短編集

藤島

Happy Birthday For Azusa

 自慢じゃないけど、生まれて来たことを感謝されたことはないな。


 ※


「あ、まだ起きてたの?」

「まぁね。日波こそ、こんな時間までなにしてるのさ?」

 なんとなく寝つけなくて、水でも飲もうと部屋から出てきた梓は、まだテレビの前に座っている日波を認め、いつものように無表情でそう答えた。

「深夜番組見てるだけ。話題作りかな」

 日波はお菓子をつまみながら、たいして面白くなさそうにテレビ画面を眺めている。

「ふーん……」

 日波から視線を外し、梓は適当な相づちを打った。

 興味はない。

 リビングと対面式になっているキッチンへ入り、グラスに麦茶を注ぐ。

 ちょうどそれを梓が飲み干した時、日波は手についたお菓子のカスを払って、梓を振り返った。

「そういえば梓の誕生日って明日だったよね?」

「さぁ? 覚えてないよ。そんなこと」

 キッチンを出て、壁際のカレンダーを見ると、確かに明日――六月九日は梓の誕生日だった。日波が書いたのか、赤いマジックで大きく『梓誕生日』と書かれている。

「よし! コンビニにケーキ買いに行こ!」

 梓の答えなど全く聞かず、唐突に立ち上がる日波。

 ちなみに現時刻午後十一時五十三分。出歩くには遅い時間だ。

 梓はやや大げさにため息を吐いた。

「ケーキはいいけど、日波」

「んー?」

「僕の誕生日を祝う気なんてないだろ?」

「…………」

 立ち上がり、財布を斜めがけのバックに入れていた日波は、梓の言葉にまじまじと梓を見て。

「……あるに決まってんじゃん」

「嘘吐け」

 日波の言葉を、間髪入れずに否定する梓。

 呆れたように、頬を膨らませた日波を見ている。

「……まぁ、別にいいよ。祝ってもらいたいわけじゃないし」

「その前に、祝われたことあるの?」

「…………」

 揶揄するように言われたその台詞に、梓はしばし沈黙した。

 より一層感情を感じさせない表情で、虚ろに、嘲笑を浮かべる日波を眺めていた。

 やがて、口を開く。

「……ないよ。今まで一度だって、誕生日を祝ってもらった記憶なんて、ない」

「じゃあ私が梓を祝う、最初の人間になるわけだ?」

「そうなるね」

 嘲笑を消し、日波は代わりに楽しそうな笑みを浮かべる。

 どうして彼女がそんな表情をするのか、梓には分からなかった。

「梓」

 日波は、静かに梓を呼んだ。

 壁の時計の針が、もうすぐ天井を差して重なる。

「何?」

 梓は、カチカチと秒針の音が聞こえる部屋の中、ただじっと日波を見つめた。

 後何秒かで梓の誕生日が来る。

 その瞬間に、日波が何か言うことは、すぐに分かった。

 秒針が、既に天井を指していた短針と重なる。そして、同時に長針が短針と重なった。

 永遠のように、短い一瞬。


「生まれて来てくれて、ありがとう」


 日波はようやく口を開いた。

 口元に笑みをたたえ、梓を見つめる。その目には、純粋な祝意しか浮かんでいなかった。

「…………」

 カチ、カチと秒針は一定のリズムで時を刻む。

 長く感じたあの一瞬は、もう来ないな。

 梓は直感でそう思った。

 あんなにも待ち遠しく、そして怖れた瞬間なんて、もう二度と来ないだろう。

 今まで一度だってそんな風に言われたことなんてなかったから、無意識の内に怖がっていたんだ。

 突き落とされたことが、あるから。

「日波」

「なーにー?」

 今度は梓が日波を呼ぶ。

 日波は既に、元のように人を小馬鹿にするような笑みを浮かべて梓を見ていた。

 出かける支度は、もう整ったらしい。

「僕は、居てもいいの?」

「いなかったら困るでしょ。まぁいいからケーキ買いに行こ。昼にはちゃんとケーキ屋でケーキ買ってくるからさ」

「……うん」

 いつもなら何でもない日波の一言が、こんなに胸に染みることも、多分もうない。

 初めて祝われた今日が、特に特別。

 それだけだった。

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