チームワーク

松山大紫

チームワーク



「食料は1週間しか持たない。今後の我々に大切なものはチームワークだ。それを心に刻んで、助けを待つことにしよう」

 夕方のミーティングはそんな船長の言葉で締めくくられた。


 乗組員15人を乗せた帆船が嵐に飲まれ、漂流し始めて3日になる。

 帆は折れて使い物にならない上に、1か月分はあったはずの食料もほとんど流されてしまった。更に乗組員のうち10人は波にさらわれ、現在生存しているのはわずか5人だけである。

 今終わったミーティングは、今後生き残るための方針を話し合うためのものだった。


「大変なことになったな」

 ミーティングの直後である。舳先に立っていた乗組員Sに、話しかけてきた男がいる。航海士のRである。

「そうだな。俺達、無事に帰還できるだろうか」

 Sはつぶやくように言って、はるか遠くの水平線をみやった。憔悴しきった顔に夕日が反射している。この3日の間に随分と老けてしまったように見えた。

 Rはその後姿を見つめながら、自分の鼓動が着実に速度を増しているのに気付いていた。彼は緊張していた。それゆえに、吐き気さえ覚えていた。なぜなら……


 Rはこれから、目前にいるこの乗組員Sを殺すつもりなのだ。


「乗組員を1人殺そう」

 と、船長がRに提案してきたのは今朝、朝食が終わった後であった。

「これは船員全員に提案しており、皆知っている。食料がこのままでは持たない。だから1人、強制的に船から降りてもらうのだ。そして、それは乗組員のSだ。彼を、君に殺してもらいたい」

 Rは神妙な面持ちで頷いた。


「このまま彷徨い続けていて、誰か助けが来るものだろうか」

 Sはほとんど独り言のようにポツポツと言葉を吐き出す。彼は完全に意気消沈していた。

「来るさ。そのうち、きっと」

 Rはそう言いながら、そっとSの後ろに忍び寄った。


 仕方ないのだ、と自分に言い聞かせる。

 生きるためには、Sを殺さなくてはならないのだ。Sを殺すことを、他の船員も望んでいるはずなのだ。

 そう、僕はみんなの代わりにSを海に突き落とす、ただそれだけだ。

 無事に陸に戻っても、誰もこのことは表沙汰にしないはずだ。だって、そうだろう?僕は誰もが嫌がることを引き受けてやっただけだ。感謝されても恨まれることはない。

 考えているいうちに、不思議と「人を殺す」という罪の意識が薄れていくのを感じた。


 さあ、やろう。今ならSは警戒していない。やれるはずだ。ただ、背中をドンと押すだけでいいのだ。


 Rは小さく深呼吸をした。そして無防備なSの背中に手をのばし、そのまま両手を力強く突き出した。

「うわぁっ」

 声を上げたのはRの方だった。標的であった背中がヒラリと身をかわしたのだ。

 力強く突き出した両手が対象を失い、バランスが崩れる。そして次の瞬間、足元を急にすくわれ体がフワリと浮いたのを感じた。

 足をすくったのはSである。身をかわしたSは、バランスを崩したRの足をヒョイと持ち上げたのだった。

 悲鳴を上げたのかどうか分からない。Rはもう少しで海へとまっさかさまだったのだが、奇跡的に船の手すりにつかまっていた。ただし、その体は海側に投げ出されている。

「た、助けてくれぇっ」

 手すりにぶら下がったRを、Sは抑揚のない顔で見つめている。


「だから言ったではないか」


 と言ったのはSではなかった。

 彼の後ろから、貫禄のあるヒゲ面の男が現れた。船長である。さらにその後ろに、残りの2人の船員も現れる。

「たすっ……助けて……」

 Rは泣き出さんばかりの表情で助けを求めた。しかし、手を差し伸べる船員はいなかった。

「私は先ほどのミーティングで言ったはずだ。これからの我々に必要なものはチームワークだと」

 船長の言葉を受けて、船員の1人が続けた。

「船長は、船員全てに誰か1人を殺すという嘘の提案をしたんだ。そして、その提案にうなずいたのはお前だけだった。自分が生き残るために、他の船員を犠牲にしてもいいと考えたのはお前だけだったんだ」

「だ、騙したんですか!」

 と、声を絞り出したRに船長は厳しい瞳をむけた。

「騙したのではない。試したのだ。第一、言ったではないか。このことは船員全員に提案しており、皆知っていると。Sだけが知らないとは言っていない」

 Rは全てを悟った。

 船長はあの提案をすることで、自分が生き残るために誰かを犠牲にすることを厭わない人間、つまり、チームワークを乱す人間がいないかどうかを確認しようとしていた。そして、もしそんな人間がいた場合は、その人間を船から降ろすつもりでいたのだ。

 Rはその思惑に見事ひっかかった。そして、今まさに強制的に船から降ろされようとしているのだった。


「も、もう僕は十分に反省しました! 今後は、チームワークを大切にする。だから、た、助けて……」

「残念ながらその言葉は信用するに値しない。一度仲間を裏切った者に、次はないんだよ」

 船長は冷ややかにそう言い放った。

「邪魔しないでくれよ、R」

 今まで黙っていたSが突然口を開いた。

「我々は今最高のチームワークを発揮しているんだ。君を殺すということに対して」

 そして彼は笑った。疲れ切って老けてしまったその顔に、子供のような無邪気な笑顔が浮んだ。

 

「君の犠牲は忘れない」


 Sは優しくRの手を手すりから振りほどいた。

 ポチャン、という軽い音と白い水しぶきの中にRの体は飲み込まれていった。



 それから10日後、四人の乗組員達は海上保安庁の巡視船に無事保護され、新聞やテレビ、雑誌など各方面から取材を受けて一躍時の人となっていた。

「みなさん、漂流生活をよく乗り切れましたね」

 そんなインタビュアーの言葉に、船員達は声を揃えて答えたのだった。

「我々には、素晴らしいチームワークがあったのです」

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