3-5
そのあと、俺たちは学校裏手にある来客用の駐車場にいた。黒いセダンのトランクが開き、そこに失われた物があるのを確認する。画材もキャンバスもビニール袋に入れられていたのを見て大町は複雑な顔をしていたが、手元に戻ってきてホッとしている。
だけどいつまでも手を伸ばそうとしないから、痺れを切らしたサッチが急かした。
「さっさと確認すれば?」
「うるさいわね。問題は解決したから帰りなさいよ」
「確認するまでが風紀委員の仕事なの。もし修復できないほど傷ついていたら教頭先生に相談しないといけないし。それとも私に見せられないような絵なの?」
痛いところを突かれたらしく大町はにらむ事しかできない。そして弱点を見つけたサッチは楽しそうだ。
せっかく絵が戻ってきたというのに新たな火種がくすぶりはじめて、ため息をつきたくなる。俺はこの二人の間には入りたくないし、止める自信もない。
目で上田に助けを求めると、困り顔で仲裁に入ってくれる。
「御代田、何か問題があったら報告するから見逃してもらえないかな」
「上田まで何なの。そうか、何が描いてあるのか知ってるのね。二人して隠そうとするなんて益々怪しい」
絵に手を伸ばそうとするサッチを大町が押し留める。
サッチとは長い付き合いだから、絶対に引かない事は知っている。それにここまで意固地になっているのを見ると、俺も気になった。
「大町先輩、俺たちは何が描かれていても口外しないし、何も言いません。絵の無事を確認するだけです」
「……それなら。何も言わないって約束してほしんだけど、風紀委員」
「どうでもいいわ。あたし、絵に興味ないし」
肯定も否定もしないサッチを大町がにらむ。また言い争いが始まるのかと思ったが、サッチは渋々うなずいた。無言で約束が取り付けられ、大町はため息交じりにキャンバスに手を伸ばす。
ガサガサと鳴る黒いビニール袋から現れた絵は、木曽に見せてもらった写真と同じだとすぐにわかった。ユニフォームに身を包んだ上田がシュートする写真だ。
ただ全く同じではなく邪魔するマークはいない。何より異なるのは上田自身。写真からはゴールへの執念が伝わってきていたのに、この絵では純粋に楽しんで見える。サッカーが好きで好きで仕方がないように見えた。とてもいい絵で、未完成なのが信じられない。
きっとサッチも同じ感想を抱いていると思う。だけど全然違う事を言った。
「やっぱり仲がいいじゃない」
「からかわれるってわかっていたから見せたくなかったのよ。それより黙っている約束をもう忘れたの?」
「絵については何も言っていないし。そんな事より、なんで上田をモデルにしたの?」
その質問は単なる興味ではない。からかっているように聞こえた。だから大町は答えない。上田も一緒になって追撃をかけた。
「それ、僕も聞いた事ある。本当のサッカーを教えてくれるため、だったよね。いまだに意味がわからないんだけど」
「美術部が上田にサッカーを教えるってどういう事? 逆じゃなくて?」
サッチの疑問はもっともだ。俺も意味がわからない。
二人の容赦ない質問攻めにあい、大町は画材の袋から取り出した写真をつきつける。そしてやけくそ気味に言った。
「全然楽しそうじゃないのよ。こんな苦しそうな顔じゃなくて、もっといきいきしてほしい。だって好きでやっているんでしょ」
その答えに少し驚いた。上田とは系統が違うが、俺も競技者という括りで同じ。その俺が最初に写真から感じたのは気迫や執念だ。だけど美術部の大町には上田の心が見えていたのだろう。
上田は納得がいったようで大きくうなずく。
「大町さんは最初からわかっていたんだね」
「わかるわよ。目の前にいる上田と別人だし。だから盗んだのが上田だと思った。私の絵を完成させたくないんじゃないかって。こんなサッカーは認めたくないのかって。でも誤解だった。ごめんなさい」
大町は深く頭を下げたまま動かない。きっと上田は笑って許すだろう。どんな風に声をかけるのか知りたくて見守る。
そんな俺をサッチが引きずり、この場をあとにしながら言った。
「絵の無事を確認したから、あたしの仕事は終わり。それじゃあ行くわ」
いいところで立ち去ろうとするサッチに文句を言おうとしたが、にらまれたから黙っておく。俺にできたのは、礼を言って手を振る上田に頭を下げる事ぐらい。
俺が開放されたのは事務棟のエントランスに戻ってからだった。放課後になってかなり時間が経っていたから、まわりには誰もいない。だからか、サッチの態度も言葉も俺がよく知るものだった。
「あんな二人と一緒にいられないっての」
「それって科が違うのに仲がいいからかよ」
つい俺もいつもの調子で話してしまう。こんな風に話すのは入学以来初めてだ。咎められるかと思ったけど、サッチは気にしていない。
「全然わかってない。人の恋路を見せつけられたくないって話」
「え? あの二人が?」
「そういうところはまだまだお子様だね」
「うるさいな」
そこで会話は途切れ、向かい合ったまま時間だけが過ぎる。
サッチにしろ、大町にしろ、見ているものが同じでも感じるものが違いすぎる。それがこの二人だけなのか、男と女の違いなのか。そればっかりは大人になってもわかる気がしない。
とにかく問題は解決した。サッチとしては、これ以上一緒にいたくないだろうと思い、背を向ける。
だけど引き止められた。
「ひとつだけ、わからない事があるの。上田のお父さんが大町の絵を選んだのはどうして?」
そういえば説明していなかったと思い、ロッカーにあった写真と絵の関係を話した。だけどサッチは納得しない。
「よくそんな事がわかったね。だけどおかしい。息子が自分の絵を描くなんて普通思う?」
「思うだろ。上田先輩はスマホの壁紙に自分の写真を使ってるぐらいだし」
一瞬だけ見えた壁紙はあの写真と同じだった。良い写真があれば使うに決まっている。だから俺もスマホを見せた。
「ほら、俺だってそうだし」
サッチはチラリと見て、うわあ、とうめき声をもらした。
「信じられない。男ってみんなそうなの?」
「サッチだっていい写真を撮ってもらえばそうするって。友達に写真部がいるんだよ。今度頼んでやろうか?」
「大きなお世話! キモ!」
サッチは逃げるように走り去っていった。追いかける気にもなれず、俺はスマホに目を落とす。写真の俺は、夜空に飛び上がり最高に楽しそうだ。
改めて良い写真だと思い、スマホを内ポケットにしまう。
今度、こっそり木曽に撮らせてみよう。そうしたら気が変わるはずだ。そうたくらみながら、俺は帰路についた。
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