのだ。


 そう思うと、少しだけ空しい気がした。だけどそれも結局気のせいで、ものの数分でそう思ったことすら忘れてしまうことが出来るだろう。所詮実のない思考だ。


 名嘉街なかまちあずさは息を吐き、少しだけ肩を落とした。


 何故僕は今生きているのだろうか。


 何度もしたこの自問に、答える妙案は未だ見つからない。そもそも、そんなものはないのかもしれない。どちらでも良かった。


 梓は自分が生きている意味が欲しいわけでも、その理由が欲しいわけでもないからだ。ただ自分は確実にここに存在してしまっていて、この国の社会の片隅に、本当に気づかれない程度でひっそりと生きている。その確実な事実が梓を苦しめていることに変わりはなかった。


 秋の気配が伝わってくる十月、火曜日の夕方。


 しかしだからといって、梓が家の外に出ることは滅多にない。今日も、いつもと同じようにマンションのリビングでぼんやりとテレビを眺めていた。


 プラズマテレビに映し出されるやけに綺麗な画質のスイーツたちを眺めながら、取り留めのない思考を続ける。


 ちょうど左手にあるキッチンでは、今年三月から同居している鹿波谷かなみや日波ひなみが、なにやら冷蔵庫をあさっているようだった。


 家にあるものより、今はテレビに映っているこのパフェが食べたいな。


 ちらりとキッチンにいる日波へ視線をやり、何をしているんだろうと様子を窺う。


 パフェが食べたいなんて言ったところで、日波がそれを聞いてくれるはずもない。


 それを少し残念に思いながら、またテレビに映った新しいケーキに目を奪われる。


 梓は、甘いものに目がなかった。


「ねー、梓」


「何?」


 今良いところなんだから邪魔しないで。


 そういった意味も込めて、いきなり話しかけてきた日波へ素っ気ない返事をする。


 彼女はいつも良いところで邪魔をする。


 一瞬、日波に意識を奪われたせいでテレビの声が聞こえなかった。せっかくアナウンサーが新作ケーキの味わいどころを喋っていたというのに。


「もうすぐテストじゃない?」


「そうだね、それが?」


 良いところを聞き逃したため、梓の返事は先程よりも素っ気ない。


 もう目前に迫ったテストのことなど、どうだって良かった。今はテレビのスイーツ特集の方が大事だ。


「また、勝負しようよ」


 対面式のキッチンから、そう提案してくる日波。


「……今度は何を賭けるの?」


 テレビから目を離すことなく梓は日波に問う。


 もう十月だ。梓たちの通う中学校は三学期制なので、そろそろ中間テストの時期になる。


 これからしばらく学校に行くのか……。


 そう頭の隅で思いながら、梓はぼんやりとテレビに次々と映し出されるスイーツを眺め、日波の話に耳を貸す。


「じゃあ負けた方は勝った方の言うことを三つ聞くっていうのはどう?」


 彼女が勝った場合、何を要求してくることは大方予想がついたが、いい暇潰しになるだろうと考え承諾する。


「……別に構わないよ」


「じゃ、決まりね」


 楽しそうに、鼻歌交じりで日波は言った。何がそんなに楽しいのか、梓には分からない。


「あぁ、それとさ梓」


「今度は何?」


 いい加減話は終わったと思ったのにまた話しかけられ、梓は不機嫌さを隠さないまま答える。さっき、あまり聞こえなかったのだ。せっかく近場の美味しいところを紹介していたというのに。


 だが、日波はそんな梓の様子もお構いなしに、自分のペースで話を続ける。


「一昨日燈堵禍ひどかさんから頼まれたこと、あれはどうするの?」


「……あぁ、あれね」


 先日、この家に訪ねてきた梓の保護者代わりでもある人間から頼まれたこと。あれの調査も、テストが始まるまでにはある程度済まさなければならない。


 面倒なことになったな。ただでさえ、学校という空間に行くこと自体が億劫だというのに。


 やれやれと内心ため息をつき、梓はようやく日波の方を向いた。


「なんだったら、今度のテスト範囲他の子に持って来させようか?」


 成る程、それも一つの手だな。


 にやついた笑顔でこちらを見てくる日波の言葉に、少し考える。


 確かに自分から何かきっかけを探して話しかけるより、こちらに来てもらった方が手っ取り早いかもしれない。それに、いつもいつも日波に持ってきてもらったのではそのうちいつか彼女に頭が上がらなくなりそうで嫌だ。


「そうだね、そうしてもらおうかな」


「ん、じゃあ誰が良い? 昨日、一応の目星はつけたんでしょ?」


「…………」


 そんなことを聞かれても、答えようがない。なにせ梓は登校拒否児で、クラスメイトの大半の顔と名前を覚えていないのだ。たった一日、久しぶりに行ったところで覚えられるはずもなかった。


 しかし、一人だけ違和感を持った人間がいたことは事実だ。


 うろ覚えの名前を、脳の奥から引きずり出して口にする。


「“荒川あらかわほづみ”」


「了解」


 それだけ言って、梓はまたテレビへと顔を向ける。だが、スイーツ特集はもう終わりかけてしまっていた。


 良いところを見逃した。


 不満を持ってキッチンにいる日波を睨みつけるが、彼女にはまったく気にしていない。


 大体、話しかけてくるならスイーツ特集が終わってからでも良かったじゃないか。同居しているんだ、他にも聞く時間なんていくらでもあっただろうに。


 先程の会話が、日波の性質の悪い嫌がらせなのだということに気がついて、梓は一人ムッと頬を膨らませた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る