4-2

 いつもと代わり映えしない午前の授業は終わり、ここから先は挑戦の時間だ。そう身構えてしまうほどの事をするわけではないけど、昼休みの新しい過ごし方をするのは楽しみに思う。


 俺と木曽は昼休みでにぎわう事務棟のエントランスを通り抜けた。そのまま階段に足をかける。二階には職員室があるから生徒の姿がちらほらあるが、特別教室と部室しかない三階には誰もいない。その階も通過したところで木曽がぼやいた。


「屋上で昼飯を食いたい気持ちはわかるけど、なんで事務棟なんだ?」

「こっちなら人が少そうだろ」


 どの建物も屋上は開放されているが、中立地帯といえる事務棟を選ぶ生徒はいないと考えたからだ。少なくともネクタイの色を蔑称べっしょうとしている連中は近寄らないはず。


 空いていそう、という理由の他に事務棟を選んだ目的もある。ここなら富士見が言っていた景色に近づけるかと思ったからだ。そこまで絶景が好きというわけではないけど、あんなふうに言われると気になる。


 屋上へと続く階段は窓がないせいで暗い。見づらいほどではないが閉塞感があった。さらに上へ進み、さびついた重い鉄扉を押し開く。


 待ち受けていたものが想像以上だったのか、木曽は口笛を鳴らした。


「もっと殺風景だと思ってたけど、案外悪くないな」

「だな」


 学校の屋上なんて汚れたコンクリートと柵だけだと思っていた。端の方にエアコンの大型室外機が並んでいたが、それ以外は人工芝が張られていて、解放感のある公園みたいだった。頬で感じる風は気持ちいい。高くて強固すぎる柵は牢獄ろうごくのように思えるが、たいした減点にはならなかった。


 俺は帆高山脈に目を向ける。ガスはすっかり晴れていてきれいに見えた。だけど水田に写る様をながめるにははスポーツ科校舎が邪魔だ。やはり富士見の言う景色を拝むにはスポーツ科生徒でなければならないらしい。


 それにしても、こんなに良い場所なら人が集まりそうなのに誰もいないのが不思議だ。見回すと両隣に建つ普通科校舎とスポーツ科校舎の屋上にも人の姿はない。


 その謎は屋上に踏み出してすぐに解ける。昨日までの雨を吸った人工芝は全く乾いておらず、ぬかるみを歩いているみたいだった。いつも屋上を利用している生徒でもこの状態を知っているから来ないのだろう。十基ほどしかないベンチは乾ききっていないし、芝に腰を下ろしたら大変な事になる。


 仕方なしにベンチの水滴を手で払い腰を下ろした。木曽も俺を真似て隣に座る。俺が巾着から弁当を取り出している間に、木曽はパンにかぶりついた。その目は俺の弁当箱に向けられている。


 見守らている中そっと蓋を開けると、予想と違って中身が片寄っていない。むりやり詰め込んだおかげだけど、おかず側のご飯は汁を吸って白さを失っていた。


 木曽は黙っているが言い訳せずにはいられない。


「作った時はきれいだったんだよ」


 自分で弁当を作ってみると話した時に木曽は大笑いをしたが、今回はもっとひどかった。激しくむせている。苦しみから逃れるために缶コーヒーを飲んで、ようやく落ち着いたようだった。


「それより前に問題があるだろ。スクランブルエッグといため物が混ざってるし。普通、弁当といったら玉子焼きだろ」

「それは次回がんばる」

「失敗したって事か。まあ、がんばれよ。玉子と混ざってるけど、炒め物はうまそうだ」


 俺に気を使ったのか木曽がフォローしだした。それはそれでつらい。


 ベーコンとピーマンの炒め物を箸でつまみ、口に放り込む。うん、味は悪くない。ただピーマンのベーコン巻きになるはずだったとは言えなかった。焼いてる途中でほどけてしまった謎は解ける気がしない。


 どうすればうまく作れるのか考えながら黙々と箸を動かしていると、木曽も黙ってパンを食べだした。


 そんな静かに流れる時間は突然破られる。屋上にある階段室の屋根から降りてくる女子生徒がいたからだ。梯子はしごを下る後ろ姿は、中学生かと思うほど小柄で手足も細い。


 屋上に来た時に誰の姿も見ていないって事は先客だろう。それにしても、どうして階段室の上なんてところにいたのか。理由を探しても、高いところかスリルが好き、ぐらいしか思いつかない。


 手に付いた梯子のサビを払い落している女子生徒の横顔を見て、木曽はパッと立ち上がる。


「やっぱり小海先輩じゃないですか!」

「聞き覚えがある声がすると思っていたけど木曽君だったんだね」


 小海はさっきまでいた階段室を見上げながら言った。その声は暗い。木曽が明るすぎるからそう感じたのだろうけど。


「木曽君はお昼ご飯?」

「はい」

「わざわざ事務棟に来たんだね」

「こっちがいいって、こいつが言うんで。あ、クラスメイトの木島平です。セーゴ、写真部で普通科三年の小海先輩。上田先輩の写真と言えばわかるだろ」


 あれを撮った人か。あんなに迫力のある写真だから撮ったのも男かと思っていた。


「木曽のクラスメイトの木島平です」

「話は聞いているよ。木曽君からBMXの写真見せてもらった」

「俺も先輩が撮った写真見ました。すごかったです」


 本心からの言葉に、小海は興味なさげに首を振る。木曽なら大喜びをするか、もっと良い写真を撮りたいって言うところだ。だけど彼女からは貪欲さを感じない。どちらかといえば虚無感をまとっているように見える。それほど反応が薄い。


「運が良ければ誰でも撮れるよ」


 謙遜すぎる返しに反論したのが木曽だ。


「運もあるかもしれないですけど、それだけじゃないですよ! 被写体の本心を写しているというか……うまく言えないですけど、先輩じゃないと撮れない写真だと思います」


 小海は、くるりと背を向ける。あまりにも真っ直ぐな木曽の言葉を受け止めきれないように見えた。


「年上をからかうのはやめた方がいいよ」

「からかってなんかいません! 先輩の写真から伝わってくるものはあります」

「じゃあ、教えてよ。木曽君が受けとめたものは何? 上田君の写真から何を感じたの?」


 小海は静かに問いかける。それは木曽に向けての言葉だけど、俺の脳裏にも映像を浮かびあがらせた。


 マークが張り付く厳しい状況の中、ゴールへの期待を込められたパス。上田はそれに応えてシュートを放つ。そんな写真だ。そのあとゴールネットを揺らすところまで想像させられる。


 そこから俺が感じたものは何だろう。最初に浮かんだのは執念だ。サッカープレイヤーとしてどこまで行けるのか挑戦すると言っていただけあって、逃げずに勝負する気迫。それはBMX乗りの俺にも必要なものだから、より強く感じたのかもしれない。


 でも見る人が変われば感じ方も違う。実際、美術部の大町は別の見方をしていた。全然楽しそうじゃない、と言っていたっけ。


 そして木曽の目に写るものも違っていた。


「仲間とのきずなです。パスをした人も、シュートした上田先輩も、お互いを信頼してたからできたプレーじゃないですか。俺にはそう見えました。セーゴにもわかるだろ?」


 木曽はそれ以外に答えはないと信じているに違いない。あまりにも迷いがない目で問われたせいか、うなずいてしまった。


 木曽の答えを聞いて、小海はかみしめるようにつぶやく。絆か、と。


 そして振り返る。うつむいているせいで前髪が顔にかかり、表情はわかりづらい。恥ずかしがってる気がした。


「ありがと。正直に言ってくれてうれしい」

「好き勝手言ってすみません」


 小海の気恥ずかしさが移ったのか、木曽までもじもじしだす。


 それは初々しい恋人のようで、今のやり取りに別の意味がある気がした。私のどこが好きかって問いかけだったとしたら、木曽の答えは正解だろう。だけどそれはないと信じたい。それだとしたら俺の居心地は悪すぎる。昼飯のおかずにしては重すぎだ。


 そんな俺の気など知りもしない木曽は、恥ずかしさをごまかすように話を変える。


「あ、そうだ。先輩はあそこで何をしていたんですか?」


 木曽は屋上よりさらに高い階段室の屋根を見上げる。小海も同じように見上げた。

 

「下見、かな」

「試し撮りじゃなくて?」

「それができれば良いんだけどね。せめて本番で迷わないようにイメージしてたの。これが最後のチャンスだから」

 

 小海は階段室を見上げていたけど、思い浮かべているのはそこからの景色なんだろう。心ここにあらずといった様子で話していたが、ぱっと背中を向けた。


「木曽君、ごめんね。私の事ばかり話しちゃった」

「全然大丈夫です。そうだ。撮影の手伝いさせてください。何でも扱き使ってくれればいいんで」

「ひとりで大丈夫だよ」

「それなら、撮影するところを見学させてください。絶対に邪魔しません」

 

 木曽は真剣に訴えかける。だけど小海は首を縦に振らない。


「私を追いかけるより一枚でも多く撮った方がいいと思うよ。コンテスト用の写真は? 締め切りは今日までって南牧先生が言っていたよね」

「もう印刷して部室に置いてあります。あとは部長が先生のところに持っていってくれるかと」

 

 何の話かわからずにいると、木曽が教えてくれる。


「松木市のフォトコンテストがあるんだよ。その写真の話」

「印刷して郵送なんだ。データじゃないんだな」


 印刷となるとプリンタの性能差が出てきそうだしデータの方がフェアだと思った。その疑問には小海が答えてくれる。


「フィルムから現像する人もいるからね」

「そうなんですね。小海先輩はどんな写真で応募するんですか?」

「今日、撮るつもり」


 当たり障りない話題を振ったはずなのに、予想外の答えが返ってきて木曽が慌てた。


「まずいじゃないですか! 俺の心配してる場合じゃないですよ!」

「大丈夫なはずだよ」

「本当に手伝わなくていいですか? 何でもします」


 まるで自分の事のように木曽のテンションは上がっていく。だけど、そこまでの熱意を向けてもらっているのに小海ははにかむような笑顔で首を振った。


「ありがと。でも本当に大丈夫だから」

「でも!」

「木曽君は駄目だって言ってもついて来そうだね」

「お願いします、先輩」


 木曽がきっちり頭を下げるから俺も空気に飲まれて居住まいを正す。それほど小海に対する尊敬が強いのだと伝わってきた。


「考えておくね」


 そう言って小海は歩み出す。階段室の扉に手をかけて、きしませながら開いた。


「じゃあ私は戻るから」

「よろしくお願いします!」


 そして小海は暗い階段室に消えていき、下る足音が遠ざかっていった。思った以上に大きな音を立てて鉄扉が閉まり、ようやく木曽は頭を上げる。


「先輩の撮影を見られるなんてラッキーだ」

「考えておく、って言っていなかったか?」

「駄目とも言われてないだろ」

「そうだけどさ」

 

 木曽のポジティブさに面くらった。俺も悲観的ではないが、ここまで前向きでいられるかって聞かれたら即答できる。もちろん無理だ。そんな強さがうらやましく思う。


 感心しながら弁当に箸をつけていると、木曽は隣にドカッと座り笑顔を見せた。


「そういうわけで今日は遅くなる。セーゴは授業終わったらすぐにパークへ行くんだろ? 最近は雨続きだったから練習不足だろうし」

「当然って言いたいところだけど、俺も遅くなりそう」

「どうしてだよ」


 俺がBMXより別の事を優先するのが、よほど不思議だったらしい。木曽は目を丸くしていた。


 本当なら午後の授業をサボってでも乗りに行きたい。その思いをピーマンと一緒に飲み込む。なんだか苦味が強い気がした。


「今日、提出の課題を忘れてきた。南牧が居残りしてやれってさ」


 今朝を思い返しながら話す。余計な策をろうしたせいで嫌な気分になったし課題も忘れた。弁当をカバンに押し込んでいた時、どうして机の上にあった課題を見落としたのか。本当に踏んだり蹴ったりだ。


 ミスを悔いている俺を木曽が笑う。


「気を落とすなよ。そういう日もあるって。じゃあさ、さっさと弁当食ってやり始めたらいいんじゃないか? そうすれば少しは早く終わるだろ」


 今度は俺が目を丸くする番だった。どうしてそんな簡単な事に気付かなかったのか。


「天才だ」

「はっはっは。もっとほめてもいいぞ」


 やっぱり木曽はポジティブだ。少しは見習わないといけない。


 そして俺は弁当を片づける作業を進め、発見した。スクランブルエッグは急いで食べるのに不向きすぎる。弁当箱に口をつけて流し込みながら決めた。まずは玉子焼きから練習しようと。

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