消えた絵はどこに?

3-1

 木曽は移動式パン屋の長い列を見て、うわあ、と声をもらした。


「今日もすごいな」


 それにうなずいて同意する。松北に入って一番の問題は昼飯で、とても切実だった。


「選択肢が少ないよな」

「だよな。学食は行きたくないし」

「俺は平気だけど」

「なんでだよ。スポーツ科専用みたいな所だろ、あそこ」


 スポーツ科の生徒が学食に集まるのは安くて量が多いからだ。何度か行ってみたが、量はともかく味がいまいち合わない。だけど普通科生徒が近寄りもしないのは居心地の悪さが原因だろう。


「だったら明日から弁当にするか? クラスの連中はほとんどそうだろ」

「無理。母ちゃん、看護師だから朝いない時あるし。セーゴは作ってもらえるのか?」

「うちも駄目かな。母さんは俺より家出るの早いから。だから自分で作る。料理できないけど」

「やめとけ。腹壊すか火事起こすに決まってる」


 失礼だな、と思ったけど口に出さずに飲み込んだ。正直にいうと自信がない。


 つまり、学食も駄目、弁当も駄目、残された手段は登校時に遠回りしてコンビニに寄るか、今並んでいる移動式パン屋しかなかった。


 しかし……。


「好きじゃないんだよな」


 つぶやくように言うと、木曽は目を丸くする。


「え? めっちゃうまいのに?」

「それは認める」


 俺が好きになれないのはパン屋ではない。松北の異質さを象徴しているからだ。


 駅前にあるパン屋は移動販売するためにオレンジ色のワゴン車を乗りつけ、事務棟前のロータリーに停める。それはいいが、気に入らないのは生徒が作る行列だ。


 ワゴン車の中には二人のお姉さんが背中合わせにしていて、それぞれに列が作られる。


 つまり車を中心にする二つの列は鳥の翼のようになっていた。そして、それぞれの列はスポーツ科と普通科で別れている。どちらかの列が少なくても移動する生徒はいなかった。


 これが歴史ドラマなら『龍虎並び立つ』とでも言い表されそうだけど、徹底した住み分けに気持ち悪さを感じる。


 教師が使っている仕出し弁当を生徒も利用できたらいいのに。いくらぐらいするんだろう。そう思いながらブレザーのポケットに手を突っ込み、プロテインバーを取り出す。空腹を紛らわすにはこれが最適だ。

 

「セーゴ、ひとりだけずるいぞ」

「食う?」

「……もらう。何本持ってるんだ?」

「あと二本ある」


 食べかけのではなく未開封のを渡すと、木曽はアルミのパッケージを破ってかぶりつく。こうして俺たちは口の水分を奪われたせいで静かになった。


 そんな沈黙は長く続かず、声をかけられて終わる。


「君が木島平誠悟だね」


 話しかけてきた人の顔を確認するのに見上げる必要があった。俺が小柄なのを差し引いても、頭ひとつ分背が高い。


 それよりも見覚えがなかった。いや、ある? どこで会ったんだろう。


「そうだけど、誰?」


 記憶をたどりながら尋ねるが、問いに答えたのは木曽だった。


「忘れたのか? ほら、写真の。松北サッカー部のエースナンバー背負ってる人だって。上田うえだ先輩はジュニアユース時代でも注目されてたんだからな」

「……木曽の先輩が撮ったあれか」


 助け舟のおかげでサッカーの写真を思い出す。マークを引きずりながらシュートしてた人だ。確かにそれを可能にする体格をしている。ただ写真から伝わってきた気迫のようなものは感じられず、温和そうに見えた。それは顔立ちが整っているのとは関係ない、はず。


 それはいいとして今は頭を下げるべきだ。去年の写真で松北のユニフォームを着ていたという事は一年生ではない。


「すみません。上級生だとわからなくて」

「僕は気にしない質だからタメ口でも構わないよ。でも見た目で区別できた方がいいかもね。こんなどうでもいい目印なんかより、よっぽどいい」


 先輩は自分のネクタイに触れて肩をすくめた。たぶん、この学校のローカルルールに疑問を抱いているのだろう。そんな人は多くない。現にまわりの普通科生徒から好意的とは思えない視線を感じていたし、すぐ後ろに並ぶ女子は悪態をついていた。どうして青ネクタイがこっちにいるのよ、と。


 これは先輩にも聞こえているはずだから、どんな反応を示すのか気になった。俺なら無難に聞こえなかったふりをするところだが、先輩は想定の上をいく。


「横入りするつもりはないんだ。僕は彼と話したいだけだから安心して。欲しいパンが残っているといいね」

「は、はい」


 女子生徒は慌ててうなずく。その顔にはさっきまであった険がない。敵意がない人に怒りを維持するのは難しいのだろう。相手が爽やかな笑みを浮かべるイケメンならなおさらだ。


 そのかわり女子生徒の怒りは俺に向けられ、にらまれてしまう。俺が先輩の真似をしても効果がないのはわかっていたから無視する事にした。


「上田先輩はどうして俺を知っているんですか?」

「御代田とは同じクラスなんだ。君も仲がいいんだろう?」


 今の俺たちが親しいとはいえないだろうけど、サッチから聞いたのはわかった。だけど疑問は残る。


「でも名前だけでよくわかりましたね」

「苦労したよ。御代田に紹介してくれって言っても首を縦に振ってくれないし。だからフルネームとBMXで調べたんだ。そこから去年の大会リザルトを見つけてね。オフィシャル動画にメダルをもらってるところがアップで映っていたよ。まあ顔がわかったところで普通科の校舎に入れないし、ここで会えて運が良かった」


 思いもよらないところから恥ずかしい過去をほじくり返されて顔が熱くなる。実力以上の結果を出せたとはいえ、表彰式ではしゃぎすぎた。消せるものならネットの海から消し去るか、二度と浮かんでこないように沈めてしまいたい。


 そんな子供っぽすぎる振る舞いをしていた事が話題になる前に話をそらす。会話についてこれない木曽に説明してやらないと文句を言われそうだ。


「御代田ってのはBMX仲間の女。パークにいたのを覚えてない?」

「女って二人いたけど、どっち?」


 仲間に女は何人かいるが、その中でサッチは一番背が高い。


「背の高い方」

「あー。わかった。上田先輩と同じクラスってことはスポーツ科?」

「そうだよ。でも、撮らせてくれって言っても無駄だからな」


 俺と知り合いならスポーツ科相手でも頼みそうだと思い釘を刺しておく。突然そんな事を言われたらサッチでも困るだろう。


 あからさまに肩を落とす木曽に、上田は興味の目を向ける。


「君は写真部かい? じゃあ小海さんと同じだ」

「はい。俺、小海先輩が撮った上田先輩の写真に感動しました」

「あれは良い写真だったなあ。僕を写したとは思えないよ」


 上田は謙遜していたが、木曽に向かって手を合わせた。


「練習を撮りたいだろうけど、サッカー部はちょっとばたついててね。しばらく許可でないと思う。すまない」

「残念です。でも、どうして先輩があやまるんですか?」

「ほとんど僕のせいだしね。木島平と話したい内容に関係があるんだけど――」


 上田は真剣な目を俺に向ける。しかし、これから本題に入るところで割り込まれた。


蹴人しゅうと! そんなところにいたのか! 探しただろ!」


 その声は事務棟の入り口から投げかけられた。怒鳴っている、と言い換えてもいい大声だったので並んでいる生徒は一斉にそっちを見る。


 そこにはスーツに身を包んだ男がいた。苛立ちを隠そうとすらしない声だったのに能面のように無表情で気味が悪い。その上、教師でも生徒でもないとくればみんなが静まりかえるのもわかる。


 そして男は能面の顔のまま怒鳴った。


「蹴人! 返事すらできないのか!」


 大勢いる前で高圧的に呼ばれている人がかわいそうだ。そう思った時、上田がうんざりした顔で動く。


「今行くよ、父さん」


 あの能面が上田の父親? 表情豊かな上田とは真逆だ。そう思うのは木曽も同じらしく、視線が親子野間で行き来している。


 よく見たら口元は似ているかもしれない。まじまじと上田を見ていたら目があった。


「悪いけど改めて放課後に話したい。いいかな?」

「大丈夫ですけど、俺は七限まで授業ありますよ。スポーツ科は六限までですよね」

「もちろん君の都合に合わせる」

「じゃあ、授業終わったら、またここでいいですか?」


 上田は、ありがとう、と言い残して男の元へ歩き出した。そして二人並んで大勢の生徒が出入りしている事務棟の中へ消えていく。


 見守るしかなかった生徒たちの時間が動き出したのは、上田たちの姿が見えなくなったあとだ。ひそひそ話す声があちこちから聞こえだし、じわじわと列が動く。そんな中、いつまでも木曽が足を止めていたから腕を引いた。


「どうしたんだよ。ぼーっとして」

「先輩、シュートって名前だったんだな。やっぱりサッカーの申し子なんだよ」

「そうだといいな」

「どういう意味だよ」


 名前を付けるのは親だ。サッカー選手にしたいから蹴人と名付けたのはわかる。だけど上田は望んでいるのだろうか? 去り際の横顔を見てしまったからか、そんな疑問が浮かんでくる。何もかも諦めたような寂しい目だった。


「なんでもない。それより木曽が話を脱線させたせいで用件聞けなかったんだからな」

「あ。先輩、怒ってないかな?」

「俺を怒らせてないか心配しろよ」


 木曽の見当違いな心配にツッコミを入れ、二人して笑う。


 きっと上田はサッカーをやりたくてやっているはず。そう思う事にした。そうでなければ、スポーツ科にいる意味も、あの爽やかな笑顔も、偽りになってしまう。


 それはあまりにも悲しすぎる。そう思った。

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