オーバーサイズ・スペア

押田桧凪

第1話

 誕生日にくれたガーベラの色を思い出して、それでも私は引用される花言葉の強さだけで生きていけないことを知った。


 画面をスクロールする指を一瞬だけ止めてみる。その日の投稿では、指輪の外し方動画がバズっていて、「外さないといけない理由」あるいは、その必要性に迫られた時のことを私は考えてみる。「おかげ様で役に立ちました!」「ありがとうございます!」というコメントが返信欄に散見される中で、「ペアリングってそんなもんかよ」という言葉が目に留まった。


 中学校の時に好きだった人が右手を骨折して、その人に近づきたくて左利きの練習をしたことを思い出して、苦しくなることがある。今だって、そうだ。「私の好きな部位どこ?」と訊くと、「肉みたいに言うなよ」と笑った時にできるえくぼが好きだったあの人。雨が突然降り出した時に、口を大きく開けて空を仰ぎ、「ちょうど喉が渇いてたんだよね」と冗談交じりに言ったあの人。ペットショップで「売れ残ってるねぇ。こんなに大きくなって」と慈愛に満ちた眼差しをショーケースに向けたあの人。そして、その言葉が私に向けられることは一度も無かったことに、ようやっと気づく。


 だから、マジックの種を知ってからもう一度見たいと思うのと同じ感覚で、別れた後でどう振る舞うのが正解だったのかを私は何度も考えてしまう。べつに正解なんて最初から無かったのかもしれないけれど。


 苦労知らずのあどけない顔でまた、ただいまって言ってほしい。猫の毛まみれのコートを着て、私を出迎えてまた、おはようって言ってほしい。おかえりの発声練習に費やした時間のぶん私は老けていって、でもきっと、彼に選ばれないのなら賞味でも消費と変わらないくらいの劣化であることに私は思い至る。


「好きになるのがこんなに苦しいなんて……」とまるではつ恋をした乙女のような口ぶりでためしに呟く。返し損ねた合鍵を握りしめる。その合鍵の合鍵をひそかに作っていたことをあの人に最後まで話すことがないまま、スペアだけが増えていった過去に蓋をする。私があの人にとってのスペアでしか無かったことに、ようやっと気づく。


 楽になる方を選んだんだな、と私は思った。要は、中古で手に入れた何かに愛着が湧いてしまうのと同じで、それを失くした時に「安く買ったんだからまぁいいか。でも何かいやだな」と後悔はないけれど、未練だけはあるせいでその場に留まり続ける善良な幽霊のような。


 だから同じ場所を歩いても、助手席で見ていた景色ともう二度と重なることはなくて、あの人のいない街の影ばかり踏み、ぶかぶかの厚底ブーツは今の私のサイズには合わなくて、履かなくてもいい理由を私はずっと探している。初めて貰ったプレゼント以上の価値を私はこの靴に求めてはいけない気がしたからだ。


「自分の足で歩けシンデレラ」


 不意に、どこかで聞いたことのある曲の歌詞が頭の中で再生されて、こういう時に限って自分のことを言われている気がして、「〇〇もそう思うよな?」とそれほど親しいわけでもない人から同意を求められた時のような気まずさを感じた。


 私がかわいかったら、まだ好きでいてくれた? 私に白いワンピースを着てはしゃぎまわるような少女性だとか魔法のかかった靴を履いても衰えない美貌があったら、少しは未来は変わってた?


 でも全部あの日で終わりにするね。あの人がいてもいなくても私にとっては絶え間なく人生だったから。あの人も私も、来世はせめて幸せになってほしいから。


 もしここで私が振り返ったなら、まだ手を振っているだろうあの人の姿を残して私は足を進める。残像の中で手を振るあの人がもう、一生消えることがないよう。未練だけを残して。

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