第32話
未来にとって意外だったのは、今の今まで、あれ程浅はかで、浮ついた感じがした母がどっしりとした構えを見せた事だった。
其れだけではない。
今ここに居る会社の幹部達も、房子の姿を見て、誰一人驚きの表情を見せずにいることも未来にとっては意外だったのだ。彼らの表情は、まるで、旧知の友と時を過ごして居るような安堵感を湛えていた。
母には、私の知らない顔があったのだ……。
そして、これが、この家の伝統なのだ。
「未来、私は貴女が司法試験をやることを禁じているわけではないわ。
そうでしょ?
だって、貴女の選択次第で、それは継続可能だから。
そうではなくて、いい?
貴女の我が儘を禁じているの。
貴女の、その、自由に生きたいっていう発想を、完全に捨ててしまうか、大幅に制限するか。どちらかにしなさい、って言ってるの。
私心だけで生きてきた今までの生き方を禁じて、『公の心』を持ちなさいって言っているのよ」
「自由に生きたい」
房子に言われて、未来は改めて考えてみた。
私は、そうしたくて、この試験をやっているのか……。
未来は今年で33歳になる。
今まで何度か試験に失敗してきたが、その度に心の支えになってきたのは、
「弁護士になりたい」
という気持ちだけで、何も
「自由が欲しい」からでは無かった。
ただ、確かに、子供の頃から得体の知れない重圧が、未来の両肩にのしかかっては居た。
だからと言って、その重さから逃れるために司法試験を志したわけでは無かった。また、こういう人になりたくて、というお手本となるような人が居るわけでも無い。
それに、家業に就けと言われて、激しく母親に抵抗感を覚えるほど、家業を嫌っているわけでも無かった。
おかしな家に生まれてしまった。
私は、如何すればいいのだろう……。
未来は、黙ったまま下を向いてしまった。
そんな娘の姿を見て、母である房子は気を利かせた。
「益田」
「はい」
「未来に、2,3日時間をあげましょう。
今の時代、我が家のような相続形態は珍しいから。私もそうだったけど、気持ちの整理が要るのよ。彼女は、何らかの形で必ず会社には入れるから、その前提で準備をしておいて頂戴」
「畏まりました」
と、益田は背筋を伸ばして姿勢を正し、返事をしながら頭を下げた。
「未来」
「……」
「2,3日じっくり考えなさい。私にも出来たんだから、貴女にも出来るはずよ」
と、房子は明るい声で、未来にそう声をかけた。
未来は、ただ、うなずくしか無かった。
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