6-3
作業は日が傾き始めるまで続き、ジャンプランプは完成した。
みんな疲れていて汗と汚れにまみれている。だけど顔だけはかがやいていた。円陣を組み、消防士をやっている仲間が声を張り上げる。
「よっし! いくぞ! 最初はグー!」
掛け声に合わせて全員が叫ぶ。
「ジャンケン、ホイ!」
十人もいると決着がつかない。
「ホイ! ホイ! ホイ!」
何度も繰り返し、掛け声も加速していく。そして俺だけがチョキ、みんながパーを出したところで止まった。
「やった!」
仲間たちが悔しがる中、俺はBMXにまたがる。ジャンプランプが完成したら試し飛びだ。誰もが飛びたがる一番手を勝ち取った俺はペダルを踏んでランプから離れる。これだけ大きいランプでスタート台がないならアプローチをしっかり取って加速させなければならない。
校門まで行ってUターン。事務棟を背にしたジャンプランプと、その両脇に仲間たちが並んでいる。
「セーゴ! 日和るなよ!」
野次とも取れる応援に俺は笑顔を返す。そして力いっぱいペダルを踏んだ。急激に加えられた回転に、ジャッ、とタイヤが滑る。それは一瞬の事でBMXをグングン加速させていった。ただ高さだけを求めて俺は飛ぶ。事務棟の三階に届くか届かないかぐらいの高さしかだせなかった。だけど、見上げている仲間たちと、それぞれの長い影が見える。それは最高過ぎる気分になれた。
そのあとは仲間たちも次々に飛ぶ。みんなで何回も何回も飛んだ。ここが学校だと言う事を忘れて、いい歳した大人が子供のように楽しんでいる。当然、俺も負けてはいない。そうしているうちに疲れがピークに達した。
まだ元気な仲間たちから離れた俺はBMXを横倒しにしてトラックの荷台に腰をおろす。目を閉じて人差し指で鼻の付け根を押すと、気休め程度に疲れが抜けていく。そのまま長い息を吐いている俺にタオルが被せられた。
濡らされたタオルに髪の熱が吸われていく感じが気持ちいい。気の利く仲間に礼を言おうとして目を開けると、そこにいるのは仲間ではなくてサッチだった。
「もうバテたの? 体、なまってるね」
「誰のためにやってると思ってるんだよ。少しは手伝えよな」
「タオル持ってきてあげたじゃない。それはいいとして、ちょっと手を貸して」
「これ以上、何をさせるつもりか知らないけど、無理。もう動きたくない」
俺が首を振ると、まだはしゃいでいる仲間たちの方へ顔を向けた。
「お疲れさまー! セーゴを借りていい?」
「いいぞ。でも、あまりこき使うなよ。明日の片づけもあるんだからな。セーゴは軟弱だけどいないよりマシだ」
「大丈夫。肉体労働は期待してないから」
それを聞いて、みんなは笑いだす。そりゃあ消防士や建築してる仲間ほど鍛えられていないけど、扱いがひどくないか? これは反論しなければいけない。そう思った時にはサッチに腕をつかまれていた。
「いいって」
「俺の意思は?」
「関係ない」
「わかったから、ちょっと待って」
逆らっても無駄なのは長い付き合いだからよくわかっていた。BMXを放置するわけにはいかず、ジャンプランプの下に押し込む。ちょうどいい感じで単管パイプに立てかけられた。どうせならここまま置いておこう。そうすれば明日の片づけ前にまた飛べる。
その楽しみを、もうひと働きする気力に変えた。急かすサッチを追って事務棟に向かう。
エントランスの奥で上履きに履き替えたサッチは、来客用のスリッパを俺に押し付けた。
「これ履いて」
「下駄箱に行けば上履きあるけど」
「隣の校舎まで行くのは面倒くさい。今日のセーゴは作業者だから来客みたいなものだし。それに制服を着てないのに上履きだけ履いていたら変」
「それもそうか」
今の俺は作業者のひとり。そう自分に言い聞かせながら、先を行くサッチを追いかけて階段を上る。緑色のスリッパをパタパタ鳴っていた。
「それで何をさせる気だよ。風紀委員会の仕事?」
「よくわかったね」
「わかるよ。サッチは制服を着ているし腕章もつけてる。何をやらされるのかは想像もつかないけど」
サッチは一瞬だけ足を止め、そして振り返る事なくまた上りだす。
「昨日、幽霊が出たよね。あたしも見たけど、一応、目撃者からも話を聞きたい。だけど普通科生徒から風紀委員はよく思われていないから。その子、駒ヶ根さんだっけ。クラスメイトだよね……その顔は何? 言いたい事があれば言ったら?」
驚いているのが顔に出ていたのか、サッチににらみつけられた。
俺が入学した頃のサッチといえば、普通科生徒相手に壁を作っていたし、大町と犬猿の仲になったのはそのせいだ。それなのに今は駒ヶ根を気遣おうとしている。この変化を驚くなという方が無理だ。
「サッチは普通科が嫌いだと思ってた」
「全然協力的じゃないから嫌い。でも木曽君みたいに普通に接してくれる人がいるのはわかった。もしかしたら、あたしが壁を作っていたのが原因だったかも」
いつもは自信に満ちているのに、最後の言葉はか細くて自分に問いているように聞こえた。そんなしおらしさを見せたのは一瞬で、すぐに消えてしまう。
「まあ、大町とは仲良くなれないと思うけどね。でもスポーツ科と普通科がもう少し歩み寄れたら、とは思うようになったかな」
そうしているうちにブラスバンド部の部室がある三階を通り過ぎてしまい、サッチは屋上への扉に手をかける。
「駒ヶ根さんは屋上で個人練習してるって聞いてきた」
「下調べしてたんだ」
「当たり前の事を言わないで。幽霊のふりしてるヤツを捕まえるには、駒ヶ根さんから話を聞くのが一番早いと思う」
「サッチも幽霊が偽物だって考えてるのか。でも、どうして?」
俺の場合は、過去の事故と矛盾が多いから偽物だと判断できた。サッチも同じ道をたどってきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「どうして幽霊がいる前提なの。いるわけないじゃない。あんなのは赤いライトを揺らしてただけでしょ」
あまりにも短絡的だけど当然といえば当然だ。俺もこれぐらいきっぱり言い切れたら怖いと思わないのに、と思う。
そんな強さを持っているサッチが力強く鉄扉を押し開けた。
夕暮れの屋上に駒ヶ根はいる。トランペットを抱くように持っているが、吹いてはいない。怯えた顔で風紀委員会の高遠に詰め寄られていた。
「いいか、もう一度言うぞ。昨日、写真か動画を撮っていたやつがいたはずだ。そいつが誰か教えろ」
高遠の強い口調に駒ヶ根は言葉を失い、少しでも遠ざかろうと屋上の柵に背中を押し付けている。そのまますり抜けて落ちてしまいそうに見えた。
俺は二十五年前の事故を思い出し、思わず高遠の肩をつかむ。
「何をしてるんですか」
「誰だ、お前。いや、思い出した。美術部のもめ事に首をつっこんできたやつだな。また邪魔をする気か?」
「クラスメイトを怖がらせるなら邪魔だってします。彼女に何の用ですか?」
「幽霊騒ぎの目撃者から話を聞いているだけだ」
高遠は俺の手を乱暴に引きはがし、吐き捨てるように言った。そして駒ヶ根をにらみつける。トランペットを握りしめる指が真っ白になるほど怯えている彼女を守るようにサッチが割り込んだ。
「やり方を考えなさい。彼女は被害者。これ以上、怖い思いをさせてどうするの」
「御代田。お前、赤ネクタイの味方するのか」
「あたしたちが守るのは学校の秩序であって、スポーツ科のプライドじゃない。偉ぶりたいなら自分の力でやれば。風紀委員会を笠に着るなんて格好悪い事しないで」
ストレートな言い方をするのはサッチの良いところだけど、高遠の逆鱗に触れた。
拳は固く握りしめられ踏み出した上履きが人工芝を踏む。
その怒りを向けているのが俺ではないとわかっていても、身構えずにはいられなかった。だけど高遠は静かに、そして氷のように冷たく言い放つ。
「お前こそ教頭から気に入られているからといって調子に乗るな。いいか。俺は絶対に認めない。風紀委員会は舐められたら終わりなんだ」
そして高遠は踵を返し屋上を後にした。
腕を組んでいるサッチは無言だったが、小さくため息を吐くと駒ヶ根に向き直る。
「ごめんなさい。彼は彼で問題を解決させたいだけなの。あなただって、いつまでも幽霊なんて悪ふざけに振り回されたくないでしょ?」
「はい。……あれって本物じゃないんですか?」
「そうよ。誰の仕業かわからないけど、必ず償わせると約束する。だから駒ヶ根さんの知っている事を教えてほしい」
「わかりました。私なんかで役立てるなら、何でも話ます」
駒ヶ根は真剣な顔でうなずく。その目に浮かんでいるのは尊敬の色だ。風紀委員をやっている時のサッチは
だけどこれじゃあ俺についてこさせた意味ってなくないか? またにらまれそうだから黙っておくけど。
サッチは、ありがとう、と言って本題を切り出した。
「駒ヶ根さんと友達以外で幽霊を見た人はいる?」
「部の先輩たちが先週の土曜日に話してました。その前の日に見たって。その時に、飛び降りた生徒が昔いた、という事も聞こえてきたんです」
「じゃあ、あなたが見たのは?」
「それも先週の土曜日です。片づけを終えて廊下に出たら、普通科校舎の教室に人影があって、じっとこっちを見ているんです。暗すぎてどんな人かわかりませんでした。でも女の人だったと思います。その時はすぐに消えちゃいましたけど、火曜日も、昨日の金曜日も見ちゃって。昨日なんか叫び声まで聞こえたし、本当に怖いんです。中学から頑張り続けたかいがあって、一年生でコンクールメンバーに選ばれたんですよ。それなのに、こんな事で悩まされてるなんて……」
その声はかすれていき、最後は聞き取れなくなる。それぼど強い思いを持っているのに幽霊のいたずらに心乱されているのがよほど悔しいのだろう。そんな駒ヶ根の肩をサッチは力強く抱いた。
「大丈夫。負けちゃ駄目。あたしが解決するから」
「先輩……」
サッチは自信を持っている。おそらく犯人を絞り込んだに違いない。たぶん駒ヶ根達を怯えさせるために部の先輩たちが仕組んだと考えている。幽霊の話を聞かせたのは普通科校舎を意識させるため。そして幽霊を演じた。タイミング的にはあっている。
だけど説明できない事があった。怯えさせても反応を見なければ達成感を得られないだろう。普通科校舎にいたら事務棟で怖がっているところを見れない。昨夜の事務棟には俺たち以外だれもいなかったし、反応を見て喜んでいる人がいたら気づいたはず。
そうなると、ただのいたずらではない気がしてきた。だけど動機は重要ではない。幽霊が出るのが普通科校舎なら現場を押さえてしまえば解決する。
そんな事を考えていたら、駒ヶ根はブレザーのポケットからスマホを取りだした。送られてきたメッセージを見て慌て始める。
「すみません。合奏練習を始めるみたいです。私、行かないと」
「話してくれてありがとう。あとは、あたしに任せて」
「はい。よろしくお願いします」
駒ヶ根はトランペットを握りしめたまま駆けだした。その後ろ姿に質問をひとつ投げかける。
「他の二人は一緒じゃないの?」
「コンクール用の衣装を取りに行ってるから今日はいないけど。それが何?」
さっきまでと違い不満そうな顔なのは急いでいるからなのか、俺からの質問だからなのかは考えないようにした。
「ちょっと気になっただけ。練習がんばって」
「うん」
そして屋上には俺とサッチだけが残された。
思ったより簡単に終わりそうだと思う俺にサッチが尋ねる。
「他の二人って誰?」
「いつも駒ヶ根と一緒にいるクラスメイト。同じ部活だから仲がいいのか、元々なのかまでは知らない。それよりもサッチはどう考えてる?」
「部の先輩が怪しいと思う。隣の校舎から驚かせようとしても気づかれなければ無駄骨だし。だから幽霊の話を先にして意識させた。それが駒ヶ根さんを狙ったのか、誰でもいいのかまではわからないけどね。セーゴはどう思う?」
「今のところはそれしか思いつかないかな。駒ヶ根さんを狙ったとしたら今夜も出るはず。ひとりきりなら驚かせがいがあるだろうし」
つけ加えるなら先輩たちは幽霊を見たと話す事で被害者側になれるから疑われないと考えたのだろう。
俺が同じ意見だと知ったサッチはうなずいた。
「じゃあ、勝負は今夜。ふふん、楽しくなってきた」
「一応、言っておくけど、無茶するなよ」
「何言ってるの? セーゴにも手伝ってもらうから。人手は多い方がいいし」
俺は言葉を失う。真っ暗な校舎に入る事も嫌だったし、断らせてくれるとも思えなかったからだ。少しでも気を紛らわすには木曽を巻き込むのが一番だろうけど、どう言えば納得させられるのか。そればかりを考えていた。
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