メガボルト誕生編

改人襲来!危うし城茂モモ

 店内では客達の話し声と店員のコール、皿の擦れ合う音や油の弾ける音がひっきりなしに響き渡っていた。桜花堂という名前のそのラーメン屋はやはり夜の五時ということもあってほぼ満員状態であり、テーブル席につくのに何十分か並ぶ必要があった。一番奥のテーブル席へ案内された二人の十代女子は、片方は胡座で、もう片方は足を伸ばした長座で向かい合う。胡座の方は城茂モモ。黒い短髪に緑の髪飾りをし、青のジャケットとハーフパンツ、黄色いシャツを着ている。胸や尻は他の女性と比べて豊かで大きいが、顎に付いた古傷を始め、一眼でわかるようなただならぬ雰囲気を纏っている。長座の方は大友カナコ。クリッとした目に茶色の三つ編み、白いワンピースに桃色のカーディガンを纏い、スラリとした体型も相まってモモとは正反対の風体である。

「野菜ラーメンの大盛り、チャーシュー味玉トッピングで」

「私は…味噌コーンラーメンください。」

「あと半チャーハンと餃子!」

「相変わらずすごい食べるね、モモは。」

 店員にそれぞれの注文を通すと、和やかに話し始めた。モモとカナコは同じ孤児院の出身で同い年であり、親友同士だった。二人が八歳の頃にカナコが新しい父母にもらわれて以来、実に九年ぶりの再会であった。

「モモは……まだりんごの家に?」

「私は世間様じゃ不良ってやつだからな、お陰でチビ達の世話役ってワケよ。まァ毎日楽しくてしょうがないけどな!」

「変わってないね、モモは。」

 カナコは静かに破顔した。りんごの家……二人のいた孤児院では、気弱で小柄なカナコはしばしば嫌がらせを受けていた。だがその度にモモが飛んできて、大暴れした。モモの顎には古傷があるが、それは五人がかりでカナコを虐めていた男子に喧嘩を挑んだ際にできたものだ。モモはりんごの家の頂点に君臨し、今も孤児達の面倒を見ている。あの頃から変わらない、カナコの憧れていた力強い姿そのものだ。

「そう言うカナコは変わったな……そのメイクとか。」

「メイクだけじゃないよ、ほら。」

 カナコはスマホを操作し、画像データを表示してからモモに渡した。

「んっ? ほぇ〜コスプレか、これ! よくできてんなァ。」

 スマホには、フリルが沢山あしらわれた白い衣装に身を包んだカナコの姿が写っていた。ウィッグで金髪に見せ、カラコンや化粧で飾った顔は別人のようでさえあった。写真に映るカナコの顔は楽しさと自信に溢れており、その格好が大好きなのだということが言外に察せられた。

「魔法少女だよ。」

「魔法少女?」

「奇跡の力で悲しいことを無くしてくれる、皆を守る平和の使者なの。」

 カナコは気恥ずかしそうに語りながら、モモの腕越しに自分のスマホに指を滑らせる。画像がスライドすると、コスプレしたまま宙返りや三角飛びをしてみせるカナコの姿が現れた。

「魔法とか使えないから、ただのパルクールなんだけどね……。」

「すげェじゃねーか、こんなフリフリで飛んだり跳ねたり!」

「やだな、モモには及ばないよ。」

「ンなこたねえよ、私にはこんなの無理だ。カナコの才能だよ!」

「そうじゃ、なくって。さ……。」

「お待たせしました、野菜と味噌ですー。」

 顔を赤くして照れるカナコ。だがの声を遮るように、ラーメン屋スタッフが丼を持って二人の前に立った。

「おっと、来た来た。いただきます!」

「……そだね、食べよっか!」

 麺の上に乗った野菜の山を箸で突き崩すモモを見て、カナコは言いそびれた言葉を飲み込んだ。そしてレンゲを手にとって、ラーメンの汁で胃の奥へ流し込んだ。





 真っ黒な空の下、モモとカナコはマンションが立ち並ぶ住宅街を歩いていた。立ち並ぶ飲食店の明かりははるか後方、喧騒も届かない。ただ秋の風が涼しく吹くだけである。

「静かだなァ、こっちはいつもこうか?」

「最近行方不明者がよく出るんだって。私の学校でも一人いなくなった人がいて……。」

「そりゃ知り合いか?」

「知らない人。でも凄く怖いって思う。その人のお父さんお母さんがどれだけ心配するか想像するんだ。」

 カナコは歩きながら俯く。ラーメン屋での会話とは真逆に、その表情は曇っていた。モモはただ黙ってそれを見ていた。マンションの窓明かりはまばらで、街灯の光だけが二人の行く先を寂しく照らす。前にも後ろにも他の通行者はおらず、車道を通る影もない。親友との再会の喜びは冷え、ただただ不気味であった。

「ヒュイイイイ……。」

「え?」

「なんか言ったか?」

 そしてその静けさ故に、微かな駆動音が二人の耳に入ったのである。それは街路樹の陰からゆるりと身をもたげ、カナコを見ていたモモに腕を伸ばした。

「モモ!」

「ヒュイーッ!」

「うおッ、なんだこの野郎!」

 服の袖を掴まれたモモは腕を力任せに振り回し、相手を無理矢理引き剥がす。そして土手っ腹に蹴りを見舞うが、相手は微動だにしなかった。頭上から照らす街灯の灯りがその姿を明確にする。それは全身黒ずくめの人型。黒い仮面からは一切の感情が読み取れない。体型からしておそらく成人男性と推測できるが、それ以外の一切の情報は読み取れない。

 明確なのは、この相手がモモとカナコに危害を加えようとしている事実と、モモの蹴りが通じない頑強さを持つことだけである。

「ビクともしやがらねえ、なんだこいつ……。」

「まだいる!」

 モモとカナコの視線の先、彼女達の進行方向の街路樹から黒ずくめの別個体がゾロゾロと現れ出る。身長や体型も、仮面も格好も全く同じ四体だ。プレス機で機械整形したように立ち並び、街灯に照らされながらゆらゆらと迫ってくる。ただただ不気味だ。

 もしも全員同じくモモの攻撃をものともしないなら、勝ち目はない。

「ヒュイイ……。」

「ヒュイー!」

「逃げるぞ!」

「わかった! うぁっ!」

「カナコッ!?」

 黒ずくめ達の反対方向へ振り向いたカナコの顔面に、無色透明のガスが吹き付けられた。新しく現れた人影が放ったものだ。両肩には膨張と収縮を繰り返す不気味な袋を備え、そこから伸びるホースは掌の丸い噴射口に繋がっている。蛇腹状のボディの上にはガスマスクに似た頭部があり、そこから耐えずくぐもった呼吸音が響いてくる。ダークグレーに染まった全身は、アスファルトの地面や鉄筋コンクリートの壁に擬態して見えた。

「ンの野郎!」

「ぐっ?」

 モモはガスマスクの顔に渾身のパンチを叩き込んだ。これでふざけた輩を何人も病院送りにした、モモの喧嘩殺法であった。その直撃を食らってもまるで意に介さない。後ろから来る黒ずくめ達もそうだ。モモは自分の想像を超えた敵に、前後を挟まれていた。カナコはガスを吸い込んですぐ蹲って動かなくなっている。どうする、と考える間も無く、モモの腹に掌底がねじ込まれた。瞬きよりも速い一撃が内蔵を揺らし、背中の向こうへ突き抜けた。

「が、は……ッ!」

 モモの両足が一瞬地面を離れる。地に足着いたときには、既に息も絶え絶えに膝をつくばかりであった。ガスマスクは両手の先をモモに向け、カナコに浴びせたのと同じ無色透明のガスを吹き付けた。モモは図らずも、それを思い切り吸い込んでしまった。

 視界がぐらつき、音が幾重にも聞こえる。平衡感覚が失われ、地面に立っているのか宙に浮いているのか判別がつかなくなる。黒ずくめ達がモモの腕を引き上げて無理矢理立たせる。モモは五回の肘打ちで抵抗するが、やがてその膂力は失われていき、遂には完全に力尽きた。

「カナコ……。」

「しぶといやつ!」

 気絶したカナコも同様に引っ張り上げられ、無造作に担がれる。それを横目にしながら、モモは未だ抗おうとした。だが、二度目のガス噴射を顔に浴び、遂に白目を剥いて意識を失った。

「こいつは良い改人素体になるぞ。だがその前に、俺の顔を殴り付けたことを後悔させてやる。」

 ガスマスクの向こうから響くくぐもった声は、喋る内容に違わぬ下卑た声音であったが、その場にいる誰にも聞き咎められることはなかった。ただ星のない夜空に音が消えていくだけであった。





 モモが目を覚ましたとき、彼女の体は大の字になっていた。手術を受ける患者が着せられるような水色の貫頭衣を着せられ、両手足を広げた状態で巨大なリングの中に固定されている。未だに微睡む意識の中で、辛うじて地面と垂直であることを認識できた。そして固定された状態のまま見渡すと、自分がいる場所の情報が目に入る。

 そこはおよそ六メートル四方の空間であった。壁と床と天井の全てが白いタイルで埋め尽くされており、その中央にモモを固定するリングが鎮座している。タイルは全て淡く発光しており、部屋全体そのものが照明の役割をしているのだった。リングはモモの手首足首を前後から挟んでおり、広げられた手足をよくわからない円筒状の機器で完全に包み込んで離さない。リングの間には銀色の細長い物体がみっしりと詰まっていて、時折動いて枝分かれした先端をモモに向けるのだった。

 部屋の情報を認識し始めると、モモの意識は少しずつ覚醒を始めた。それと同時に、体中からじくじくとした痛みが訴えてくる。一箇所二箇所ではなく、あたかも皮膚の一片一片、細胞の一粒一粒に切り傷を付けられたかのような熱い痛み。リングから覗いてくる無数のロボットアームによるものだということは、霞みがかったようにはっきりとしない頭でも理解できた。

 モモは記憶を手繰り始める。カナコと再開して、ラーメン屋に行き、帰りがけ人気のないマンション群を通り抜けようとして、それから。それから?

「うぁああああああああ、あああああああっ!!」

 右隣から聞こえた絶叫に、モモの意識は今度こそ覚醒した。聞き間違えるはずもない、カナコの声だ。

「あああああ、いだい! いだい! いだい! いぃいいいいいいっ!」

「カナコ、おい! 大丈夫か、無事か! カナコ、カナコっ!」

 モモの側からはリングに視界を塞がれ、カナコの姿は見えない。おそらくモモ同様にリングに挟まれ身動きできない状態であるだろうが、聞こえてくる叫びはカナコが尋常ではない状態にあることを察するに余りあった。

 必死に呼びかける声もかき消すような悲鳴、絶叫。激痛に身悶え、耐え難き苦しみを味あわされている真っ最中の叫びである。それにつられて、モモの手術跡も一層痛みを増していく。自分の痛みを押し殺し、モモはカナコに必死に呼びかけた。

「カナコ、しっかりしろ! ここにいる、私はここだぞっ。絶対助け出してやるからな!」

「モモ、痛い、あああっ!」

「てめえら、どこだァッ! 私とカナコに何をしやがった! 出てこいこの野郎! 畜生!」

 モモは手足が千切れんばかりに暴れた。固定具がリングにぶつかりがちゃがちゃと金属音を響かせる。カナコの絶叫はそれすら掻き消すほどであったが、やがて聞こえなくなった。カナコがいるであろう方を見やれば、うつ伏せで倒れたカナコの姿が目に入った。ピクリとも動かない。

 死んだ? まさか、カナコが? 衝撃がモモの心を揺らす。気絶したかもしれないという希望的観測は、先程の悲鳴から考えて到底思い起こせなかった。なんとか声を引き出そうと、すっかり乾いた喉を動かす。せめて、せめて生きているかどうか声をかけたい。返事を聞きたい、それだけでも知りたい。

 そうする間も無く、モモの正面の壁が左右にスライドした。モモは反射的にそちらを見た。開いた壁の向こうには、あのガスマスクの大男と、黒ずくめの集団がのそりと立っていた。

「気分はどうだ、改人メガボルトぉ……。」

「お前ら、ナニモンだ……カナコに何をしやがった!」

 唾を飛ばして食ってかかるモモだが、固定具は彼女を捕らえて離さない。その姿を満足げに見守り、ガスマスクはねっとりとした調子で話し始めた。

「俺は改人ポイズンフォッグ。まずはおめでとう、お前らは我々国王派の次期幹部級改造人間の素体に選ばれた。」

「改人? 黒王派? 改造人間?」

 耳慣れない固有名詞を鸚鵡返しにするモモを無視し、ポイズンフォッグは続けて言い放った。

「お前らは黒王派の手によって生まれ変わった。改造人間……人間とは似ても似つかぬ、戦うための正体兵器になぁ!」

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