第8話

 足立淳は、店に向かっている。

 腕時計に目をやる。予約の時間には、十分間に合いそうだ。

 念のため繰り返すと、淳は未来の弟にあたる。母・房子と

父・良介の間に生まれた、足立家の長男だ。

 そう、男。

 男の子ではない。

 三十歳にもなる、立派な男性だ。

 ただ、

 一人前と言えるか、どうか。


 彼の運転する紺の外車が、広い国道を左折し、雑多な細い道に入る。

道の両側には、上下黒のスーツに蝶ネクタイをした男達が卑屈な笑顔に

揉み手をして、車内の彼と視線を合わせようとして来る。

 二本目の道を右折すると、そのような男達の数は減り、やや落ち着いた

雰囲気を醸し出してくる。


 晴天だ。

 日はまだ高い。

 それもそのはずで、時刻はまだ、昼の一時前なのだ。

 淳は、あの店を予約する時は、決まって昼の一時か二時を指定する。

 この業界で、この時刻にやってくるのは、競馬で喰ってる男や、引退して

株を触っているような初老の男と相場は決まっている。堅気の勤め人は、

夕方でも早い方で、夜になってようやくやってくるものだ。

 淳は、所謂「変な時間にやってくる客」の中でも、異質だった。

 年が若く、寝る間も惜しんで働くべき年齢なのにほとんど働かず、

なのに金だけは幾らでもある。

 足立淳は、そんな男だった。


 彼は、その高級車を、止めにくそうな狭い駐車場の入り口に停める。

 駐車場はこの店の入り口付近にあるが、一台か二台しか駐車出来そうも

ない広さだ。まるで、この店に来る客が、選ばれた人種でもあるかのように。

淳は、車を停止させると、店の男達がまるで待ち構えていたかのように素早く

出てくる状況が、たまらなく好きだった。


 淳は、出てきた男の一人に車のカギを渡すと、店に入ってすぐにある

エレベーターのボタンを、慣れた手つきで押す。

 ベテランらしい中年の蝶ネクタイの男が、そっと淳のそばに立つ。

 エレベーターのドアが開き、淳がゆっくりと乗り込むと、男は後に続き

二階のボタンを押す。

「芹沢様、お待ちしておりました」

「うん。宜しく。来てる?」

「はい、本日出勤しております」


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