6-4

 夜の教室。日中に授業を受けている時は何ともないのに、どうしてこんなに怖く思えるのだろう。


 暗いから? それなら家でも寝る時は電気を消す。


 誰もいないから? ひとりが怖いならトイレですら行けなくなる。


 俺は教室を見回す。音のない静けさ。明かりを放たない照明。窓の外に広がる闇。きっとそれらは怖さにつながらない。たぶん俺が怖いのは非日常感なんだ。それが幽霊なんてものを想像させる。


 それがわかったところで不安が消えるはずもなく、どうしてこうなった、とため息を吐く。それは思った以上に大きく響いた気がした。


 教室の隅でかがんでいる俺のところにサッチが来た。足音を立てないように、そーっと足を運ばせ、腰を下ろす。


「ここから見てる範囲では誰も普通科校舎に近づいてないね。……大丈夫? 段取り忘れてない?」


 俺の表情を読もうと顔を近づけてくる。教室が暗いせいか、垂れた髪が触れそうなほど近い。そんなサッチを押しのけた。


「覚えてるよ。挟み打ちにするんだろ」

「しっかりしてくれないと困るんだけど」


 サッチはフンと鼻を鳴らし、今度は木曽が身を低くしたまま来た。そしていつもと違うささやくような声を出す。


「幽霊はいたずらなんだろ。ビビッてないで見張り手伝えよ」

「まだブラスバンド部の練習が終わってない。現れるのはそのあとって説明しなかったっけ。今から気を張ってたら身が持たないんじゃないか?」


 落ち着けと言ったのは自分に向けての言葉でもある。幽霊なんていないと理解していても怖いものは怖い。それは怪我の復帰後にBMXで飛ぶのと同じだ。理屈じゃない。


 わずかに開けておいた窓からブラスバンド部の演奏が聞こえていた。熱がこもった通し練習を聞いていると、駒ヶ根の頑張りが伝わってくる気がする。だけど軽快なマーチはクライマックスを迎えてしまい、それっきり聞こえなくなった。


 これは終わりではない。始まりの合図だ。


 ゴクリと唾を飲む俺とは対照的に木曽が楽しそうに言った。


「いよいよですね」

「木曽君は証拠写真を撮るのが目的だから無闇に近づかないこと。風紀委員じゃないから無理はさせられない」

「はい」


 木曽は首から下げたカメラを両手で持つ。いつもはストロボなんて邪道だって言ってるくせに、犯人をひるませるのに有効ってサッチに言われたらあっさり手のひらを返していた。


 そしてサッチは俺にも顔を向ける。


「セーゴの役目は足止め。逃げられそうなら捕まえなさい。あんたはどうでもいいけど怪我をさせたら駄目」

「俺も風紀委員じゃないんだけど」


 扱いの悪さに抗議したが聞きとげられず、サッチ立ち上がった。


「じゃあ、作戦通りに」


 そう言って持ち場に向かおうとしたが、木曽が待ったをかける。


「高遠って風紀委員に会った場合はどうすればいいですか? 犯人を捕まえようとしてるなら来てるかもしれないですよね」

「あたしを呼んで。たぶん高遠の好きにさせる事になるとは思うけど」

「それだと手柄を取られるんじゃないですか?」


 木曽の疑問はサッチにとってはどうでもいいみたいで、興味なさげに言った。


「手柄が欲しければあげればいい」

「え?」

「風紀委員会は治安を守るためにあるの。それができれば誰が捕まえてもいいと思わない?」

「えっと、まあ、そうなんですけど」


 木曽は納得いってないようだが、サッチの目に写っているのは手柄ではない。見つめているのはこれから起こる事に対してだ。


 視線を追って窓の外に目を向けると、事務棟では活動を終えたブラスバンド部員がパラパラと廊下に出てきていた。


 そろそろ動かないと挟み打ちにできない。サッチに促され、俺たちはそれぞれの持ち場に移動を始めた。


 足音を立てないよう、細心の注意を払って移動する。そして屋上へ続く階段に腰を降ろした。


 ブラスバンド部があるのは事務棟の三階。部室から廊下に出て、正面にあるのは普通科校舎の三階にある教室だ。駒ヶ根も正面に見えたと言っていたから、来るなら俺のすぐ側を通り過ぎるはず。


 階段は東西に伸びる校舎の両端だけだ。つまり俺がいる西階段か、サッチのいる東階段のどちらかを通る事になる。


 俺はスマホを取り出し、明かりが漏れすぎないように画面を確認した。グループ通話が継続されている時間は一秒ずつ加算を続けている。


 二人と別れて五分。まだそれしか経っていないのかと思った時、ペタ、ペタ、と足音が聞こえた。


 階段を上がってくる音はどんどん近づいてくる。それが幽霊ではないと頭で理解できても体は逃げろと警鐘を鳴らしていた。心臓の鼓動は激しくなり、呼吸も荒くなる。足音がすぐそこに迫った時には最高潮に達していた。


 考えたくなくてもいい事が勝手に浮かんでくる。


 無理やり見せられたホラー映画の同じ場面があった。息を潜めて幽霊をやり過ごそうとしている主人公は、あっさり見つかって絶望する。


 俺もそうなるのかと思った。だけど、ペタペタという足音は通りすぎる。


 立ったいたらへたり込んでいたと思うほど、安心して脱力してしまった。


 なんとか気を引き締めてスマホに顔を近づける。


「幽霊は西階段から三階に来た」


 一呼吸の間を開けて二人から、了解、と返事が返ってくる。


 俺は気づかれないように階段から顔を出した。幽霊の後ろ姿はブレザーを着た普通の女子生徒にしか見えない。大丈夫。これなら怖くない。


 そして彼女が校舎の中央に位置する教室に入っていった。あとを追い、教室の前扉の脇に待機。すぐにやってきたサッチは後ろ扉につく。


 開けっ放しの入口からそっと中をのぞくと、彼女は窓際にいて、足元には弱い光を放つ何かがあった。形からするとLEDのランタンにシーツを被せてあるのだろう。程よく弱められた白い光が彼女をぼんやり照らし上げ、本物の幽霊のような雰囲気を作り出している。その姿を事務棟から見たら驚くに違いない。だけど後ろからだと手品のタネを見ているような滑稽さがあり、そのせいか落ち着けていた。


 そして、ここから俺たちの仕事が始まる。勢いよく扉を開けたサッチは叫んだ。


「風紀委員会です! 大人しくしなさい!」


 幽霊が振り返ると同時に連続したシャッター音が鳴る。教壇に隠れていた木曽は役目を果たした。仕上げとして俺は教室に明かりをつける。


 さっきまで幽霊になりきっていた彼女はへたり込んでしまい、俺は作戦が想定以上にうまくいったと確信した。


 彼女を適当な席に座らせたサッチが尋ねる。


「あなたは?」

「……普通科三年、野沢のざわ深雪みゆきです。ブラスバンド部です」

 

 答えるまで間があったのは逃げられないかと考えていたのだろう。泳いでいた目が木曽のカメラを捉えた事で観念したらしい。つっかえつつも話してくれた。


 サッチは続けて問いかける。


「どうしてこんな事を。ただのいたずら? それとも気に入らない人でもいますか?」


 野沢はビクリと身を震わせた。だけど、それっきり口を閉ざしてしまう。反応からは後者だと思うが、話してくれそうになかった。


 そんな様子を見て、サッチはため息を吐く。


「話してくれないなら構いません。ただ学校に報告はさせてもらいます。もう行っていいですよ」


 突然の宣言に野沢は目を丸くしていた。そして立ち上がると足早に去ろうとする。


 何も聞き出せていないのに、そんな簡単に開放していいのか。そう思ったのは俺も木曽も同じだった。抗議の声を上げようとしたが、黙っていろ、と目で言われた。


 そしてサッチはひと言だけ釘を刺した。


「野沢さんがやっていた事はカメラで記録してあります。それを忘れないでください」


 その言葉に効果があったのかは野沢の後ろ姿で判断できず、走り去る足音だけが遠ざかる。


 完全に聞こえなくなり、俺は我慢できずに言った。


「帰していいのかよ」

「あの様子だといつまで経っても話してくれそうもないし、あたし達だって閉門までに帰らないと」

「なんだよ、それ」

「風紀委員会は警察じゃないって事。何回でも言うけど、治安を守るのが存在目的なの。木曽君が証拠写真を撮ってくれたし、これからは大人しくしてくれるはず」


 そう言われても納得できなかった。俺だって散々怖がらされたし、木曽だって働き損だ。この思いはどこにぶつければいい。そう思ったが、当の木曽はカメラを見てニヤニヤしている。


「そういえば、木曽。フラッシュを使ってなかったけど、ちゃんと撮れたのか?」

「それなんだけどな。使わなくて正解だった。見てくれ、これ」


 つきつけてくるカメラのモニターに写っているのは野沢だ。これはサッチに気付いた直後か。暗い教室でランタンのおぼろげな光に照らしあげられている。それだけでも幽霊っぽいのに、勢いよく振り返ったせいで髪が振り乱れていた。


「どうだよ、セーゴ。本物の心霊写真みたいだろ。こんな写真、小海先輩でも撮った事ないだろうな。見たらどんな感想くれるんだろう」

「木曽君、悪いけど、あたし達以外に見せるのは無し。それと、データは送って。ちゃんと顔が写っているのもね」

「もちろん、それもあります。これです」


 ちゃんと教室が明るくなってからの野沢も撮ってある。さっきのに比べるとコントの切り抜きみたいに見えるから不思議だ。


 そしてサッチは明るい声で宣言する。


「これで解決! さ、あたし達も帰ろうか」


 そうは言うけど納得できない。サッチは幽霊騒ぎを止められたし、木曽は満足できる写真が撮れている。二人は満足してるけど、俺は中途半端な解決でスッキリしていない。不公平だ。


 なんだか損した気分になって窓の外に目を向ける。事務棟のブラスバンド部室の灯りは消えていて、明るい廊下に駒ヶ根がいた。


 その表情は柔らかく、俺たちの様子から事件が解決したのがわかっているように見える。


 駒ヶ根が見ている事をサッチに教えてやると、何も言わずにサムズアップしてみせていた。


 普通科校舎と事務棟という離れた場所にいながら二人の思いは通じあう。


 俺にとっては最良とは言い難い結末だけど、きっとハッピーエンドなんだろう。憑物つきものが取れた顔の駒ヶ根を見て、そう思った。

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