魔法少女よ立ち上がれ!友の夢を胸に
関東と山梨を隔てる小山のいくつかは、山の脇を沿うようにして曲がりくねった車道が敷設されおり、崖面には土砂崩れを防ぐため……あるいは土砂崩れの後始末のためにコンクリートで補強された『壁』が建設される。一般的には、土砂崩れの跡始末など誰も気にも留めず、どのメディアも取り上げることはない。多くの人間は当事者でない限り、事件の発生に気を配ってもその後には全く意識を向けない。例えば、土砂崩れの補修工事を委託された企業が、人知を超えた技術力を持った組織のフロント企業であろうとも……そして崖を覆うように敷設されたコンクリートの壁の裏を掘り進め謎めいた巨大拠点を築こうとも、誰も気にしない。
合成人工筋肉を培養する特殊プラント。特殊合金を加工する圧縮整形炉。各種ユニットのソフトウェア制御を担う量子コンピュータが集積された高度電産室。完成品や試作品の精度をテストする多目的実験ホール。それらを動かす電力を発生させる核融合ジェネレータ。それら物々しい設備と比べ上層に位置する地点に、およそ十平方メートルの応接間があった。
「確かキュクロプス殿はブランデーがお好きでしたか。レミーマルタン、いかがです?」
軍服に似せた青い上着を纏った男が、棚から瓶を取り出しつつ訪ねた。オールバックに撫で付けた白髪に、細く整った顔のその男は、眉目秀麗という言葉を体現したかのような美丈夫であった。花の蔦が寄り集まったような彫刻の棚と、そこから出てくる刺々しくも流れるような曲線を持つブランデーの瓶と併せ、もはやその一瞬の光景が芸術的にも見える。
だが全ては作り物だ。棚の彫刻も、ブランデーの瓶も、そして目の前に立つ男の顔も全てが作り物である。しかし……それは自分も同じことである。そこまで思いを馳せ、キュクロプスは鼻を鳴らした。視線の先の美丈夫に対し、キュクロプスは人間味を感じさせない風体の大男である。白いマスク、白いサングラス、白い手袋に白いフード付きローブ。表情も素肌も視線も一切を晒さない、他人を拒絶するかのような拘りようである。
「用意がいいな、ダブルスピナー。ならストレートで一杯もらおうか。」
「よろこんで。」
青い上着のダブルスピナーは、ゆったりした手付きで茶色い液体をグラスに注ぐと、キュクロプスの前にある大理石のテーブルへ置いた。
マスクがひとりでに下がると同時、キュクロプスはグラスに口をつけた。大きな手は口元を隠し、グラスを口につける瞬間でさえその表情を隠す。グラスから口を離すと、白いマスクは滑らかに顔の下半分を覆う。ダブルスピナーも自分用のグラスへブランデーを注ぎ、くいっと口に含んだ。
「この香り、まろみ、コク、味。高い酒は違うな。」
「確かに素晴らしい味わいです。ナッツに似た風味と伺っておりましたが、これほどとは……。」
「これから幹部になる男は、このレベルでないと満足できんかな?」
ダブルスピナーの口角が一瞬、引き攣った。キュクロプスの白いサングラス、その奥に隠された瞳が自分を睨め付けたように感じたからだ。この白ずくめの男は、見た目通り他人を怖がらせるのが好きらしい。そんな感想が脳裏によぎる。
「お前は優秀だ。この中部山地秘密工場の建造から内部統制、製造出荷研究その他一切。五年もの間、失敗の一つなく勤めてみせた。指揮官級改造人間から、四人目の幹部級改造人間に昇進するのも時間の問題……。」
「私はただ、私を見出してくれた黒王様のお役に立ちたい一心でやってまいりました。昇進の是非は置いておいて、今も組織への忠誠は変わりません」
キュクロプスはダブルスピナーの言葉を鼻で笑い、再びグラスを傾ける。マスクが下がり、顔を見せぬまま上がる。ダブルスピナーはもはや、蛇に睨まれた蛙同然であった。キュクロプスのそれと違い、手元のブランデーは一向に減らない。
目の前の幹部級改造人間の来訪は、ダブルスピナーにとって寝耳に水であった。応接間に通し、こんなこともあろうかと取り寄せた高級酒を飲ませても、未だにキュクロプスの目的は見えない。この男は何がしたいんだ? その一心が頭を支配していく。
「北海道基地、知っているか。」
「函館山の、ですか?」
ダブルスピナーは記憶から情報を引っ張り出した。自分が今いる場所は土砂崩れの補修の名目で山の内部に造られた黒王派の拠点であるが、函館山にも同様の設備が存在するのだ。そしてその設備、北海道基地にもまたダブルスピナー同様指揮官級改造人間が常駐し、日々黒王派の戦力を溜め込んでいた……のだが。
「先週に大雪崩が起きて連絡が途絶えたきり、でしたか。」
「あれはな、自爆だ。改造人間の脱走という大ポカが起きて、公になる前になんとか存在ごと揉み消したわけだ。」
「なるほど……それは痛ましい。」
ここにきて、ダブルスピナーはようやくキュクロプスの真意を読み取れた。北海道基地のようなしくじりを起こさず、これまで以上に気を引き締めて仕事にかかれと釘を刺しにきたのだ。
前振りとして、幹部候補になるほどのエリートぶりに対する皮肉を被せてくるとは。人が悪いにも程がある。そう思いながら、ダブルスピナーはようやく二口目のブランデーを口に運ぼうとした。
「待ってください、脱走した改人はどうなったんですか? 捕獲ないし破壊、後の証拠隠滅は?」
ダブルスピナーはブランデーを飲む手を止めて尋ねた。彼の体が生身であったなら、冷や汗が頬に浮くか、脂汗が背中に垂れるかしただろう。
キュクロプスは無言のままにグラスを傾ける。相変わらずその表情は読み取れない。
「……捕まえられなかった。しかも敵対的集団に確保された、違いますか? 我々を脅かす組織が我らの影を掴み、密かに攻撃行動を狙っている? どうなんですか、キュクロプス殿。」
「二杯目は、ロックだ。丸氷はあるか。」
キュクロプスからの返答はなく、ただ酒は進んでいることだけがわかった。
改造手術室で手足を固定されながら、モモは叫んだ。ただただ叫んだ。それしかできなかった。今の彼女は、気に入らない連中を何人も叩きのめしてきた彼女は、無力な少女そのものと成り果てていた。
一方のカナコは、貫頭衣を着せられたままうつ伏せに倒れ、指一本も動かない。拘束は外れているが、前後不覚、あるいは既に死んでいるように見えた。
「カナコ、おい……目を覚ませっ、カナコ! 起きろよ、目ェ開けてくれ! しっかりしろカナコ!」
「意味なし意味なしぃ〜、そいつはもう無理っぽいよぉ。」
ポイズンフォグの下卑た声がくぐもって響く。
「お前らは同じ設計図に沿って改造されたわけだが、麻酔ガスを深ぁ〜く浴びせられたお前に対し、そっちのは無理くり叩き起こしてから無麻酔で改造手術してやったんだ。全身切り刻み! 内蔵取り外し! 足だの腕だの切り落とし! そこへマシーンねじ込んで! 改人にしてやったんだよっ。」
「テメェ、なんで、そんなことを……。」
「お前が俺の顔を殴ってきやがったからだよぉおおおう。」
ポイズンフォグはガスマスクに似た顔をモモに近付け、怒声を浴びせた。そして平手でモモの頬を張った。一度、二度、その度にモモの顔が左右にブレる。
「せっかく改人の素体を拉致するっていう仕事を任されたのに、生身の人間に遅れをとらされたんだ。体は無傷でも、自尊心はズッタズタだぁあ〜。だから、その復讐をする! お前の友達は死ぬような目に遭わせて、お前自身は女に生まれたことを後悔するような目に遭わせてやる!」
「ふざけろ……!」
「まあ仕事は仕事なんで二人とも改人はするワケだが、その上で俺の目的は達成する。ワークライフバランス!」
「てめぇぶっ殺してやる!」
吠えるモモに対し、オマケとばかりに再びの張り手を食らわせるポイズンフォグ。そして追い討ちとばかりに、耳元で囁いた。
「まあお前らどっちにしろ死ぬんだけどな。」
「ンだと!?」
「改造手術に適応できない人間が辿る末路はただ一つ、埋め込まれた機器類や兵器群、そして培養人工筋肉に対する拒絶反応による細胞の壊死だ。改造が終了した段階で俺のように改人の姿になるはずなんだが、それがねえってことは失敗ってこった!」
モモは驚愕に目を見開いた。ポイズンフォグの言葉に対し、それを信じたくない一心が募った。だが相手のふざけた言葉に心当たりはあった。
カナコは無麻酔で全身を切り刻まれるような手術を受けたらしいが、先程まで泣き叫んでいた。それが突然意識を失ってしまった。対する自分は、麻酔が切れる以前より、体の奥から全身へとじくじくとした痛みを感じていた。これは奴の言う通りの、改造手術の失敗による死の前兆ではないのか?
「そんな、馬鹿な話が……あるか!」
そのセリフはもう、単なる強がりでしかない。ポイズンフォグはモモを嘲笑った。ガスマスクの奥から鳴り響くくぐもった笑い声だった。後ろに控えるソルジャーズ達は、気を付けの姿勢のまま微動だにしない。
親友と再会し、直後に拉致され、抵抗もままならないまま体を切り刻まれ、挙句に嘲笑われながら死する。全てが異様だった。理不尽で、悲劇そのものだった。モモの心に、悔しさが溢れかえった。何もできない自分が、目の前の敵を倒せないことが、そして何より……大事な親友カナコが目の前で死ぬことが、たまらなく悔しかった。
その気持ちは、絶望の呟きとなってモモの喉から溢れた。
「これで、終わりかよ……ッ!」
「そんなことは、ないよ……モモ。」
「えっ?」
カナコの声だった。
「なん……ギャア!」
ポイズンフォグが悲鳴をあげる。ゲスの改人は身をのけぞらせて痙攣し始めた。蛇腹の体躯に電流が這い回るが、抵抗の素振りはない。正確には抵抗できないのだ。改人の体を動かす培養人工筋肉は、通常の筋繊維よりはるかに多機能高性能だが、電気信号で動くことは共通している。密着状態で直に電気を流し込まれた場合、動作が不可能になってしまうのだ。
そう、ポイズンフォグは今、意識を取り戻したカナコによって左足首を鷲掴みにされ、そこから電気を流し込まれているのである。
「あ、あばばっ! ソルジャーズ、何してる……こいつをどうにか、どうにかしろっ。」
「ヒュウイイ……。」
「ヒュイッ、ヒュイッ!」
「ヒュ、イイイ。」
待機させられていたソルジャーズに至っては、ポイズンフォグを通して空気中に拡散した電撃を浴び、それによって機能不全に陥っている。ソルジャーズもまた改人同様培養人工筋肉を搭載しており、電撃攻撃に弱いと言う弱点を共有してしまっている。
「ま、まずい。」
「なにもできないよね、一般人を捕まえて痛ぶるしかできない悪党にはさ!」
「よ、よせ。センサーでわかるぞ、お前やっぱり改造手術が失敗してる。このまま電流を使えば、残り数時間の寿命を使い潰すことになる!」
「そんなの私にもわかるよ。でも知らない、今はこの奇跡の力で……お前達をやっつける!」
カナコはゆったりと立ち上がり、電流を纏った両腕を振り上げた。ポイズンフォグはこれが致命的な攻撃になることを予感していたが、自分もソルジャーズも先の電撃で内部からダメージを負い、もはや抵抗もままならぬことを理解してしまった。
一方のモモは、神々しく輝く雷を纏ったカナコの姿に唖然とする他はなかった。状況はとっくに、彼女の理解の範疇を超えてしまっていた。
この中でただ一人カナコだけが、己の力を奮うことができた。
「轟け雷、ミラクルサンダーッ!」
「待てぇえええええっ!」
雷光、そして爆発! 炸裂! 粉砕! 破壊!
モモは焼け焦げた部屋の中で跪いていた。モモの拘束と貫頭衣は、カナコが奮った電撃によって消し飛んでしまったので、彼女は今自由の身である。クソッタレのポイズンフォグはカナコの攻撃で即死し、倒れた拍子に自爆してしまった。余波を受けたソルジャーズも同様だ。今、モモを邪魔するものは何もない。それでも彼女は、その場を動けなかった。
目の前で横たわるカナコが今まさに、その命を終えようとしていたからだ。
先程、ようやくモモの体に埋め込まれた機械群が起動した。内蔵センサーから得られた情報は、生身の脳髄とシンクロした電子頭脳を経由してモモの頭の中に届き、確かな実感として理解できた。すなわち、カナコの弱まっていく命を理解させられたのだ。低下する心拍数、弱まっていく血圧、拒絶反応によって壊死していく細胞、呼吸も浅く小さくなっていくのがわかる。モモが医者であり、この改造手術室にある全ての医療機器を駆使できたとしても、カナコを救うことは不可能という確信が、頭の中に出来上がっていた。
「私ね、お父さんとお母さんがいなくて、不安でしょうがなかったのに……りんごの家の子達が、くさいとか、きもちわるいとか言ってきて……わけわかんなくて泣いてばっかで……。」
「うん、うん……。」
「そんな時、モモがみんな殴って追い払って……今も覚えてるよ、奇跡みたいだった。私にとってモモは、奇跡を起こす魔法少女なんだ。」
綺麗な髪も、透き通るような肌も、電撃で焼け焦げてもはや見る影もない。そして体の中身は、もっと酷い有様なのだ。そうなることを覚悟してまで、カナコはモモを守り抜いた。
両親のいない弱虫のいじめられっ子から、悲劇を無くすために奇跡の力を奮う少女になったのだ。
「変わったな、カナコは……。」
「……モモは、そのままでいてね。」
青ざめていく顔で、白くなっていく唇で、カナコは笑いかけ……パパ、ママと呟いた。それは音にもならないか弱さの、自分を受け入れた里親への謝罪だった。カナコは、息絶えた。
モモの胸の内に去来したものは様々だった。怒り、悲しみ、寂しさ、悔しさ……それらが渾然一体となって彼女の全身を引き裂こうとしていた。だがその中で芯となったものは、カナコの言葉だった。
改造手術で埋め込まれた機械群や培養人工筋肉は、既にモモの体に定着した。改人として完成し、その能力を最大限発揮できる状態になった。だが、モモはこれから改人として生きていくわけではない。もちろん、今までと同じ人間としてでもない。
弱気を助け強気を挫く、悪を倒す平和の使者、悲劇を無くす奇跡の紡ぎ手。それの少女は……。
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