6-2
人魂騒ぎから一日空けての日曜日、俺は朝から学校に来ている。テレビ撮影のためにジャンプランプを作るからだ。といっても中心になっているのは大人のBMX仲間たちで俺は手伝いだけど。
仕事で建築をしている仲間がテキパキと指示を飛ばし、みんながその通りに動いていた。
いつもパン屋の移動販売車が止まっている場所にはトラックが止められていて、骨組みとして使う単管パイプだけでも凄い量が積まれていた。
作業のために来ているBMX仲間は俺を含めて十人。BMX普及のイベントで何度も組んでいるだけあって手慣れた感じで作業している。あちこちでインパクトドライバーがガガガと鳴っている様は建築現場みたいだ。
俺はコンパネを運びながら、どう作られていくのかを思い起こす。単管パイプで骨組みを作り、コンパネを何重にも貼り、ジャンプランプは完成だ。
それは台形のような形をしていて、高さが三メートル、底の部分の長さは十メートル以上。当然、幅もそれなりにあった。これを使うとかなりの高さまで飛べる。
以前、松木駅前の広場に設置したイベントは最高だった。次々に飛んで繰り出される技は、通りがかる人達の足を止める。そして驚きの目で見上げていた。俺も沸き起こる拍手に応えて拳を突き上げたりしたっけ。あとで思い出すと恥ずかしくなるけど、それほどテンションが上がっていたんだと思う。
今回はサッチの撮影をするために設置するけど、同じように盛り上がってくれれば、と期待したい。
俺はシャツの裾をまくって顔を拭いた。作業は重労働で汗が噴き出てくる。タオルを忘れてきた事を後悔していた。
そんな俺のところに上田が手を振りながら近づいてくる。隣にいるのは大町で、二人ともシャツにデニムパンツというラフな格好をしていた。
「木島平、すまない。少し遅れたかな」
「全然大丈夫です」
昨日の夜、俺は美術館のチケットの話を上田に電話した。届けるつもりが逆に来てもらってしまい、申し訳なくて頭を下げる。
「俺の方こそすみません。忙しいのに呼び出した形になっちゃって」
「木島平の方が忙しそうだけどね。それにしてもすごい事をやってるな。学校にジャンプ台を作るんだろ。それにしてもすごい量だな」
上田はトラックの単管パイプやらコンパネやらを見上げる。組むのはジャンプランプだけでスタート台がないから、これでも少ない方だ。
「ですね。それなりの衝撃を受け止めないといけないんで骨組みをしっかりさせてます」
BMX仲間からの受け売りをそのまま話しながら、トラック脇に置いたバックパックからチケットを取り出す。
「これ、木曽からです。この間はネクタイを貸してくれてありがとうございました」
「気を使わなくてよかったんだけどな。でもありがたくいただいておくよ。実は大町さんの方が楽しみにしているんだ。最近知ったんだけど、怪談が好きらしい」
それは二人だけ秘密だったのか、大町は口をとがらせた。
「ちょっと! そんな事まで話さなくていいでしょ!」
「秘密だった? ごめん。でも、どうして?」
そう尋ねられて大町は顔を背けてボソボソと言った。
「ただでさえ気が強いって思われているのに怖い話が好きだなんて、可愛げがなさすぎる」
「そうかな。大町さんはかわいいと思うけど」
上田はさらりと言ってのけ、俺は人の顔が真っ赤になる瞬間を初めて見た。これほど急激に変わるものかと感心しつつも、何を見させられているのかと自問自答したくなる。
そして、かわいそうなのは大町だ。案の定、上田へ反撃し始める。
「余計な事は言わなくていいのよ! ほら、木島平君は忙しいんだからもう行こう!」
「いや、まだ終わっていないんだ」
「何?」
「大町さんの好きな怖い話だよ。木島平から頼まれていたんだ」
そう言う上田の声はトーンが下がってる。確かに頼んだけど、ほしいのは情報であって怪談ではない。そんな風に演出しなくてもいいのに、と思ってしまう。けして怖いわけではない。
「という事はわかったんですね」
「ああ。木島平の予想通りだった。それにしても、よくわかったね。父が知っているって」
「半分は勘です」
「それでも、その洞察力は驚かされるよ」
そんな俺たちの話は、経緯を知らない大町に疎外感を与えていた。
「ちょっと何の話? 説明してよ」
「すまない。昨日、木島平から電話はチケットの件以外にもうひとつ頼まれ事があったんだ。幽霊騒ぎの元になった事件について教えてほしいってね」
「化けて出てくるってうわさの? 最近、見たって話を聞くけど見間違いでしょうね。そう言っているのはブラスバンド部の一握りだけだし」
口では否定体な大町だけど、目は好奇心でかがやき始めた。
「それだね。といっても、普通科校舎に幽霊が出る、というぐらいしか僕は知らないけど」
「有名じゃない。でも、どうして上田に聞くのよ」
「僕に、というか父にだけどね」
上田の父親なら事件を知っているかもしれない。そう考えてたのは、飛び降り事件が三十年前だと木曽から聞いたからだ。上田の父は松北のOBだし、もしかして、と思ったがその勘は正しかったらしい。
期待に応えられるかわからないけど、と前置きして上田は語りだす。
「父が入学した年にそういう事があったのは本当らしいよ。その生徒は普通科に通っていて、ブラスバンド部の中心的な女子だと言っていた。今から二十五年前の事らしい」
木曽は三十年前だと言っていたが、長い年月で話の細部が変容したようだ。ともかく上田の父親が在学中の事だったのは運が良かった。これなら信憑性が高い。
期待して上田の話に耳を傾けた。
「その頃の松北は体育科、今でいうスポーツ科だね。それが新設されたばかりで彼らのための新校舎が出来たてだった。特に力を入れていたのは野球で甲子園まであと一歩という実力だったらしいね」
「松北に野球部なんてないよね」
それは俺も思った。全部聞いてから質問するつもりだったが、大町は待ちきれないらしい。
その問いを想定していたのか上田はうなずいて答える。
「あの事件がなければ今でも存続していただろうね」
「という事は事件と関係があるの?」
「そうだね。ブラスバンド部はスタジアムで演奏していたし、野球部とつながりがとても強かった。今の松北を知っていれば信じられない話だよ」
普通科がスポーツ科を応援なんてあり得ない。そう思ってしまう自分に驚く。毒されてしまっている自覚をしつつも、ひとつの事実に目がいく。当時の松北には両科の間に壁がなかったという事だ。
「話の流れから、事件の原因は野球部にあるかと思ったんですけど、別にありそうですね」
「いや、木島平の予想であっている。先に言ってしまう事になるけど、飛び降りの彼女は野球部のキャプテンと付き合っていたんだ。松北で一番注目されていた二人だったらしいよ」
そんな仲なら一緒に甲子園へ行こうとか語りあっていたのだろう。
真夏の青空の下、大舞台に集まった人たちはバッターボックスに向かうキャプテンに注目する。そしてブラスバンド部は彼専用の曲を奏でるのだ。絶対に打ってやると気合を入れてバットを構える恋人に、祈る気持ちでトランペットを吹く彼女。
想像を膨らましていたら気恥ずかしくなった。そんな青春は自分には無縁すぎる。
きっと注目されていただろうし、温かく見守る生徒も大勢いたに違いない。
その頃の松北に上田と大町がいたら、同じように祝福されると思う。だけどスポーツ科と普通科の間に壁がある今の松北では異質すぎるから、逆の意味で目立っていた。二人に向けられるのは冷たい目。陰口も聞きたくないのに耳に入ってくる。当の本人たちは全く気にしていないからいいようなものの、その状況は今の松北にある歪みそのものといっていい。
自分たち似ている境遇の話を聞いた大町はどう感じているのだろう。やはり気になるのか、眉をひそめていた。
「野球部とブラスバンド部の二人が付き合っていたって話をしたのは、うまくいかなくなったのが原因?」
「当たり。父は別れた理由までは知らないと言っていたけど、そのゴシップはあっと言う間に松北中に広まった。しかも直後に県予選の決勝で敗退。キャプテンのプレーが精細を欠いていたせいもあって、彼女はひどく責められたらしい」
それを聞いた大町の表情はさらに険しくなる。自分の事のように怒っていた。
「なによそれ。関係ないじゃない」
「僕もそう思うけど、それほど注目も期待もされていたんだろうね」
「だからといって命を絶たせるほど追い詰めていいはずないわ!」
俺も同意してうなずく。文句を言うやつはいつだって関係ないやつばかりだ。そういう無責任な連中には腹が立つ。
憤慨する俺たちだったが、上田はゆっくり首を振る。
「それなんだけどね。彼女は亡くなっていない。飛び降りたというより、落ちたって言った方が正しいのかな。事故らしいよ」
「ちょっと待ってください。じゃあ俺が見た人魂は何なんですか?」
確かに俺は見た。真っ暗な普通科校舎で動く赤い光を。死んでいないのなら、あれは彼女ではないのか? その問いに上田は肩をすくめる。
「うさわに尾ひれがついただけだろうね。事故とはいえタイミングが悪かった。うわさになったそうだし、争いの種にもなったらしい」
「争いってなんですか?」
「当時のスポーツ科と普通科は仲が悪くなくても環境が違うからね。直接的なつながりがない。味方するなら知っている人、責めるなら知らない人、って事かな」
上田はサッカー部と美術部に所属しているせいか、どちらの肩も持たないような言い方をする。
つまり、スポーツ科生徒は野球部キャプテンの味方をして普通科生徒はブラスバンド部員の味方をしたのだろう。そして味方をするという事は相手を責める事になる。
「きっとギスギスしてたんでしょうね」
「それどころじゃなかったらしい。乱闘騒ぎまで起こったそうだよ。その中には野球部員が多く含まれていた」
当事者が関わらない所で部外者同士が争う。そんな事に意味なんてなく、解決するどころか余計に問題が大きくなるにに決まっている。SNSで見かける炎上騒ぎと同じだ。この件では学校内という狭い世界だから余計にたちが悪い。
そして松北の過去を振り返る上田の話は締めに向かっていた。
「そんな事があっても一度燃え上がった炎は消える事はなかった。暴力沙汰も多くて、その頃の先生たちはお手上げだったんだとか」
「それで、どうなったんですか?」
「これがきっかけなのかはわからないけど、それぞれの科でネクタイの色を表すようになり普通科校舎が建てられて明確に棲み分けされるようになった。父が卒業する頃には大きな争いが起きなくなったらしい。僕が聞いた話はこれで全部だよ」
うわさの真相を知るつもりが、松木北高校の歴史を振り返る事につながるとは思わなかった。過去の経緯を思うと松北の歪さが少しはわかる気がしてくる。
そんな事を考えていると、大町のため息混じりの言葉で本題を思い出した。
「結局、幽霊なんていない。誰かのいたずらって事ね」
「そうなるね。大町さんは期待外れだろうけど」
「そんなくだらない事で誰かが亡くなったって話よりいいわ。長々と木島平君の仕事を邪魔しちゃったし、そろそろ行こう。やっぱり怖いのはフィクションに限るわ」
俺は二人に頭を下げる。
「色々と教えてくれてありがとうございました」
礼を言いながら思う。今の話で、あの赤い光がいたずらだと確信できた。化けて出てくる幽霊は存在しないし、心残りの思念が残っているにしても出てくるなら事務棟のはず。事故があった時には普通科校舎は存在しない。それに事務棟の屋上にある柵がやたら頑丈なのも事故のせいだろう。
そうなると、誰が、何のために、やっているのか。
上田は立ち去ろうとして足を止めた。
「何か思いついたって顔だね」
「そうですね。驚かされっぱなしは嫌じゃないですか」
誰だろうと関係ない。今度は俺が驚かせてやる番だ。そう決意して作業に戻った。
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