第12話 八剱咲桜の下剋上
中学を卒業した後、私は父の勧めで帝蘭高校に入学した。
だが、入学するにあたって父から注意される。
「あの学校には、私が所属しているギルドの社長の息子も入学する」
「お父さんが所属しているギルドって……あの帝国ギルドの社長の息子ということですか」
「そうだ。名前は
「まさかお父さんは、私に社長の息子の接待をしろと言うつもりですか?」
「その逆だ……。息子さんとは一切関わるな。向こうも咲桜の事は知らないから、お前に関わってくることもない」
それを聞いて驚いてしまう。
父は帝国ギルドの幹部で、会社の社長とは良い関係を築きたい筈だ。ゴマすりという訳ではないが、評価を上げるためにも社長の息子に接待して欲しいと言ってくると思っていたが、どうやら違うらしい。
訝しんでいると、父は「それと……」と続けて、
「義侠君の目にも、息子を入れさせないで欲しい。絶対に関わらせないでくれ」
「義侠に?」
「そうだ」
義侠も私と同じく、帝蘭高校に入学する。また一緒に居られて私としては凄く嬉しかった。
父は相変わらず義侠や母親と新田家に干渉しないが、「最近義侠君はどうだ」「元気か?」と度々私に近況を聞いてくる。
今でも私が義侠と仲良くしているのは父も知っている。新田家に関わらない父が何故義侠の様子を聞きたがるのかは不思議だったが、義侠の話を父にできるのが嬉しかったからあまり気にしなかった。
どうして父が社長の息子と義侠を関わらせたくなかったのかは、高校に入学してすぐに理解した。
帝恭哉は反吐が出るようなクズだったからだ。
帝国ギルドは帝蘭高校に資金援助を行っている。それを盾に、恭哉は王様の如く好き勝手やっていたのだ。
先生や生徒がいる前でも平気でイジメを行っている。学校側もスポンサーの息子に逆らえないから、下手に触らず見てみぬふりをしていたんだ。
私は父に聞いた。何故あのような下劣な行為を許しているのかと。あれが人々を守るセイバー代表の息子のやることかと。できることなら私が自分の手で止めたかった。
「すまない咲桜、今は耐えてくれ……」
初めて父が私に弱音を漏らした瞬間だった。
恭哉がクズなことは父も分かっているのだろう。分かった上で、止められない事情があるんだ。私に申し訳ないと謝る父は、唇を噛み、血が滲むほど拳を握りながら私に頼んでくる。
私は父の頼みを聞き、後ろ髪を引かれる思いで恭哉の蛮行を見過ごした。
困っている人が居たら見てみぬふりをするな。義侠の信念に、私は背いてしまったんだ。
きっと、義侠ならば恭哉の行いを許さないだろう。
知った瞬間に恭哉と関わり、そんな事はやめろと正面から言う筈だ。だがその結果、最悪な事態を招いてしまうのは目に見えている。
学校全体が恭哉の言いなりなんだ。恭哉に歯向かったら何をされるか分からない。だから私は恭哉から遠ざけ、噂なども義侠の耳に入れないように細心の注意を払った。
勿論私自身も恭哉には関わらない。私が関わってしまったら、義侠はきっと恭哉の存在に気付いてしまうからだ。
幸いなことに、義侠は高校に入学してからすぐに沢山のアルバイトを始めて忙しそうだった。学校でも寝てばっかりで、恭哉のことを知る機会は殆どない。
「どうしてそんなにバイトをしているんだ。何か欲しいのでもあるのか?」
席に座って眠そうにしている義侠にそう尋ねると、彼は大きな欠伸をしながら答える。
「まぁな、そんなところだ」
「そうなのか……」
寝る間も惜しんでアルバイトをして、いったい何が欲しいのだろうか。
高校に入ってからは、昼ご飯もパン一個などでろくに食べていない。
「よし、私がご飯を作ってこよう」
「急になんだよ、そりゃ嬉しいけど遠慮しておくわ」
「遠慮なんかするな。いいんだ、私も最近父と自分の弁当を作っているし、一人分くらい増えたってどうってことない。それとも……私が作った弁当は嫌か?」
「お前……それはズルいだろ。分かったよ、お願いします」
「ああ、任せておけ!」
高校に入ってから、私は通っていた塾を辞めて剣道部に入部した。
勉強も疎かにしていないが、自由な時間は以前よりも増えている。だから少ない時間を使って料理にも挑戦していた。初めて弁当を作って父に渡した時は、顔には出さなかったが喜んでいたのは今でも覚えている。
義侠のことが好きなのは、あの頃からずっと変わらない。
今でも彼が私のことを好いてくれているのかは分からないが、例えそうでなくても義侠への想いはきっと不滅だろう。
このまま何事もなく、高校を卒業できればいいと思っていた。
しかし、神様は許してくれなかった。
「なんだよあれ……」
高校二年生の時。
義侠と一緒に帰ろうとしたら、教室のところで彼の足は止まった。その教室には帝恭哉がおり、集団で一人の男子生徒をイジメている。
(しまった……!)
義侠と一緒に居るのが嬉しく浮かれていて、恭哉の蛮行が義侠に見つけられてしまった。
男子生徒をイジメている恭哉を、義侠は信じられないものを見たように驚き、その顔を怒りに染めた。
「やめさせねーと」
「待ってくれ」
「咲桜……?」
恭哉を止めに行こうとする義侠の腕を掴む。
これを言ったら義侠に軽蔑されるだろう。それは死んでも嫌だが、義侠が居なくなってしまう可能性に比べたら自分のことなんてどうだってよかった。
「奴と関わっては駄目だ」
「奴って誰のことだよ」
「机に座っている男のことだ」
そう言うと、義侠は机の上に座って王様気取りの恭哉を一瞥する。
「あいつがなんだっていうんだよ」
「あの男は帝恭哉と言って、帝国ギルドの社長……帝我園の息子なんだ」
「あいつが帝国ギルド社長の息子? マジかよ……」
義侠は驚愕していた。それはそうだろう。ダンジョンの脅威から人々を守るギルドとセイバー。その最たる者の息子が、あんな外道なのだから。
「息子である恭哉には誰も逆らえない。生徒だけじゃない、先生もそうだ。奴の父親はこの学校のスポンサーで多額の寄付をしている。だからあのように注意もせず無視しているんだ」
「咲桜……お前は“知っていたのか”?」
「……っ」
義侠に睨まれ、びくっと肩が跳ねる。
そんな顔を向けてくるのは、初めてだった。私は身体を震わせながら、
「私だって本当は止めたいさッ。だが、私の父は帝国ギルドに所属している。父の迷惑になるようなことはできないんだ」
「親父さんが……」
私は自分の行いを父の所為にした。義侠に嫌われたくなかったからだ。なんて汚い女なんだろうかと、自分が醜く感じる。
黙っていた理由を言うと、義侠は察した顔を浮かべて、
「だったら俺に言えばよかったじゃねぇか」
「それこそ言える訳がないだろ! 言ってしまったら義侠は必ず助けに行くだろう。しかしそうなってしまえば、今度はお前が標的になってしまう。それどころか最悪退学になってしまうかもしれない。
本当はお前に奴のことを知って欲しくなかったんだ……」
「咲桜……」
恭哉のことを知った義侠は必ず止めに入るだろう。
だから最後まで見つかって欲しくなかった。なのに私が愚かなばっかりに、義侠に見つけられてしまった。
頼むから、お願いだから恭哉と関わらないでくれ。そう言う前に、義侠は私にこう言った。
「困っている人が居たら見てみぬフリをするな。自分の中の正義を貫け。それが母さんの教えだ。俺は今までずっとそうしてきた。それはこれからも同じだ。それが俺の信念だからだ」
「義侠……」
「悪いな咲桜、行ってくる」
義侠は私の手を振り解き、恭哉と対峙した。
それからはよく覚えていない。イジメを辞めろと言葉で解決しようとした義侠に、恭哉の連れが気に入らないと暴力を振るう。あっという間に二人の男子を薙ぎ倒し、今度は恭哉を殴り飛ばした。
これ以上は不味いと危惧した私と、ずっと静観していた先生が義侠を止める。安全を確保した恭哉は、義侠の母親を侮辱した。
それに怒り狂った義侠は、私と先生を振り解こうと暴れる。もの凄い力だった。騒ぎに駆けつけてきた他の先生達が止めに入らなかったら止められなかっただろう。
義侠は校長室に連れられ、恭哉は先生と病院に行った。
「すまない義侠……」
結局こうなってしまった。私では義侠を止めることができなかった。
恐らく彼は退学になってしまうだろう。だが、悲劇はそれだけではなかった。
「香織さんが亡くなった。私はこれから葬儀の手続きをするから一日家を空ける。家のことは頼んだぞ」
「えっ……」
その日の夜、家に帰ってきた父が私にそう言った。
義侠の母が亡くなった? どういうことだ? 事故?
混乱する私は父に事情を聞こうとしたのだが、父は慌ただしく出て行ってしまい、聞くことはできなかった。
「香織さんが……死んだ?」
たった一人の家族を失ってしまった義侠の心境は、筆舌に尽くし難い。私なんかでは何にもならないだろうが、義侠を一人にしたくなかった。義侠の側に居なくては駄目だと思った。
しかし、会いに行っても義侠は家に居なかった。
結局、二日後の葬儀まで義侠に会うことはできなかった。
◇◆◇
義侠の母が亡くなってから二日後、葬儀が行われた。
二日ぶりに義侠と会ったが、その顔は死人も同然で、彼のこんな顔は今まで見たことがないほど憔悴していた。
「すまない、義侠……」
「……」
「お前が無理なバイトをしていたのは、香織さんの治療費を稼ぐ為だったのだな。なのに私は……お前の気持ちも知らずに……呑気なことをッ……」
義侠の母は、一年前から難病を患っていたらしい。
無理なアルバイトをしていたのは、母親の治療費や入院費を稼ぐためだったんだ。
何故気付いてやれなかったんだろう。義侠が大変な思いをしているのに、私はのうのうとしていたんだ。幼馴染なのにッ!
「何で咲桜が泣いてんだよ。言ってなかったんだからしょうがねぇだろ。それより、お前からもおじさんに伝えておいてくれ。感謝していますって」
義侠の母の葬儀は、父が全て手続きした。
父が知らせたのだろうと思うけど、葬儀には多くの方が訪れた。しかし、焼香をするだけで話もせずすぐ帰ってしまう。義侠の母とはどういった関係なのかは分からない。ただ、皆が悲しそうに涙を流していた。
今まで新田家とは深く干渉してこなかった父が、どうして親身になって義侠の母の葬儀を手配したのかは分からない。だけど、多くの人が訪れたのを見て、やって良かったと思う。義侠にとっても。
「悪い、ちょっと外の空気吸ってくるわ」
泣きじゃくっていると、義侠が私の頭に手を置いてそっと撫でる。
本当は私が義侠を慰めなければならないのに、泣き虫の頃に戻ってしまった私に気を遣わせてしまった。
私はなんて、無力なんだろうか。
◇◆◇
「新田君、退学しちゃったね……」
「新田も馬鹿だよなぁ……帝に関わったらこうなる事ぐらいわかるのにさ」
「でも新田君らしいよね。いつも言ってたもん、困っている人が居たら放っておけないって。私だってそうだし、皆も新田君に助けられたことはあるじゃない?」
「そうだな……あいつは本当に良い奴だ。あいつ程の善人会ったことねぇもん。帝に突っかかって聞いた時も、“やっぱりな”って思ったし」
「それに俺、少しスカッとしたわ。誰も、先生さえビクビクして帝を止められなかったからな。本当は皆嫌だったんだ。だけどあいつが殴ってくれたから、なんか気が晴れたっつうか」
「あ~あ、なんかやるせないよねぇ」
(義侠……)
義侠の会話をしているクラスメイトの会話を聞きながら、隣の空席を見やる。
義侠が退学してから一週間が経った。
既に皆はあの事件のことは知っている。そして、義侠の退学を未だに引き摺っていた。
それだけ、彼が多くの人を助けていたという事だろう。それが些細なことであっても、助けられた方は覚えているんだ。
一週間の間、義侠とは一度も会っていない。
毎日家に訪ねているのだが、彼は家に居なかった。一体、どこで何をしているのだろうか。
心配だ。変な気を起こさないでいてくれればいいのだが。
「おい、八剱って奴いるか?」
(あいつは……帝の取り巻きの一人)
義侠の心配をしていると、教室のドアから一人の男子が私の名前を呼んだ。
その男子は、いつも帝と一緒にいる土門と言う奴だった。クラスメイトがざわつく中、私は席を立ち上がり奴のもとに向かう。
「私がそうだが、私に何か用か?」
「恭哉が呼んでる。ちょっと面貸せ」
帝が? 学校に来ていたのか。
怪我をして病院に連れて行かれた帝は、この一週間学校に来ていなかった。あいつの所為で義侠が退学になったというのに、どうしてのうのうと来れるのだろうかと怒りが込み上がる。
「わかった」
返事をして、土門の後をついていく。奴が連れてきたのは生徒会室だった。「入れ」と土門に言われたので中に入ると、顔が腫れ上がり、鼻に大きなガーゼをつけている帝が生徒会長用の椅子に座っていた。
「やぁ、よく来てくれたね。君が八剱咲桜だよね」
「そうだが、私に何の用だ」
奴の顔を見た瞬間殺してやりたい衝動に駆られたが、拳を握ってぐっと堪え、冷静に会話を行う。
「用というものではないんだけどね、僕は知らなかったけど君って父さんの部下の娘らしいね」
「そうだな」
「それと、新田義侠とも幼馴染らしいじゃないか」
それがどうしたと言うと、帝は眉間に皺を寄せてダンッと机を叩いた。
「どうして止めなかった!? あの偽善野郎の所為で僕はこんな目に遭ったんだぞ! 父さんの部下の子供なら、あいつの幼馴染ならもっと早く止めて僕を守れよ! どれだけ痛いか分かるか! 今だって凄く痛いんだぞ!」
「自業自得だろ」
「僕に口答えするのか!? お前の親がどうなってもいいのか!? 僕が言えば、お前の父親なんて簡単に辞めさせられるんだぞ!」
「したいならすればいい。お前の脅しには屈しない」
「……!? どいつもこいつも馬鹿にしやがって!」
激昂する帝は前髪をかき上げ、ふぅと深く深呼吸をする。
「まぁいいさ、“君には”手を出すなって父さんにも言われているしね。それに、近いうちに君は僕の部下になるんだ。楽しみは後に取っておこうじゃないか」
そうだ……私は帝国ギルドに就職し、セイバーになる。それは帝も同じだろう。
社長の息子である帝は最初から上のポストを用意されているだろうから、必然的に私は奴の部下になってしまう。受け入れ難いが、仕方ないことだった。
黙っていると、帝は突然ハハッと嗤って、
「父さんに聞いたんだけど、あの偽善野郎の母親が死んだそうじゃないか。僕をこんな目に遭わせた罰が当たったんだよ。母親も死んで、学校も退学。本当面白くて笑っちゃうよね、僕に歯向かったからこうなったんだ。ざま~みやがれクソ野郎」
「貴様ぁぁああああああ!!」
「ひぃぃいい!?」
許せなかった。我慢できなかった。
自分のことはどれだけ言われてもいい。だが、義侠と香織さんを侮辱することだけは絶対に許せない。怒りに支配された私は帝に殴りかかった。
だが――、
「おっと、そこまでだ」
「なっ!?」
振るった拳が鼻先に届く前に、土門に止められてしまう。奴の力は強く、振りほどけない。
「くっ!」
「立場上、止めなきゃ今度は俺が終わっちまうからな」
そう告げる土門は、私の耳元に口を寄せて小声で伝えてくる。
「それにお前が手を出したら、新田が悲しむんじゃねぇのか? あいつの退学を無駄にするんじゃねぇ」
「――っ!?」
「ほら、さっさと下がれ」
引っ張られた私は、土門の言う通り拳を収めて大人しく下がる。
こいつ……。
土門を睨んでいると、帝は安堵の息を吐きながら口を開いた。
「ありがとう土門。まったく、どいつもこいつも僕に歯向かいやがって。もういい、目障りだ。消えろ」
「……」
踵を返し、生徒会室を出て行こうとする。そんな私の背中に、帝が嗤いながらこう言ってきた。
「帝国ギルドで会う時は、よろしくね」
「……」
何も言い返さず、私は部屋を出て扉を閉める。
胸に手を当てながら、自分の想いを声に出した。
「待っていろ、帝恭哉、帝我園。貴様達の好きにはさせない」
この時、私は一つの野望を抱いた。
私は卒業したら帝国ギルドのセイバーになる。義侠を不幸に追いやった、最低最悪な会社に就職する。だが、決して貴様等の言いなりにはならない。
力をつけ、貴様達がこれまでにした悪行をこの手で裁いてやる。
「下剋上だ」
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