第3話 I hoped Euthanasia program.2


 お金がないとか、そういったことを理由に断ろうとしていた私の口がピタリと止まる。実際に会えば、実物を見ることができる? 安楽死プログラムの実態を知ることができる? それは。


 ゴクリ、と自分の喉が鳴ったのを、どこか他人事のように聞いた。それは、とてつもなく魅力的な提案だった。ディスプレイ上に映るアキアカネのアバターの表情が、とても憎らしいものに見えた。


 結果として、私はアキアカネの提案を受け入れることにしたのだが、まずは一度会ってから、という条件を付けた。何もかも分からないまま旅行、というのは怖い。アキアカネに自分の話は少ししたが、アキアカネのことを私は何も知らないのだ。性別も年齢も。せめて自分と同じ性別なら少しは警戒が解けるかも知れない。信じられるかどうかはそこで決めたい、と。アキアカネは私の条件をあっさりと飲んだ。こういうことを言われるのは慣れているのかもしれない。取り引きはよくしているのかもしれなかった。私が知らないだけで、安楽死プログラムを適応され、存在を抹消された人がいる。それは、想像するだけで叫び出したいくらい羨ましかった。データだけでも抹消されたら、少しは心が軽くなるだろうか。そういう人たちがどうなったのかも、興味があった。アキアカネは私の知らないことを知っている。これ以上のことをALやネット上で話すことははばかられることでもあるので、実際に顔を合わせるというのは、そちらのリスクを考えてもあり得ない選択肢ではなかった。


 会うことにしたら、それからの展開も早かった。全国の主要都市の中でどこが一番行きやすいか。その中で人が多く、待ち合わせをしても目立たないところはどこか。そういったことが矢継ぎ早に提案され、私はそれに答えるだけだった。そうして待ち合わせ場所を決められ、日時を決められた。日時を決められるときに、終業式の昼からと答えたら、それだけで『学生?』と当てられてしまった。当てずっぽうだったのだろうけれど、それすらもその時の私には効果的だった。


 そして当日。私は思ったよりも年齢の近い外見をしたアキアカネとカラオケボックスに来ている。カラオケボックスなんて初めて来たので、意味もなくマイクや電子目録を凝視したりいじってみたりしている。一方、アキアカネは慣れた様子で画面の音量などを調節していた。


 狭い部屋に、壁に沿って置かれたソファと電子パネルが置いてある。私とアキアカネは隣同士に座るが、距離はかなり空いていた。


「何か歌う?」


「いえ、あの、初めてでよく分からないです」


 電子目録もいじってはみたが、知っている曲はヒットしなかった。そもそも私は普段音楽を聴かない。ヒットチャートとして紹介されているアーティストもほとんど知らない顔だ。私の答えに、アキアカネは驚いたようだった。


「そっか~、最近の子はカラオケでストレス発散とかしないのか~」


 なんとなく世代間ギャップを感じさせる発言だが、それを追求する気持ちは起きなかった。今はそれより確かめたいことがある。


「それで、本当に持ってるんですか?」


 話を急く私に、アキアカネはまぁまぁといわんばかりに目を細め、キャップを脱ぎ、左腕に付けられた腕時計を外した。腕時計は生体データを定期的に計測する役割も持っているので、基本的に外すことはできないようになっているはずなのに。また、音声の録音も行われている。それは、会話や声のトーンから精神面の健康を簡単に測定し、乱れがあった場合、要観察として直近の身体データと照らし合わせるためである。腕時計型のそれはどちらかというと旧型であり、最近では身体に埋め込むものも出ている。私が付けているのは細いバングル型で、学生間でオシャレとして流行っているものだった。これも基本的には外してはいけないものになっており、先ほどの機能に加え、GPS機能も搭載されていた。三〇分以上身体から離れると、自動的に近隣の警察署に通報されるシステムだ。そのため入浴中も身につけることができるよう、防水加工はしっかりとされている。


 アキアカネは外した腕時計をスピーカーに近いところに置き、部屋に響く音量で歌入りのPVを流し始めた。腹の底に響くドラムの音が鳴り始める。そうして私のすぐ隣に移動してくると、バングルをぐっと押さえ、私の耳に唇を寄せた。こうしないと会話もなかなかできないと分かっているが、少し身体が強ばってしまう。この人にパーソナルスペースはないのか。


「持ってる。ただEPは、あなた一人では使えない」


「どういうことですか?」


「つまり、昔みたいに、看取る人間が必要なの。安楽死っていうのはそもそも他殺であり自殺だから。肉体を持ったままとはいえ、この社会から消えるのはそう簡単じゃないってこと」


 それは、私が死ぬためにはアキアカネに看取ってもらわなければならないということだ。


「死後のアフターサービスまでが、うちが扱ってる商品だからね」


 ニッと笑って一度身体を離すアキアカネ。部屋の中にはまだ最近流行りのアーティストの歌が響いている。私はその音に負けじと声を張る。


「だから、旅行しようって言ったんですか」


「そ。だって本当に望んでるかどうかなんて、ちょっと話しただけじゃ分からないから。そんな無責任なことできないし、不出来なものが出回っても困るしね。それに好きなこと思いっきりやってもらってから考えてもいいと思うし」


「私の気持ちは変わりません」


「それはやってみないと分からないでしょ。あなた旅行好きなのに行ったことないって言うし、実際行ったら気持ちが変わるかも」


「変わらないです」


「そう。そうだね、そういう感じだ」


 その言葉は、私の決意を揶揄するような色を含んでいたが、噛みつくのは止めた。どれだけ説明したって、他人に分かるものではないのだ。私が私であることを疎ましく思う気持ちなんて、言葉で説明できるものでもない。


 私は何かに取り憑かれているのかも知れないけれど、そうだとしてもこの社会から消えたい気持ちは抑えられないのだ。


「じゃあ、本題。旅行はどこに行きたい?」


 キャップをまた被り直して、アキアカネは時計もはめ直す。時計の留め具がカチンと音を立てた。自由にはめ外しができるなんて、どういう仕組みになっているのだろう。それとも、私が知っているよりずっと昔の物なのだろうか。


 それが気になりつつも、私は携帯端末を出し、電子パネルを起動させた。手元サイズではなく、パネルをタブレットくらいのサイズに設定して表示。そこに最近読んでいる旅行雑誌を呼び出した。それには夏の避暑にぴったりな山の中の洞窟や滝などが特集されている。こうした自然に直接触れられる場所に行ってみたかった。しかし、国内でも旅行をしようと思えばそれなりのお金がかかる。雑誌には今が安いなどという文句と共に私にとっては法外な値段が書かれている。自然物がある場所は国内テーマパークに行くのと比べれば、十倍近いお金が必要なのだ。私にそんな懐的な余裕はないのでいつも諦める。


 お金、といえば、今更だが安楽死プログラムを買うのにもいくら必要なのだろう。一応お金を貯めているのだが、そんなものは微々たる金額だ。安楽死プログラムを使う、使わない以前に、私にはその問題もある。金銭的な解決ができないというのは、どんな取り引きにおいても致命的だ。主要都市では学生特権ということで、ほとんどの公共機関やフード店は、金銭を使わなくても利用できる。そのため、学生の身分ではお金を使う機会がほとんどない。それもあって、今の私はほとんど自分でお金というものを使ったことがなかった。電子カードに入っている金額も、最初のチャージ金額からほとんど減っていない気がする。それらをかき集めたところで、焼け石に水程度だろう。何より親に「お金が足りない」と言ってせびることさえできないのだ。


「いいねー、ここ。私も行ってみたい」


 ここにする? と滝の写真のうち一つを指さすアキアカネの表情は明るい。何も心配することなどないといった顔だ。きっと今から旅行に行こうと言えば、あっさり頷いて私も一緒に連れて行ってくれるだろう。今日、ここに来てくれたのだって、特に難色を示すことはなかった。私は彼女の出身地を知らない。今日だってどこからどうやってここに来たのか、想像さえできないのだ。


「……どうやって行くんですか?」


「あー、内地だし、飛行機より電車じゃない? 列車の旅ってのんびりできていいと思うし、途中下車でいろんなところに行くのもありだと思うよ」


「そうじゃなくて……」


 なんとなく言葉を濁してしまう。お金がないと言いづらかった。現実的な取り引きができないということで、安楽死プログラムも旅行もすべて夢物語に戻ってしまう気がした。実際、今の状態では夢物語から一歩も脱していない。


「あぁ、お金?」


 私の懸念を、アキアカネはあっさりと言い当てる。オーバーオールのポケットに手を入れ、彼女は自分の端末を取り出した。私と同じように電子パネルを起動させる。そこに表示されたのは、国鉄の乗車券だった。利用条件を見ると、全国どこでも乗り放題だと書かれている。


「もらったやつなんだけど、これなら使えるでしょ」


 利用できる人数は四名まで。期限は今年いっぱいとなっている。出来すぎだ。安楽死プログラムを持っていて、死にたい人間のしたいことに付き合って、そして死んだ後もアフターケアをしてくれる。そんな慈善事業があるだろうか。私と外見年齢が違わない彼女が、ここまでしてくれる理由が分からない。メリットがない。


 表情を変えない私に、アキアカネは眉をひそめた。


「んん~? 何が気にくわないのかな?」


「……あなたの、目的が、分からない」


「目的ぃ? 目的も何も、これが仕事だからっていうだけなんだけど……。そうね、じゃあ大事なことを一つ確認するね」


 そう言って、また腕時計を外し、私のバングルを上から押さえつけた。静かだった部屋にまた音楽が流れる。あからさまに面倒そうな様子だ。こうでもしないと内緒話さえ許されない窮屈な空間。ずい、と顔を近づけてきて、アキアカネはまっすぐに私の目を覗いてくる。


「この旅行に出かける場合、まずあなたのGPS機能をバグらせる」


「それって……!」


「あなたは認証装置を不正にいじって家出をした失踪者になる。そしてその途中、警察に見つかったり、EPを使わなかった場合、あなたは逃亡した未成年として矯正施設に入れられ、更生保護プログラムによって現在の人格の否定と上書きをされる。あなたにはそのリスクを負ってもらう」


 アキアカネの語るリスクは、考え得る限り最悪のリスクだった。私は安楽死プログラムを使う前に擬似的に死ぬことを求められている。そして公的機関から身を隠さなければならない。そんなことが可能だろうか。私は一介の学生である。ただ、今死ぬのと擬似的な死を体験するのと、何が違うのだろう。安楽死プログラムを受けても、公的機関から身を隠さなければならないのは同じだ。黒くなるか、透明になるかの違い。捕まったらゲームオーバー。私には一生、公的施設からの監視がつく生活が待っている。


「そういう人間に、今までのIDやら電子マネーなんか使わせられないからね。こっちが手配することにしてるの。大丈夫、最終的にこちらも利益は回収できるようになってるから。慈善事業なんかじゃないよ、安心して」


 上手にウインクをして、アキアカネは私のバングルから手を離した。そして、鈍い光を放つ銀の輪を人差し指でそっとなぞる。


「私はあなたの介添えってわけ。だから今ここで決めて欲しいの」


 今死ぬか、止めるか。


 アキアカネが私に提示しているのは、地獄への片道切符だ。彼女の手を取った瞬間、《曽根塚アコ》はこの場で一度死ぬ。この社会からの逃避行。前科者になるリスクを負って、それでも自分の死に向き合えるか、どうか。一度手を取ってしまえば、引き返すことなどできない。


 私は一つ、深呼吸をする。これまでの生活を思い返す。毎日同じ場所を行ったり来たりのサイクル。生きていることを意識しなくても、ただ生かされていく生活。


 答えは決まっていた。


「行きます」


 私の気持ちは変わらない。それは嘘ではない。そう証明するつもりもあった。


 何があろうと、私は自分の選んだことを後悔しない。ただ自分が選択したものを引き受けて生きてみたい。だから、死にたい。


 しっかりとアキアカネの目を見つめ返した私に、彼女は面白い物を見たというように唇の両端をつり上げる。隙間から、八重歯が覗いた。歯列矯正されていない歯並び。自ら外すことのできる腕時計。きっと彼女は、この社会に存在しないとされる生き物だ。


「それじゃあ早速、そのGPS、壊そっか」


 そして、カラオケボックスの中から、私の旅が始まった。

 

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