結婚するとは言ってくれない姉妹百合

川木

結婚するとは言ってくれない姉妹百合

 昼下がり、リビングソファに座ったお姉ちゃんはファッション誌をのんびり読んでいる。そんな何気ない姿も様になっていて、素敵。

 お姉ちゃんは自分の部屋ではお菓子を食べないルールをつくっているので、休日の昼下がりはいつもここでゆっくりしている。だから私もいつもそうしている。

 今はソファ下のラグ上に寝っ転がってテレビをつけてスマホをいじっているふりをしながら、たまにお姉ちゃんの様子をうかがっている。


 お姉ちゃんは私より5歳年上だ。小さいころから私の面倒をいつも見てくれていて、いつだって優しくて、頭もよくて器用でなんでもできて、まさに大和撫子って言う感じの最高に最強なお姉ちゃんだ。

 今大学生のお姉ちゃんからしたら、中学生の私は子供でしかないんだろう。そう思うとちょっと切ないけど、その分存分に甘えられるのは今くらいじゃないだろうか。

 と言う訳で、テレビがCMに入ったタイミングで一回トイレに行き、戻ってさり気なくお姉ちゃんの隣に座る。


「ねえお姉ちゃん、膝枕してよ」

「えー、いいけど。本で顔隠れちゃうよ?」

「本より私見ててー」

「もう、しょうがないなぁ」


 お姉ちゃんは笑って雑誌を置いてくれたので、どーんと膝枕に突撃する。お姉ちゃんの膝枕好き。ぽんぽん叩いて堪能してから上向きになると、お姉ちゃんはにっこり笑って頭を撫でてくれる。


 そしてテレビのリモコンに手を伸ばして、私の頭を撫でながら番組をかえていく。それを下から見ながら、私もテレビをチラ見する。

 情報番組でとまった。芸人さんがスタジオと話をしながら街歩きをしている。


 お姉ちゃんはいつもゆるく微笑んで見える真顔でテレビを見ている。真剣なのにそう見えないとこ、可愛いなぁ。


「ねー」

「んー?」


 お姉ちゃんはちらっとだけ私を見て鼻をならすように返事をする。私がテキトーに声をかけるとお姉ちゃんもテキトーに返事をしてくれる。そう言う他の人には見せないゆるい態度も、私だけにしてくれると思うと気分がいい。


「好きー」

「ふふ、私も好きだよ」


 にこっと笑って前髪をながしてくれた。


「愛してるー」

「はいはい、愛してるよ」


 流すような言い方だけど、その声には愛情がいっぱい詰まっているのが伝わってくる。何でも受け入れてくれるような、柔らかくて優しいオーラがあふれていて、私を特別扱いしている実感がある。

 それでもお姉ちゃんは、私を妹以上には絶対にしてくれない。


「ねー、結婚してよー」

「うららちゃん、お姉ちゃんとうららちゃんは姉妹だから、結婚はできないんだよ。ごめんね?」


 ほらね。私は中学生だ。そこそこ年も離れていて、ついこの間までお姉ちゃんは私とお出かけするときいつも手を繋いでくれていて、自分で言うのもなんだけど手のかかるくらい幼い可愛い妹だと思う。

 別に妹じゃなくても、弟でも、姉じゃなくて兄でも、父でも母でも、中学生の子が大好き愛してる結婚するーって冗談っぽく言ってきた時、普通は喜んだりするんじゃないの? うんうんそうだねって、その場しのぎの冗談として頷いてくれるものじゃないの?


 なのに困った顔して、お姉ちゃんはそう否定する。私が初めてお姉ちゃんと結婚すると言ったのは一年前、小学生の時だ。その時と全く同じ。最初から、お姉ちゃんは一度も結婚すると冗談でも言ってくれない。


「むー。そうだけどー……いいじゃん。お姉ちゃんも私のこと大好きなんでしょ?」

「そうだよ、だから駄目なの」


 お姉ちゃんはまた微笑んで、今度は大人びた、まるで何もかも知ってる神様みたいに微笑んで、私の頬を撫でながらそう言った。


 お姉ちゃんはきっと、この胸のときめきに気付いているんだろう。お姉ちゃんを見ているだけでくっつきたくなって、くっつくだけでドキドキして、でもそれじゃ足りなくて、お姉ちゃんを独り占めしたいこの気持ちに。

 お姉ちゃんと本気で結婚したいって思ってる、この気持ちに。


 だから冗談でも嘘でも、言質をとらせないようにしてるんだ。夢をもたせないように。残酷なくらいに、お姉ちゃんは優しいから。


「ちぇー」

「……いつか、私以上に大好きな人ができるよ」


 お姉ちゃんは大人だ。でも不思議でたまらない。大人だって、前は子供だったのに。どうして子供の時の気持ちを忘れるんだろう。

 私は子供だけど、ちゃんとお姉ちゃんのことが大好きなのに。こんなに、苦しいくらい大好きなのに。どうしてこれ以上の気持ちがあるなんて軽々しく言えるんだろう。


 一年前はまだこの気持ちが恋だってわかってなかったけど、お姉ちゃんに否定されて、それからちゃんと自覚して、気持ちは変わってないって伝えたくてもう一回言ったのに。

 相変わらずお姉ちゃんは結婚するとは言ってくれなかった。


 なのにこんな風に、態度ではめいっぱい甘やかしてくれるから、だから嫌いになんてなれないし、諦めることなんかできるわけない。


「……じゃあそれまでは、私だけのお姉ちゃんでいてくれる?」

「ん……いいよ。と言うか、2人だけの姉妹なんだから、お姉ちゃんは他の誰のお姉ちゃんにもならないよ。お姉ちゃんはずっと、うららちゃんのお姉ちゃんだからね」


 しみ込むように優しい言葉が降ってきて、私は泣きそうなくらい嬉しくて、泣きそうなくらい苦しくて、泣きそうなくらい腹がたってしまう。

 ずっとなんて言ってくれるくらい優しいくせに、姉だからって予防線だけはめいっぱいはって、お姉ちゃんはずるい。


 それでも、わかっているくせにそのやさしさに甘える私が、結局一番ずるいんだろう。わかってる。わかってるけど、中学一年生の私にはこれ以上どうしようもなくて、甘えが許されるタイムリミットを惜しむように、無邪気な子供みたいに甘えることしかできないんだ。


「ん……お姉ちゃんだーいすき」

「はいはい、大好き大好き」


 このままずっと子供でいられたら、一生お姉ちゃんを独り占めできるのに。

 早く大人になって、お姉ちゃんに子供じゃないって本気だってわかってほしい。

 全然反対のお願いが私の胸にいつもあって、自分でも本当はどうしたいのか、何がしたいのか全然わからない。

 ただ目先の欲望のまま、お姉ちゃんに縋っているだけだ。そして私が何を願ったとして、時間の流れは全然変わらなくて、止まらないくせに、早くもならない。


 私はお姉ちゃんに撫でられながら、未来に期待しながら、未来を恐れるこの気持ちを誤魔化すように、そっとお姉ちゃんに顔を擦りつけた。









 妹のうららちゃんが世界一可愛いと言うことに、私はうららちゃんが生まれた瞬間から気付いていた。

 可愛い。髪の毛一本まで余すと来なく可愛い。生まれた時の小さくて柔らかく温かい体、抱き上げると軽いけどずっしりとつまっていて命の重みを感じた。あの最初の出会いを、今も鮮明に覚えている。

 今、中学生になったうららちゃんは昔よりずっと大きくなった。天使だったうららちゃんは天使みたいに可愛い人間の女の子になって、可愛いばかりじゃなくて美しい心を持っているし、時々はっとするような言葉を言ったり、何もかも見通すような綺麗な目を持っている。


 きっとうららちゃんは天使の生まれ変わりだと思う。なんて、半分冗談だけど、半分本気で思うくらいにはうららちゃんは可愛い。超常の可愛さ。世界で一番可愛いのはガチ。


 そんなうららちゃんの姉として生まれた私の使命はうららちゃんを可愛がり慈しみ愛して愛して一生守っていくことだと思っていた。それが生まれた意味なのだとすら思っていた。

 だけどうららちゃんが小学六年生の時。可愛い可愛いうららちゃんが私に言ったのだ。


「お姉ちゃんだーいすき。えへへ。私、おっきくなったらお姉ちゃんと結婚するね」


 その言葉はとっても嬉しくて、嬉しくて、私は喜びすぎてしまった。ただ純粋に慕われた喜び以上に、本当にそうなって欲しいと言う喜びが沸いてきてしまったのだ。

 恋愛感情ではない。幼いうららちゃんをよこしまな目でみたことなんてない。だけど、うららちゃんのことを一生独占したいと思っていたのだ。それを自覚してしまった。


「うららちゃん、私たちは血がつながった姉妹だから結婚できないんだよ」


 だから、その言葉には頷くことはできなかった。うららちゃんは純粋に私を慕ってくれているだけなのに。子供だからそう言ってくれているだけで、大人になったら自然と冗談だと言ってくれるはずなのに。

 私はあえてうららちゃんを傷つけるのがわかっても断らないといけなかった。たとえ冗談でも、言質をとったなんて私が思ってしまわないように。いつかうららちゃんが誰かと結婚する時に、私とすると約束したのに、なんて風に思ってしまわないように。


「え……」


 案の定うららちゃんは、あんなに嬉しそうにはにかんだような笑顔で言ってくれたのに、私の言葉でショックを受けたように顔をこわばらせた。


「ごめんね」

「……お姉ちゃんなんか、知らないっ」


 適当に今だけの幸せを喜んでおけばいいのに、傷つけたのは私の身勝手だ。だから謝ってそっと頭を撫でようとする私に、うららちゃんはちょっとだけ泣きそうになって私の手を払って逃げてしまった。


「……ごめんね」


 うららちゃんがいなくなって、それでも謝らずにいられなかった。ただの自己満足だ。

 うららちゃんが私から逃げるなんて、鬼ごっこをしていた時くらいだ。いつだって笑顔で私に向かって手を伸ばしてくれていた。泣き虫で転んだだけで泣いちゃううららちゃんを慰めるのはいつでも私の役目で、私が泣かしたことなんて一度もなかったのに。


 でも、これでよかったのだ。早いうちに気が付いて、ちゃんとうららちゃんと距離をとって、普通の姉妹として接することが一番いいのだ。


 うららちゃんがとっても可愛くて、天使のようだったから、私はうららちゃんを好きになりすぎていたのだ。

 うららちゃんに幸せになってほしい。それは間違いなく本心からの願いなのに。私は、うららちゃんが自分のものになってくれることを願ってしまっていたのだ。


 そう思って我慢したのに。心を鬼にしたのに。


 それから一年たって、中学生になったうららちゃんは相変わらず甘えん坊で、全然変わらない、ううん。むしろもっともっと可愛くなっていて、また、私と結婚しようと言ってくれた。

 嬉しいなぁ。嬉しい。きっと前言ったことを忘れちゃっていて、そのくらいうららちゃんにとってはどうでもいいことだったんだろう。私が喜ぶと思って言ってくれているんだろう。

 それでも、そう言う風に言ってくれることはとっても嬉しくて、でも、駄目だった。


 その通りになればいいのに。うららちゃんと結婚できたら、うららちゃんの全部をわたしのものにできて、うららちゃんがいつか誰かの恋人になって誰かに奪われてしまうことがなくなると。そうまで思ってしまったのだ。


 うららちゃんは中学生になって、少しだけ大人になってきている。去年と比べても五センチも背がのびた。

 生まれた時、天使そのものだったうららちゃんは、今はもうぷくぷくした手じゃない。膝を曲げて抱っこしていた身長は、今では立っているだけで胸元まである。きらきらした大きな瞳は、その美しさはそのままにふとその長いまつ毛が影をおとすと、一瞬大人みたいな妖艶さを感じさせることもあった。

 そんなことを、思ってしまった。もううららちゃんは子供から大人になろうとしていて、そんなうららちゃんの全部、私だけが知って、私だけのものにしたいのだと、思ってしまったのだ。


「むー。そうだけどー……いいじゃん。お姉ちゃんも私のこと大好きなんでしょ?」


 私の膝の上で、どこまでも私を信頼して身を任せた状態で結婚しようと無邪気に言ってくれたうららちゃん。

 どうしようもない私は断ることしかできなくて、だけどそんな相変わらず、前よりもっとどうしようもない姉である私に、うららちゃんは不満そうにしながらそんな風に文句を言う。


 私を喜ばそうと言ってくれたリップサービスだとわかっていて、本気で結婚したいみたいにも見えてしまう。そんなわけない。ただの善意を拒否されたことが不満なだけだ。

 でもそんな風に、私の姉のしての好意を疑わないうららちゃんが、私は本当に大好きで、妹としても大好きなのだ。


「そうだよ、だから駄目なの」


 本当に結婚しちゃいたいくらい、姉妹とか関係ないくらい好きだと思ってしまっている私がいる。だけどそうじゃなくても、私はちゃんと、妹としてもうららちゃんが大好きなのだ。

 大好きだから、私は断るのだ。断らないといけない、不甲斐ない姉失格の自分が嫌になる。だけど、ちゃんと断れるだけまだうららちゃんを大事にできる自分に安心する。


 私は姉としてはいけないくらいうららちゃんを愛してしまってる。姉ではいられないくらい、うららちゃんを特別に思ってしまってる。だけど同時に、ちゃんと姉としてうららちゃんが大好きなのだ。


「ちぇー」


 去年と違って逃げないうららちゃんは不満そうにしながらも私に大人しく頭を撫でられたままだ。


「……いつか、私以上に大好きな人ができるよ」


 きっとそのうち、こんな戯言を言ったなんてうららちゃんはまた忘れてしまうだろう。

 そして、もうこんなことは言わないだろう。いつか、きっと、他の誰かに言うのだ。


「……じゃあそれまでは、私だけのお姉ちゃんでいてくれる?」


 可愛い。可愛い可愛いうららちゃん。私をじっとみあげるその様子は、今も変わらず天使のように可愛らしい。


 いつか、他の誰かに寄り添って、誰かに口づけで挨拶をするようになって、誰かにその身をゆだねるのだろう。

 ああ、そうなる前に、いっそ、私が奪ってしまいたい。腕の中に抱きしめて離さないで、逃げないようにずっと閉じ込めてしまいたい。そんな風に考えてしまいそうになる。それは悪いことだ。私は悪い姉になりたくない。ずっといいお姉ちゃんのままでいたい。


「ん……いいよ。と言うか、2人だけの姉妹なんだから、お姉ちゃんは他の誰のお姉ちゃんにもならないよ。お姉ちゃんはずっと、うららちゃんのお姉ちゃんだからね」


 この気持ちを知られたら、表にだしてしまったら、もう姉ではいられなくなる。一緒にはいられない。


「ん……お姉ちゃんだーいすき」

「はいはい、大好き大好き」


 心がこもってしまわないように、姉じゃない気持ちがでてしまわないように、私は慎重にそう応えた。この気持ちも決して、嘘なんかじゃないから。


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