Happy Birthday Azusa 2
安い言葉で舞い上がらないでよ。子どもじゃないんだから。
※
梓は、リビングに置いてあるガラステーブルに肘をついて、何をするわけでもなくぼんやりと、メモリーコンポから乱雑に流れてくるラジオ放送に耳を傾けていた。
壁際に重ねられたカラーボックスの上に鎮座している白いメモリーコンポは、やや丸みのある風体をして、スピーカーに挟まれた真ん中の機械にはめこまれたディスプレイを赤紫に発光させている。
「…………」
梓は、テーブルの上に投げ出されたコンポのリモコンを取り上げ、チャンネルをMDに変えた。
たちまち、雑音混じりだったラジオからクリアな音に切り替わる。
スピーカーから、同居人である日波の好きなアーティストの曲が流れてきた。それを聞き流しながら、壁に掛かっているカレンダーへ視線を飛ばす。今日の日付に、また憂鬱な気分がぶり返した。
「……僕の、誕生日か……」
ガラスを見つめながらぽつりと呟いてみても、実感は湧かない。
今まで意識するどころか考えたこともなかったのだが、昨夜――正確には今日の零時、日波に言われた祝辞に揺らいだのも事実だ。
彼女は今、部屋にはいない。
勝手に一人で盛り上がり、誕生日だからと言ってケーキを買いに出ている。
どうしてこう、誕生日やクリスマスといったお祝い事になるとはしゃぎたがるのだろうか。
梓には理解出来ない。
そもそも、そんなものを知らなかった。誰かとともに何かを祝ったり喜んだりすることがあるなんて、このマンションに越してくるまで想像したこともなかった。
だから自分の誕生日と言われてもピンとこないし、何も思わなかった。何も思わないことが自然だと思っていたのに、それなのに、日波に出会ってすべてが変わってしまった。
梓は前のままで良かったのだ。誰にも意識されず、誰にも迷惑をかけずにひっそりと生きていきたかった。
だが、些細な願いほど叶わないものもない。
日波が帰ってきたときのテンションを思い、梓は深々とため息を吐いた。
※
定番のショートケーキに、季節のフルーツタルト。ガトーショコラ、ティラミス、チーズケーキ、レアチーズケーキ、抹茶のムース、はてはプリンまである。
「どうしたの、これ」
ガラステーブルに所狭しと広げられたそのケーキ類を見て、梓は帰ってきて早々紅茶を入れ始めた日波に目を向けた。
「ケーキ」
簡素な答え。
それ以上の返事は期待せず、梓はテーブルについて、静かにそれらを眺めた。
綺麗に飾り付けられたケーキたち。普段ケーキ屋にも行かないため、これだけの種類をいっぺんに見たのは初めてだった。
美味しそう。
「随分奮発したんだね、こんなに買ってくるなんて」
「そりゃ、せっかく梓の誕生日なんだし? 存分に祝ってあげたいと思うのは当然でしょ?」
紅茶の入ったマグカップを二つ持って、日波は梓の隣へと座った。手に持ったマグカップを一つ、梓の前に置く。
「……で、これを買ったお金はどこから出てきたの?」
「…………」
日波は今しがた自分で持ってきたマグカップの中身をすすり、梓から視線を外した。
「ねぇ日波?」
「ところで梓、梓はどれが食べたい?」
「…………」
カップを空いたスペースに置き、日波は梓ではなくテーブルの上のケーキに向き直った。
その様子をジト目で見つめる梓。が、すぐにため息混じりに呟いた。
「……ま、いいけどね。今日くらい」
「そうそう、細かいことは気にしないの。懐の狭い人間にはなりたくないでしょ?」
「……で、日波はどれがいい?」
「普通、この場合は梓から決めるモンだよ。好きなの選んで」
「じゃあ、これ以外」
そう言って梓が指差したのは、ガトーショコラだった。
「ちょっと待って」
「何?」
「これ以外って、何?」
梓を制して、やや戸惑い気味に日波は梓に訊ねる。
梓はきょとんとした様子で日波を見つめた。
「日波が好きなの選んでいいって言ったんじゃないか」
「まさかそんな選び方するなんて思わなかったんだもん」
むぅ、と頬を膨らませ、日波は言う。
「梓は一個か二個しか選ばないと思ってたのに」
「成る程ね」
と、納得した様子で梓は日波を見た。前に置かれたカップを持ち上げ、温かい紅茶を一口口に含む。
柔らかい香りが口内に広がった。
「つまり君は一人で四個以上の物を食べる気だったんだね」
梓はカップを置いた。
「……じゃあ、ここは公平に四個ずつ食べることにしない?」
「僕の誕生日なのに?」
「そもそも誕生日なんて気にしたことなかったくせによく言うわ」
「ケーキ、僕も好きなんだけど」
「ちなみに梓、他にアイスも買ってきたけど、ケーキとどっちがいい?」
「…………」
今度は、梓が頬を膨らませた。
※
「どうせ生まれるなら、一ヶ月前に生まれたかったな……」
「なんで?」
バニラアイスを頬張りぽつりと呟いた梓に、日波は抹茶のムースをフォークでつつきながら訊ねる。
「五月九日はアイスクリームの日なんだ」
「ふーん、そうなんだ」
あまり興味はない。というか、どこまで好きなんだか。
つい呆れてしまう。
まぁなんだっていいんだけどね。と、日波はフォークをくわえたままコンポのリモコンを取り上げ、電源を入れた。
好きなアーティストの曲を聞きながら、アイスに向かう梓を横目で見る。
その梓の前には、空になったケーキの銀紙が四枚重ねられていた。
「……普段動かないでそんなに食べると太るんじゃない?」
「日波こそ」
「…………」
なんでもないように返してくる梓に、軽く苛立ちが募る。
少なくとも、一日中家の中に引き込もっている梓よりは動いているつもりだ。
かつん、と爪でテーブルを叩き、日波は片目をすがめて梓を見た。
「ま、少しくらい太った方が健康的でいいわよね」
「そうだね」
あっさりとそう返してくる梓は、一心不乱にアイスを食べる。
皮肉も通用しない。今やアイスに夢中だ。
羨ましい。
ふとそんなことを考えながら、日波は小さく「感謝してよね」と呟いた。
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