7-2
そして午後の授業が終わり、放課後になる。
かなり急いだつもりなのに、俺が事務棟のエントランスに行った時には撮影がすでに始まっていた。まだ授業が終わったばかりなのにどうしてと思ったが、すぐに納得できる答えを思いつく。簡単な話だ。スポーツ科は普通科と違って六限までしかない。
どうりで見に来ている生徒がスポーツ科ばかりなはずだ。撮影を遠巻きに囲んでいる生徒の胸には青いネクタイばかり。そして彼らの視線があつまることろにサッチがいた。
エントランスの真っ白い壁には大きなパネル。それは木曽が撮った写真から作ったものだ。
その前に立つサッチは制服を着ておらず、BMXをやっている時と同じような恰好をしている。だけど撮影だからかシャツもハーパンも新しい。いつもの穴が開いたり落ちない汚れが残っているものじゃなかった。その底上げがあるにしても、かわいく……いや、格好よく見える。プロのメイクにかかるとこうもちがうのか。ローカル局とはいえ、さすがテレビの撮影だ。
そんなサッチの左側には富士見教頭が立ち、女子アナらしきリポーターが反対側にいる。
彼女はサッチにマイクを向けた。
「まずはBMXフリースタイル全国大会三位入賞おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「九月に全日本選手権が行われますが、御代田選手の意気込みを聞かせてもらえますか?」
「はい。全力を出し切れるよう練習に励みます」
カメラを向けられている上に、生放送のせいもあってか、サッチの表情も言葉も固い。少しでも緊張を和らげさせようとして、リポーターは笑みを浮かべる。
「やはり狙うのは優勝ですか?」
あまりにも高すぎる目標を掲げられて、サッチは顔はさらに引きつる、そして広告塔としての役割を思い出し笑顔になった。
「全日本にはオリンピック選手も出てきますし、胸を借りるつもりで頑張ります。応援、よろしくお願いします」
「良い結果が残せるといいですね」
そしてリポーターはカメラに顔を向ける。
「世界へ羽ばたこうとしている御代田選手の凄さを少しでも伝えたい、という提案がありまして、なんと今から実演してもらえます!」
テンションを上げるリポーターに呼応して、ギャラリーの生徒たちが歓声を上げた。
「それでは御代田選手、準備の方をお願いします」
「はい」
サッチはペコリと頭を下げ、小走りで去る。その後ろ姿にリポーターは手を振り、にこやかに締めくくった。
「それでは、いったんスタジオに戻します」
そこで撮影が止められた。テレビ局の人が富士見と段取りの確認を始め、撮影スタッフは事務棟前のジャンプランプに移動する。それに付き従い生徒たちもぞろぞろあとを追った。
俺たちが作ったジャンプランプでサッチガ何を見せてくれるか楽しみにしつつ、生徒の流れを目で追っていた。他人事のようにこのイベントをのんびりながめるつもりだけど、そんな気分は吹き飛ぶ。生徒の波の中に高遠の姿があったからだ。
あれだけサッチに対抗心を持っている高遠が撮影を見に来ているのが、不思議というより不気味に感じる。同じ風紀委員として応援しに来たのかもしれないが、今までの印象からだとそうは思えない。そんな事を考えているうちに高遠は不敵な笑みを浮かべたまま人混みに紛れた。
別に俺は高遠を嫌っていないし、自分にとって不益な人とも思っていない。ただ、あんな人もいると認識しているだけだ。それなのに足元をすくわれそうな嫌な感じがする。
何か大きな見落としをしていないか。そんな考えが浮かんできた時、肩をつかまれた。
「どうした、セーゴ。昼間っから幽霊でも見たのか? 顔が青いぞ」
「何でもないって」
「それなら良いけど。ほら、御代田先輩の雄姿を見に行こう」
木曽に背中を押されるまま外に出た。ジャンプランプへ続くアプローチとランディング先はカラーコーンで区切られていて、ギリギリのところまで生徒たちは詰め寄る。まるで結婚式の花道のようだ。彼らは今か今かと待ちわび、盛り上がりは熱気になって立ち込める。
そんな中、撮影スタッフの準備が整い、ついでリポーターと富士見がカメラ前に立つ。ジャンプランプの側面を背に、撮影が再開された。
スタジオとやり取りしていたリポーターは改めてマイクを富士見に向ける。富士見はいつも通りの自然体で緊張などしておらず、柔らかい声で語りだした。
「御代田さんは競技だけでなく、風紀委員としても頑張ってくれています。これからの活躍を応援するのと同時に、松木北高校の生徒を率いてもらえると期待しています」
「とても優秀なんですね」
「ええ。風紀委員会の次期会長を任せたいぐらいに」
それからも二人の話は続いていたが、俺の耳には入ってこない。富士見の言葉に引っかかりを覚えたからだ。
風紀委員会の次期会長と言っていたのは聴き間違いじゃない。高遠が見せる異常なまでの対抗心はこれが原因かもしれないと思った。
高遠も次期会長を狙っているとしたら? そう考えると……余計にややこしくなる。
サッチは結果を残し、高遠は競技者としても風紀委員としても遅れをとっている。それなのに、さっきの笑みはなんだ。まるで勝利を確信していようだった。
富士見とリポーターが話している後ろでサッチが飛ぶ。スピードも高さもなく、試し飛びをしているのは一目瞭然だけどギャラリーは湧いた。あまりにも大きい歓声のせいで、富士見たちの会話が途切れる。
サッチのエアーは何の問題もなく見えるけど、スタート位置に戻っていく表情は暗い。だけどリポーターの後ろを通り過ぎる時に、頑張って、と声をかけられると笑顔を見せていた。
俺の隣で木曽がカメラを構え、BMXにまたがるサッチの後ろ姿に向けてシャッターを切る。
「すごい盛り上がりだな。せっかく御代田先輩と仲良くなりかけたのに一気に遠い存在になった気がする」
「そうか? 見に来てるのはスポーツ科生徒ばかりだし、そうでもないだろ」
俺にはそこまで注目されているように思えなかったが、木曽はカメラを下ろして指さした。その方向には普通科校舎があり、二階や三階の教室だけでなく屋上からも、たくさんの目が向けられていた。その中には駒ヶ根だけでなく、幽霊騒ぎを起こした野沢の姿もある。
「木曽、俺たちが見たのって、赤い光だったよな」
「何の話だよ」
「ほら、サッチの写真選びで帰りが遅くなった日だよ」
「あー。そう言えば赤だった気がする」
だけど野沢が持っていたランタンは赤ではない。だとすると……どういう事だ?
俺がだまり込んでいると、木曽はスマホを取り出して耳に当てる。
「今いい? ……すぐ済む話だから。思い出させて悪いんだけど、幽霊の件で聞きたい事があるんだよ。……だから悪いって前置きしただろ。……駒ヶ根って赤い人魂みたいなのって見た?」
おそらく電話の向こうにいるのは駒ヶ根だろう。少しの間、木曽は耳を傾けていたが礼を言って電話を切った。
「赤い光を見たのは金曜日、俺たちと同じ時だけだってさ。それが何なんだよ」
木曽の問いに答えず、俺は頭をフル回転させる。このまま何もしなかったら取り返しがつかなくなる予感がしていた。
それはただの勘なのかもしれない。そうでなければ悪い事が起きるという情報をすでに持っている事になる。
だけどつながりの見えない情報は役に立たず、どれが必要で何が不要なのかすらわからない。
だから俺は逆から考える事にする。
その時、サッチが二回目の試し飛びをした。さっきよりスピードも高さもある。空中でバイクを放りだし、ハンドルとサドルを持って体を反らしている。エントランスのパネルと同じ技だ。非の打ち所がない完成度がある。
一回目より大きな歓声が湧いた。
そしてサッチはバイクを引き寄せ、再びまたがって着地。わずかにバランスを崩していたのは緊張のせいだろうか。
自分の頭をゴンと小突き、見とれている場合じゃないと思考に集中する。
何かが起こるとしたら今だ。一番効果的なのは撮影を失敗させる事。そのためにはサッチがミスすればいい。
たった今、着地が怪しかったのが気になる。
「木曽! そのカメラって拡大もできるよな」
「できるけど、さっきから何なんだよ。説明ぐらいしてくれてもいいだろ」
「時間がない。ジャンプランプのあそこ、サッチが着地してた場所を見せてくれ」
「あとで教えろよな」
そう言いながらも、木曽はカメラを向けてレンズを回した。
「何だ、あれ?」
木曽からカメラを受け取り、ファインダーをのぞく。一番最初に見えたのはジャンプランプの骨組みだ。そこに俺のBMXがある。拡大されていてカメラの方向を合わせるのが難しいが慎重に動かす。ファインダーの中でジャンプランプが動き、着地するための長いスロープが見えた。
俺は息を飲む。ちょうどサッチが着地した辺りが濡れているように見えた。テカリのあるオレンジのコンパネだから分かりづらいが、何かが塗ってある。
さっき、着地が怪しかったのはあれのせいだ。
再びスタート位置に戻ろうとするサッチがリポーターの前で止まる。
「御代田選手、調子はどうですか?」
「大丈夫です。いけます」
不安はあるはずなのに力強く答えてサッチはペダルを踏んだ。ギャラリーの声援に手を振りつつ、次のジャンプに向かう。
俺はそれを見送るだけで大丈夫だろうと考えていた。サッチなら着地が滑りやすくても、二回もやれば把握できる。ミスを誘発させるための小細工は通用しない。
最高潮を迎える舞台が整ったと思っているのか、リポーターはカメラ向かってに熱く語りだした。
「今から御代田選手にやってもらうのは、スリーシックスティ・テールウィップというトリックになります。彼女は空中で一回転し、さらにBMXだけをもう一回転させるそうです。口では説明が難しいですが、これができる女性選手は極一部だけだとか」
それを聞いて俺の心臓はドクンと鳴った。
サッチにとってその技は大会で勝つための切り札だけど、着地と同時に回転を押さえ込まなければならない繊細さが必要だ。グリップしにくい細工がしてあるとわかっていてやる技じゃない。
だけどスタート位置につくサッチはリラックスしようと手や首を回している。やる気なのは伝わってきた。
もし、この状況で俺がやらなければならないとしたらどうする? 簡単だ。細工を飛び越してしまえばいい。だけどスタート台もなしにサッチの脚力だけで、それを可能にする速度は出せない。悲しいけど、これが男と女の差だ。
「木曽、頼みがあるんだ」
俺はカメラを返しながら口早に説明する。そして人だかりの中心へと走った。ジャンプランプにたどり着き、骨組みの単管パイプに立てかけてあるBMXを引きずり出す。
近くにいる生徒たちは何事かと目を向けてきて、それはリポーターも同じだ。段取りにない事態に不安を隠す余裕がない。そんな中、富士見だけが冷静だった。
BMXにまたがる俺の進路を塞ぐように立つ。
「何をするつもりですか?」
その声に、いつもの柔らかさはない。冷たく、氷のようにとがっている。
彼女を納得させるには正確に伝えなければならないのに、時間を取られる焦りが説明を端折らせた。
「撮影をぶち壊そうとするやつがいます。サッチ、御代田先輩が危ない」
「それで、どうするつもりですか?」
「BMX乗りのやり方をするだけです。撮影は成功させますよ」
「うまくやる自信はありますか?」
その問いに力強くうなずく。
それが決め手になったのか、富士見は迷う事なく俺の肩をポンと叩いた。
「任せました」
俺はペダルに力を入れる。花道の生徒たちが怪訝そうな顔をしている中、俺はアプローチを逆走した。
後ろからナレーターの声が聞こえる。
「富士見教頭、これは?」
「せっかくですので御代田さんの全力を見ていただきたいと思いまして、彼に協力してもらう事になっています。彼も表彰台こそ逃しましたが実力のあるBMX選手です」
「なるほど。それは楽しみですね」
そのやりとりを聞いた生徒たちはサプライズだと思ったらしく、俺を見る目が期待に変わった。
サッチのもとにたどり着くと、まわりに聞こえないようにするためか顔を寄せてきた。
「一体、何なの?」
「気づいてるんだろ。ランディングに細工されてるのを。大技やって決める自信あるのか?」
サッチは口をつぐむ。そして吐き捨てるように言った。
「決めるしかない。こんな舞台で逃げるなんて絶対に嫌」
「そう言うと思った。だから来たんだよ」
俺はBMXの向きを変え、斜め後ろにつく。そしてサッチのサドルをつかんだ。そのせいか慌てて腰を浮かし、俺をにらむ。
「ちょっと! そんなところつかまないでよ!」
「何だよ。昔よくやっただろ。俺が押してサッチが飛ぶ。なんだか懐かしいな」
子供の頃を思い出す。飛びたくても速度を出せないサッチを押してやった。それで大コケして泣きそうになりながらも繰り返し、良いエアーができると花が咲いたように笑っていたっけ。
同じ事を思い出したのか、サッチの声から棘がなくなる。みなぎるやる気がBMXに伝わり、俺の手に感じられた。
「そうだったね」
「久しぶりだけど、いけるか?」
「セーゴこそしっかり押しなさい。あんたの方か小さいんだから」
「うるさい」
そしてリポーターが大きく手を上げる。
「準備はできたようですね。それでは御代田選手! お願いします!」
サッチはペダルを踏む。それ以上の力で俺も漕いだ。本来なら俺が加速するはずのエネルギーをサッチへ送る。
みんなに見守られるアプローチを駆け抜ける俺たちは、まるでバージンロードを進む親子みたいだと思った。なんで俺が父親役なんだよ、と心の中でツッコミを入れて最後にひと押し。ありったけの力を込めた。
「ミスるなよ!」
「当たり前でしょ!」
十分に加速したサッチはそのままジャンプランプを駆け上り、飛んだ。
俺はブレーキをかけながら見上げる事しかできない。高く、本当に高く飛んでいた。サッチが回るのとは別に、体から離れたBMXは命を持っているかのような躍動をする。スリーシックスティ・テールウィップ。これほどの完成度は男でもなかなかできない。
そしてサッチの姿は落日のようにジャンプランプに隠れる。俺の位置からだと着地が見えないけど、今まで以上の歓声が成功を教えてくれた。
想像していた以上のものを見せられたリポーターは唖然としていたが、我に返って仕事を思い出す。
「凄い! 本当に凄いです! 間近で見ると凄い迫力です!」
語彙力を失ってしまったようなリポートだけど、それほど感動したのだろう。
着地を決めたサッチはゆっくりリポーターのもとに行き、締めのインタビューが始まった。
彼女の仕事は山場を超えたが、俺の仕事はここからだ。BMXに乗ったまま人だかりから離れる。
ブレザーの内ポケットでスマホが震えた。どうやら木曽は見つけてくれたらしい。
『セーゴ! いたぞ! 高遠は事務棟と普通科校舎の間に入っていった!』
「ありがと。もうひとつの方も頼む」
スマホをしまいながらペダルを踏み込んだ。逃がすつもりはない。
俺には幽霊騒ぎから続く事件の全貌が見えていた。幽霊は野沢の他にもう一人いる。状況から高遠しか考えられない。
サッチに醜態を晒させて一番得をするのは高遠だ。今回の撮影でサッチの名声が上がれば、富士見は次期風紀委員会会長に推薦するだろうし反対する人はいなくなる。高遠にとって、それは何が何でも避けたいに違いない。だからジャンプランプに細工をした。だけど事務棟前は見通しが良すぎるし、夜だとしても誰かに見られる可能性がある。特にサッチは前日に下見するかもしれない。
だから幽霊騒ぎに便乗した。撮影前日の夜に普通科校舎へ人目を釘付けさせるために。
金曜日の夜、サッチが写真選びをしているのは、同じ風紀委員の高遠が知っていてもおかしくない。だけど確実に幽霊が現れるともかぎらなかった。実際、駒ヶ根の話では毎日見たわけではない。だから高遠はより印象つけるために自ら幽霊になった。赤い光を使って。
そして俺たちはまんまと踊らされた事になる。昨夜、幽霊を捕まえにくると思っていた高遠が現れなかったのは、ジャンプランプに細工してたからだ。
俺はペダルを更にペダルを踏み込む。事務棟と普通科校舎の間を通り抜け、自転車置き場が見えてくる。そこに高遠はいた。
「高遠!」
俺が叫ぶと、やつはぎょっとした顔で振り返った。そして背を向けて駆け出す。スポーツ科だけあって速いが、BMXを駆る俺よりは全然遅い。速度を維持したまま自転車が並ぶ列の間に入る。コンクリートをタイヤで切りつけながら走り抜けた。
追いつくのは確実だが、高遠は苦し紛れに自転車を倒して即席のバリケードにする。だけどそんなものは時間稼ぎにもならない。前輪を引き上げて勢いよく跳ねる。横倒しになった自転車など簡単に飛び越えた。そのままドリフトさせ、BMXで高遠を壁に追い込む。
高遠は衝撃にそなえて身を固くしていたが、俺はギリギリのところで止まった。正直に言うと、勢いがつきすぎててぶつかるかと思った。壁に足をついていなければそうなっていたと思う。
おかしな壁ドンの形になったまま、俺は宣言した。
「BMXに乗った俺からは逃げられませんよ。そして高遠先輩が何をしたのか全部わかっています」
それが決め手になったのかわからないが、高遠の体から力が抜けたのはわかる。
そして逃走劇に幕が下りた。
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