過去の亡霊

6-1

 もう一時間も前だというのに富士見との話が頭から離れない。特待生だとか、転科だとか、親父の希望だとか、全部聞かなかった事にしたかった。


 頬杖をついて黙り込んでいる俺は木曽に肩を叩かれた事で現実に引き戻される。


「セーゴ、聞いているのか?」

「ごめん。考え事してた。なに?」

「どっちの写真が良いかって話だよ」


 木曽がノートパソコンの前に座っていて、モニターを指でトントンと叩く。その隣にはサッチが腕を組んでいて、眉を寄せていた。


 冷静に考えてみれば写真部の部室に俺たち三人がそろっているのは奇妙な感じがする。しかも、やろうとしているのは写真を一枚選ぶだけ。たったそれだけの事に時間がかかっているのは木曽とサッチのこだわりが強いせいだけど、あまりにも長すぎて現実逃避してしまっていた。


 今も遠くから聞こえるブラスバンド部の練習に耳を傾けてしまいそうになる。日に日に気合が入っていく演奏を聴いていたいと思いつつも、画面に並べられている二枚の写真に目を向ける。どっちも先週末にあったBMXの大会で木曽が撮った写真だ。その二枚には俺が写っているわけではないから深く考えずに答える。


「どっちでもいいだろ」


 聞こえないようにつぶいやいたつもりだったけど、サッチの耳はごまかせない。


「セーゴ、自分の写真じゃないから真面目に考えてないでしょ」


 頭の中をのぞかれたかと思わされたからではないが、改めてノートパソコンに顔を近づける。二枚ともサッチが写っていて同じ技をしている。飛び上がった空中でバイクを放りだし、ハンドルとサドルを持って体を反らしていた。その姿勢には女子らしい柔らかさに鍛えた筋肉のしなやかさが備わっている。それはスーパーマンと呼ばれる技で、サッチが一番得意としていた。どちらも同じといえば同じだけど、技の完成度は左の写真の方が上だ。


「じゃあ、左ので。こっちの方が高く飛んでる。右のは重心のずれを押さえ込もうととしてて決めきれていない」

 

 俺の選択はサッチも同じだったようで、満足してもらえたのは顔を見ればわかる。だけど木曽は抗議の声をあげた。


「なんでそうなるんだよ。右のは正面から撮ったやつなんだぞ。左のは背中側だから顔が見えないじゃないか」

「顔なんてどうでもいい。技の完成度で選ぶべきね」


 サッチは木曽の意見をバッサリ斬り捨てた。俺も同じ基準で考えていたから口をはさまずにうなずいておく。


 これで二対一。どっちを選ぶのかは決まったようなものだったけど、木曽は食い下がってくる。


「考えてみてください、御代田先輩。この写真を貼りだすのはどこですか」

「事務棟のエントランス。トロフィーと一緒に展示するって教頭先生が話してたのぐらい覚えてる」

「だからこっちなんです。いくら完成度が高くても顔が写ってなければだめだと思いませんか?」

「あたし的にはかっこ悪い写真を使われる方が嫌なんだけど」


 またしても同意見だったからうなずく。だけど木曽は諦めておらず、切り札を使ってきた。


「御代田先輩がテレビに出るのは全生徒が知ってます。普通科の生徒ですら話題にしてるぐらいですよ。エントランスに貼りだされたらみんなが見に来ます。そこで顔を覚えてもらえば風紀委員会の仕事がやりやすくなると思いませんか? 御代田先輩はきれいだから間違いありません」


 よく口が回るなと感心しつつも、ツッコミを入れておく。


「サッチが美人なのかはおいておいて、木曽は小海先輩推しじゃなかったっけ?」

「セーゴは身近すぎてマヒしてるんだって。まあ俺的には小海先輩の方が上だけど」

「……これって、ほめられてるの? でもそういう考え方をすればありかもね」


 サッチの意思が揺らいだところに木曽は駄目押しをかける。


「この写真で技の完成度がわかる人が松北に何人いると思いますか?」

「セーゴだけね。わかった。木曽君の言う通りにする。データをちょうだい」

「ありがとうございます!」


 木曽はノートパソコンを操作し、サッチのスマホへ写真をコピーした。


 これで仕事は終わりだと、サッチはパンと手を叩く。


「木曽君、色々と助けられたね」

「こちらこそですよ。俺の写真が目立つところに貼り出してもらえるのは御代田先輩のおかげですし。何回も言いますけど、表彰台おめでとうございます」

「ありがとう。じゃあ、あたしは教頭先生にデータを渡してから帰る。今すぐ戸締まりするなら、ついでに部室の鍵も返してきてあげるよ」

「すぐにやります」


 窓の外はすっかり暗くなっていて、木曽はガラス戸が施錠されているのを確認する。そしてノートパソコンの火を落とすと俺を部室から追い出した。


 鍵を閉めた木曽は静かな廊下の天井を見上げる。


「演奏が聞こえないって事は閉門時間が近いんだな」

「演奏ってブラスバンド部の?」

「そうそう。コンクールが近いからギリギリまで練習しているんだよ。あ、御代田先輩、鍵の返却お願いします。南牧先生がいなかったら机に置いておいてください」

「わかった。もう遅いから寄り道せずに帰ること」


 そう言ってサッチは職員室へ行った。その姿が見えなくなり、俺たちは逆方向の普通科校舎に向かう。靴を履き替えるために校舎を移動する手間を考えると事務棟は土足可にしてもらいたい。


 廊下を歩きながら窓の外に見える普通科校舎に目を向けると、完全に消灯されていた。ところどころにある非常口誘導灯の緑ランプが怪しく光っている。この時間になると自習室を使っている生徒すらいないからだろうけど、無人の校舎というのはどことなく不気味だ。


 そんな事を考えて気分が沈みそうになる俺とは逆に、木曽は明るい声を出す。


「そう言えば、セーゴに頼みがあるんだけど。これをさ、上田先輩に渡してくれないか? 俺、連絡先知らないからさ」


 木曽がブレザーの内ポケットから出したものは、何かのチケットに見える。受け取ってみると、松木市美術館の招待券だった。


「なにこれ?」

「小海先輩の件で世話になっただろ。何かお礼しないとなって思ってたから」

「買ったのか?」

「親父がもらったやつ。興味ないからって回ってきたんだ」


 美術館なら喜んでくれるかもしれない。それにチケットには三名まで無料招待とある。時間さえあれば大町を誘って行くだろう。


「わかった。電話しとく。だけど日本画展って先輩の描き方と違いすぎないか?」

「インスピレーションってのはどこに落ちているかわからない。まさかって思うところで見つかるんだよ。人生ってのはそういう風になってるもんさ」


 得意気に言ってはいるが、木曽はこんなに芝居がかった言い方をしない。


「それ、誰のセリフ?」

「小海先輩。あの人はすごいよ。今度は星景写真を撮るために帆高でテント泊するらしい。何でも挑戦するのは大切だって身をもって示してくれる人って滅多にいないと思わないか?」

「たしかに」


 それにしても屋上での一件があったというのに木曽は相変わらず小海に一筋だ。そのポジティブさを分けてもらいたい。


 感心していると、木曽はニヤッと笑う。


「それにな、その日本画展なんだけど怪談を特集してるらしい。大町先輩と急接近しそうだろ」

「吊り橋効果か――」


 せっかく忘れかけていた普通科校舎の不気味さを思い出してしまい、つい目を向ける。そこには、ふらふら動く赤い光があった。


 俺の言葉は途切れ、足も止まる。その光が人魂としか思えなかったからだ。


 赤い光は普通科校舎の三階でふらふら動いている。あれはただの光だ。誰かのいたずらだ。そう思っていても背中には冷たい汗が流れ、全力で動いている時よりも心臓がうるさい。


 そんな俺を見て木曽は首を傾げる。


「どうした、セーゴ」


 答えようにも喉が貼りついて声が出ない。人魂に震える指を向けるのが精一杯だった。木曽は指の先へ顔を向ける。そして叫んだ。


「すげぇ!」


 動けずにいる俺と違い、木曽は廊下の窓を開けてスマホを向ける。擬似シャッター音が連続して鳴った。


「セーゴ! うわさは本当だったんだ! くそっ! カメラを持ち歩いておけば良かった!」


 あまりにも大騒ぎし始めたせいで、少しだけ落ち着きが戻ってきた。だけど、それは一瞬だけの事ですぐにどん底へ突き落とされる。


 今度はつんざくような女性の悲鳴が聞こえた。それに応じるようにいくつもの悲鳴が響き渡り、人魂が消える。ここが明るくなければ俺もつられて叫んでいたかもしれない。


 恐怖を押さえ込むのに必死な俺と違い、木曽は窓から身を乗り出し、スマホのライトで照らし上げた。


「どこに行った? スマホのライトじゃ弱すぎて駄目だ! セーゴも探してくれ!」


 そんな風に盛り上がっている姿を見せられると、怖がっている自分がおかしい気がしてきた。ダメ押しするように悲鳴をあげながら階段を駆け下りてきた女子生徒が走り去り、友達らしき女子たちが追いかけていく。


 人魂という怖さは木曽や女子達のコント地味たリアクションですっかり打ち消されてしまった。


 何だか力が抜けてしまい、壁にもたれかかる。そのままずるずると腰をおろした。


 疲れきった俺に木曽が意味不明な言葉を投げかけてくる。


「行くぞ、セーゴ。追いかけようぜ!」

「絶対にいやだ」

「でも靴を替えるにはあっちの下駄箱に行かないとだろ。ついでに少しだけ探すってのはどうだ?」


 靴と言われて重い腰がますます重くなる。帰るためには普通科校舎に行かなければならない。上履きのまま帰ろうかと思った時、逃げて行ったはずの女子たちが戻ってきた。三人いて、心底怖がっているのはひとりだけ。あとの二人は護衛するように両側を守っていた。全員、俺と同じクラスで、よく三人でつるんでいるところをよく見かける。この時間まで残っているなら、みんなブラスバンド部か。


 彼女たちに気づいた木曽が明るく話しかけた。


「お前らも見たんだろ。追いかけるために戻ってきたのか?」

「そんなわけないでしょ。コマがパニックになって鞄を忘れちゃったから取りにきただけだし」


 彼女たちの真ん中で涙目になっている女子、コマと呼ばれているが確か本名は駒ヶ根こまがねだったはず。彼女は泣きそうになりながらも怒っていた。


「だってオバケだよ! どうして笑っていられるの! 信じられない!」


 その反応に同情する。怖がるのが普通だ。平気でいられる木曽たちがおかしい。


 まだ気持ちの整理ができていない駒ヶ根を、彼女たちはからかう。


「へー。じゃあ先に帰っちゃおうかな」

「やめてよ。本当に怖いんだって。うわさの幽霊ってブラスバンド部の女の子なんでしょ。見たのって私たちばかりだし絶対狙われてるんだ」

「だとしても無視すればいいじゃん。出るのって普通科校舎ばかりで事務棟には来ないし。それに、その女の子が飛び降りたのって私たちが生まれるよりずっと前の話だって聞いた事あるよ」

「だからって絶対に大丈夫って言えないじゃない」


 そうは言いつつも、会話していることで駒ヶ根は多少なり気が軽くなったように見える。だけど木曽が台無しにした。


「そのうわさは俺も知ってる。たしか三十年前だったかな。ブラスバンド部の女子が飛び降り自殺したって。そのネクタイは血に染まり、それから普通科のネクタイは赤になったらしい」


 木曽が怪談の語り口調だったせいで、駒ヶ根は縮こまる。これ以上怖がらせるのがかわいそうだから口を挟んだ。


「それで幽霊を見たスポーツ科生徒が青くなったからネクタイも青にしたって言うつもりか?」

「それいいな。今度、話題になったら使わせてもらうよ」


 木曽は笑っていたが、うわさの真相は案外たいした事ではないのかもしれないと思った。


 人から人へと広がっていき、その度に尾ひれが増えていく。まったく迷惑な話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る