傀儡師

 傀儡くぐつとは本来、歌に合わせて操り人形を躍らせる芸、または漂泊芸人のことを指す。しかし、一方で傀儡とは己の身代わりとしての操り人形という意味合いも持っているのだ。

 そして傀儡師とは、そうした人形を操るものの総称である。


 狼撫子ろうなでしこは、その名前が嫌いだった。

 傀儡師という名前は、己にとって恥ずべきものだとも思っている。

 それというのも、撫子の操る傀儡術というのは、世間一般で言われているようなものではないからだ。

 撫子の操るものは『人』。それも、元々いる人間に似せて、札で作るまったくの『模造品』なのだ。

 撫子は、自分の次にこの傀儡術が嫌いだった。

 忌々しい狼の血が流れるこの身体。いっそのこと焼いて、狼の血筋を根絶やしにしてしまいたい。

 そう思いながら実行に移せないのは、撫子を保護する《機関》の眼があるからだった。彼らは、撫子が死ぬことを良しとはしないだろう。きっと自殺などの素振りを見せたら、さりげなく――もしかしたら露骨に監禁など――の邪魔をしてくるに違いない。

 彼らが欲しいのはこの力だ。使い勝手のいい、この呪うべき力なのだ。

 撫子ではない。

 人間が喉から手が出るほど欲しがるのは、いつだって他人を支配できる力なのだから。


 ※


「こいつだ」

 渡されたのは、いつものように一枚の写真だった。その写真に写っていた人物に、撫子は一瞬、その整った眉を寄せた。そこには、撫子と同じような学生服を着た中学生くらいの少年が写っていたからだ。少年は黒い髪に黒い学生服を着ている。背景は通学路だろうか、道路が写っていた。だが、その写真の中で何より撫子の目を引いたのは、少年の眼だった。何よりも黒く、見たことがないほど澄んだ闇が、少年の眼には色濃く映し出されている。その大きい黒目いっぱいに映る闇が、まず撫子の目を引いた。

「こいつの傀儡を作れ」

 男の要求は端的で分かりやすかった。しかしそれ以上に、不可解だ。

「なぜ、今回は子どもなんだ?」

 撫子は写真をつき返しながら尋ねた。

 今までは中年から老齢の人物ばかりだったのに、なぜこんな、見る限りで《機関》には何の利益もなさそうな少年の傀儡を作れというのか。

 納得が出来なかった。撫子は、自分が納得できない仕事はしないことにしている。自分の中で筋の通らないことはしたくないのだ。

「使い物になるか、きわどいところだからだ。だが、気が変わった」

「何?」

「やっぱダメだな。こっちだ」

 やや下卑た笑みを含ませて、男はもう一枚写真を取り出すと撫子へと差し出した。受け取って見ると、そこにも中学生の男子が写っている。先ほどの少年と同じ制服を着ていた。この少年は、なんら特筆してあげるところのないような、見る限りでは普通の中学生だ。

「何故変えた?」

「お前にこっちは無理だろ? その眼、とてもお前に作れるとは思えない」

「…………」

 それは、反論に窮する台詞だった。撫子は即答できず、拳を握る。

 そんな撫子の様子を見て、男は最初に差し出した少年の写真を撫子から取り上げると再び自分の懐へ入れた。撫子の手元に残ったのは、あとから手渡された写真だけ。

 撫子は文句を言いたそうな表情で男を見たが、結局何も言わず、写真を学生服のうちポケットへ入れると踵を返した。

 彼らが、この少年を使って何をする気なのか読めない今、協力するべきかどうか撫子は迷っていた。己のことを考えるなら、すぐにでも傀儡を作って写真を持ってきた男に連絡するべきなのだろう。だが、先日の男の態度に腹を立てていた撫子は、すんなり協力する気にはならなかった。

 それに、傀儡を作られる少年の気持ちも考えると、なんとなくやるせないのだ。撫子は、突然自分と同じ人間が身近に現れる恐怖を知っている。

 現在、十四体、か……。

 撫子が一人で維持している傀儡の数だ。ノートを取り出して確認すると、もうそんな数になっていたことに軽く驚く。これ以上増えると、他のところに支障をきたすかもしれない。だが、中学生の男子くらいなら何とかなるだろう。今更ながら、あの梓という少年でなくてよかった、と安心した。

 あの眼を維持するためにかかる負荷が想像できなかった。

 まだやるとは決めていないが、早くしないと次の催促が来てしまう。少なくとも、無意味に他人が自分に干渉してくることで自分の精神が侵されることは避けたい。自己の安定のためなら、たかだか傀儡十五体程度の負担、軽いものだ。撫子は部屋にある机の上から、白紙の札を一枚取り上げた。

 別室に設けた文机で札に契約のための式を筆で書き入れる。そして空けておいた空白の部分に、傀儡の基となる人間の名前を書き込む。

 名前は分かっていた。写真の裏に、いつものように素っ気無く書かれていたのだ。

 札を書き終え、撫子はふと手を止めた。

 なんだ、結局自分のためか。

 この能力を生まれながらに持った狼の人間は、幼い頃から力の乱用を固く禁じていた。己のために決して使うべからず。それを今、こうして破っている。

 自分の性格とプライドのために、他人を食い物にしているわけだな。

 そう思った瞬間、己に対して言い知れぬ怒りが湧いてきた。それは、最も軽蔑すべき行為だと思っていたからだ。

 だが、撫子は結果として己の力を、己を守るために使っている。ある意味では他人のために。そして一方では、己のためにだ。

 落ちたものだな。

 己自身に苦笑が漏れる。だが、やると決めた以上、それを放棄するのもなんだか気分が悪かった。

 この行為が誰にどんな影響を及ぼすのか、それを撫子自身が実感したことはまだない。いつそのしっぺ返しを喰うのかは分からなかったが、それでも撫子は傀儡を作り、操り続ける。

 自らが既に、《機関》という傀儡師に操られているのだということには、気づかないふりを続けながら。


 撫子は、この温い現状に甘んじている自分が、何より嫌いだった。


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