4-3
今日の授業が終わり、クラスメイトは教室をあとにする。部活に行く生徒もいれば、寄り道せずに帰宅したり、塾や遊びに行くやつもいた。
だけど俺は立ち上がる事もなく、むしろより一層机にかじりつく。教室をあとにするクラスメイトの応援ともからかいとも取れる励ましを手で追い払い、課題を終わらせるべくシャーペンを走らせていた。
英語教師である南牧が出した課題は単純でもあり、とても難しい。松木市の名所を英語で魅力的に説明しろという内容だった。
昨日の夜に一度やっているから思い出しながら書くだけなのに、表現がしっくりこなくてペンが止まる。
題材に選んだ松木城はMatsuki Castleが正しいのだろうが、それだと西洋っぽくて違和感しかない。天守閣を囲む広い堀と三百本以上ある桜が咲き乱れる様を思い浮かべるとキャッスルとは言いたくなかった。
他に言い方がないのかスマホで調べているとMatsuki-jo Castleと表記された案内看板の画像を見つけた。頭痛が痛いみたいな表現が気になる。だけど予備知識のない外国人にわかってもらいつつ、日本の城の雰囲気を伝える目的を考えると、だんだん相応しい気がしてきた。
調べては書き、書いては調べを繰り返しているうちに時間はどんどん過ぎていく。ルーズリーフをアルファベットで埋めつくした時は一時間も経っていた。
窓越しに見上げると、あんなに曇っていたとは思えないほど空が高い。早く練習に行きたいのに時間を使いすぎた。手早く帰り仕度をして職員室に向かう。
人気のなくなった普通科校舎を出て、いつものようにブラスバンド部の演奏が聞こえる事務棟に入った。一階は文化系の部室が並んでいて、美術部の扉をチラリ見してから階段を上がる。昼休みに写真の話をしていたせいか、絵の一件を思い出した。
手術を終えて退院した上田は学校に戻ってきている。まだ
カバンから出した課題のルーズリーフを南牧に渡して、さっさと帰るつもりだった。だけどそうさせない雰囲気がある。南牧は木曽と二人して腕を組み難しい顔をしていた。話しかけていいのか迷っていると、木曽のさまよっていた目が俺を捉える。
「セーゴ、いいところに来た。ちょっと助けてくれよ」
「嫌だって。課題出したら帰る」
「そんな事言うなよ。先生からも言ってやってください」
南牧は木曽の無茶振りを止める役目だと思っていたのに、なぜか味方をしだした。
「ちょうどいい。木島平も知恵を貸せ」
「嫌ですよ。今日は早く帰りたい――」
「手伝ってくれたら、課題を忘れた減点をなかった事にしてやる」
最後まで言い切る前に、餌で釣られそうになる。報酬と手間を
「もし答えを出せたら出入りしているパン屋のチケットをやる。千円分だ」
「……そんな良いもの、どうして持っているですか」
「教員は時々もらえるんだよ。しかし俺は嫁さんの弁当があるしな」
たった千円だけど小遣いを使わずに間食できるのはうれしい。そう思ってしまうと話だけでも聞いてみる気になった。
「何をさせる気ですか? やるかどうかは聞いてから決めます」
「よし。とりあえず課題をよこせ。学生の本分は学業だ」
催促する手に課題を置く。南牧はざっと目を通して笑みを浮かべた。
「居残りさせたからやっつけ仕事になるかと思っていたが、なかなか力作じゃないか。どうして松木城をMatsuki-jo Castleにした?」
「そっちの方が日本の城っぽくていいかな、と」
「なるほどな。俺は好きだぞ、そういうこだわり。じゃあ課題はあとでじっくり読ませてもらうとして、ここからは頼みの話だ」
南牧は俺の課題をクラス別に積まれているルーズリーフの山に乗せて、代わりに書類箱を渡してきた。
「なんですか? これ」
「フォトコンテストに出す写真だ。開けてみろ」
書類箱は小学生が使う道具箱に似ていて、蓋を取った。中にあるのは何枚ものクリアファイルで、何気なしに一番上のファイルに手を伸ばす。そこには木曽の名前が書かれていて、二枚の写真が挟んであった。
「木曽は二枚エントリーするのか」
「いや、ひとり一枚って決まりがあるんだよ」
「じゃあ、どうして二枚あるんだ?」
どうにも木曽の話は要領を得ない。何が言いたいのわからずにいると、南牧が助け舟を出してくれた。
「松木市のフォトコンは毎年この時期にあるんだが、応募はひとり一枚だけ。うちの写真部は俺がまとめて出している。だけど木曽の写真が二枚あってどっちを出すかわからなかったから、こうして来てもらったんだ」
「それなら何も問題ありませんよね。本人ならわかるはずですし。そうだよな、木曽」
「もちろん、わかるさ。わからないのは、どこから紛れ込んだのかって事なんだよ」
他のクリアファイルも見てみると、それぞれに挟んであるのは一枚づつで、空のファイルはない。他から移動してしまった事はなさそうだ。
「うっかり二枚挟んだとか?」
「そうならセーゴを呼び止めないって」
木曽は自分のファイルから写真を一枚出す。
「ちなみに出すのはこっちな」
それはBMXで飛んでいる俺を写していた。最初に撮ったやつと同じ技だけど、完成度も高さも別物と言っていい。俺の技術が確実に成長しているとわかる。
木曽が撮った写真なのは間違いなかった。
そしてもう一枚。その写真からは不思議な印象を受ける。
時間は夜。暗い水面を写している。浮かんでいるのは桜の花びらだ。それとライトアップされた松木城が水面越しにそびえ立っている。これは堀の写真だ。桜と天守閣を写した写真はよく見かけるけど、こんな撮り方をしている写真は初めて見た。
水面に写る松木城はわずかに揺らめいていて、風に寄せられた花びらに埋まりそうになっている。茶色くなった古い花びらが多いせいか、きれいというより
「これも木曽が撮ったのか?」
「まさか。俺がこんな地味なの撮るわけないだろ。南牧先生も心当たりないってさ」
それに同意してうなずく南牧。
「俺も見た覚えがない。撮った人間の個性というか、クセが強すぎる写真だから一度でも見たら忘れないだろうしなあ」
この写真に対する二人の評価は低い。俺には良い写真に見えるが、素人だからだろう。
「俺は好きだけど」
心の中だけに留めておくつもりだった言葉は知らず知らずのうちに声になって漏れ出た。B5サイズという手ごろな大きさだし、持って帰って部屋に貼るのにちょうどいい。
そんな思いまで伝わっていたのか、南牧が背中を押す。
「欲しいなら持っていっていいぞ」
「撮った人が怒りませんか?」
「
犯人。南牧はそう言いきった。この写真が意図的に入れられたのか、事故で混入したのかわからないのにだ。気に入った写真だけに、犯人という言葉にざらりとした感触がある。
「写真はどうやって集めているんですか?」
「この書類箱を部室においておくだけだ。応募したいやつは部室のプリンターで印刷して箱に入れるだけ。あとは部長に持ってこさせて俺が郵送する。それで何かわかるか?」
昼休みに小海が言っていた話からすると、今日が回収の締め切りなんだろう。どういう流れで応募するのかはわかったが、それだけだ。
「写真を撮った場所と時期ぐらいです。場所は松木城。散った桜が浮かんでいるから撮った時期は四月の半ばぐらい。現地に行けば撮った場所を見つけられると思います。そこで聞き込みをすれば誰かわかるかもですね。城や桜にカメラを向けずに堀を撮影してる人は珍しく見えるでしょうし」
そこまで一気に話して、ひと息つく。木曽と南牧に異論がないのを確認して言葉を締めくくった。
「そこまでするつもりはないですよ」
きっぱり言いきると南牧は肩を落とす。そして原因となった写真を俺の手に残したまま、書類箱に蓋をした。
「よし。この件はこれで終わりだ。木曽、呼び出して悪かったな」
「大丈夫です」
「木島平、解決できなかったが、時間を取らせたからチケットは持っていけ。あと、その写真も好きにしていいぞ」
くれるというならうれしい。チケットも写真もだ。だけど撮った本人から許可はもらっておきたい。その方がすっきりする。問題はどうやって探すかだけど、まあ何とかなるだろう。わざわざ松木城まで足を運ばなくても。
パン屋のチケットを財布にしまい、鞄の中でプリントが挟んであるクリアファイルに写真を挟む。課題を提出するという目的を果たしたし、木曽と一緒に職員室をあとにした。
このまま帰って練習に行きたいが色々と気になる。もやもやを抱えたままだと、また怪我をしそうだし、写真の撮り手を探した方が良い気がした。
状況から写真部員であることは間違いないし、手っ取り早く木曽に手伝ってもらいたい。だけど一度協力を渋ったのに切り出しにくかった。
当たりさわりのない言葉を探していると、先に口火を切られる。
「いいのか? セーゴ」
「いいのかって、何がだよ」
「あの写真が気になっているんだろ」
見透かされていたみたいで、ドキリとしながら何でもない風に装う。
「少しだけ。何も言わずに写真をもらうのは悪いし」
「ふうん」
そのあとは、二人とも口をつぐみ階段を下る。前にサッチと出会った踊り場では、あの時と同じようにブラスバンド部のマーチが聞こえた。前回より軽快になったリズムだけど、俺は足を止める。
「頼みがあるんだけど」
「改まってなんだよ」
「写真の撮り手を探したいんだ。手伝ってくれないか?」
「いいよ」
木曽の事だから断りはしないだろうと思っていたが、あまりにもあっさりした答えが返ってきて逆に驚かされた。
「即答すぎるだろ」
「そいつが何のためにあんな事をやったのか俺も気になる。二枚応募したかったとは思えないんだよな。あの写真が入賞したところで自分の名前で表彰されないだろ。それじゃあ意味がない」
写真さえ評価されればいいと考える人がいてもおかしくはない。だけど今回の意図は別にある気がしていた。
「うん。ぱっと思いつくのは南牧先生か木曽を困らせたかった、てところかな」
「嫌がらせされる事をしてるみたいに言うなって」
「どうだろうな。誰からも嫌われない人なんていないし。ほら、部室に案内してくれよ。そこに行かないと何もわからないままだ」
俺たちは再び階段を下り始める。
写真をもらってもいいか撮り手に確認したい。そのためには書類箱に写真を入れた意図を知る必要がある。そうしなければ撮り手を見つけられないだろう。だけど本当に必要だから探そうとしているのかは自分でもわからない。
これは単なる好奇心なのか、それとも何かを感じ取っているからなのか、それを判断するには情報が少なすぎた。
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