第3話 イジメと信念

 



「おいコタロー、さっさと脱げよ」


「で、でも……」


「お前、恭哉の言うことが聞けないっていうのか!?」


「なんだよあれ……」


 咲桜と一緒に教室を出て帰ろうとしたら、二つ隣のクラスから怒声が聞こえてくる。足を止めて様子を窺うと、教室の後ろで眼鏡をかけたぽっちゃり気味の男子生徒が、正座になって身体を震わせていた。


 その男子の目の前には、柄の悪そうな男子と女子が下卑た笑みを浮かべている。


 おいおい、あいつら何してんだ?

 まさかあいつを虐めてんのか? と怪訝そうに眺めていたら、そのまさかだった。グループの一人が気弱そうな男子に近付き、前髪を鷲掴んで無理矢理顔を上げさせる。


「コタローの分際で恭哉の命令に逆らおうっていうのか?」


「さ、逆らうつもりなんてないよ! で、でもこんな所でいきなりズボンを脱げって言われても……うぐっ」


「“でも”だと? お前が口にしていいのは“はい”だけなんだよ!」


「ぅあ……」


 チャラい男子が頬を叩く。それを見て、グループの奴らもニヤついていた。

 確定だった。これはもうイジりとかじゃれ合っているとかの次元じゃない。完全なイジメだ。それも恐らく日常的に行われている。


 他の生徒達は見向きもせず知らぬ存ぜぬの態度。生徒どころか、黒板を掃除している先生でさえ無視を決め込んでいやがった。


 知らなかった。まさかこの学校で、俺のすぐ側でこんな酷いイジメが起こっていたなんて。


「やめさせねーと」


「待ってくれ」


「咲桜……?」


 居ても立っても居られず教室に入ろうとすると、咲桜が俺の腕を掴んでくる。何故止めたのか困惑していると、彼女は俺に顔を背けながら口を開いた。


「奴と関わっては駄目だ」


「奴って誰のことだよ」


「机に座っている男のことだ」


 咲桜の視線を追うように教室の中を見る。彼女が言っているのは、机の上に座って大仰に足を組んでいる奴のことだろう。あの偉そうな態度から察するに、多分あいつがグループのリーダーだと思われる。


「あいつがなんだっていうんだよ」


「あの男はみかど恭哉きょうやと言って、帝国ギルドの社長……帝我園みかどがえんの息子なんだ」


「あいつが帝国ギルド社長の息子? マジかよ……」


 驚いた……。あの大企業である帝国ギルドの社長の息子がこの学校の生徒だったのか。全然知らなかったわ。

 驚愕していると、咲桜は眉根を寄せて険しい顔を浮かべつつ話を続ける。


「息子である恭哉には誰も逆らえない。生徒だけじゃない、教師もそうだ。奴の父親はこの学校のスポンサーで多額の援助をしている。だからあのように注意もせず無視しているんだ」


「咲桜……“お前は知っていたのか”?」


「……っ」


 あいつが帝国ギルドの社長の息子であることも、学校に多額の援助をしていることも、それを笠に着て好き勝手に生徒をイジメていることも、全部知っていた上で今まで何もせず黙っていたのか?


 そういう意味で問いかけると、咲桜は俺の腕を掴んでいる手にぎゅっと力を入れて、


「私だって本当は止めたいさッ。だが、私の父は帝国ギルドに所属している。父の迷惑になるようなことはできないんだ」


親父オヤジさんが……」


 なるほどな。どうして咲桜が奴の行為を見逃していたか分かったよ。


 彼女だって本当は止めたい筈なんだ。だけど、虐めに介入すると帝の父親のもとで働いている咲桜の父親に迷惑をかけてしまう。どんな結果になるか分からないが、最悪なケースはクビだろう。

 それを心配して手が出せなかったんだ。


「だったら俺に言えばよかったじゃねぇか」


「それこそ言える訳がないだろ! 言ってしまったら義侠は必ず助けに行くだろう。しかしそうなってしまえば、今度はお前が標的になってしまう。それどころか最悪退学になってしまうかもしれない。

 本当はお前に奴のことを知って欲しくなかったんだ……」


「咲桜……」


 咲桜は俺のことをよく知っている。知っているからこそ、俺を心配して帝から遠ざけようとしてくれていたんだと思う。彼女の気持ちは嬉しい。


 でも、知ってしまったからには見てみぬフリはできない。

 決して賢い選択ではないだろう。馬鹿だって思われるだろう。だけどここで何もしなかったら、俺は胸を張って母さんに会えない。


「困っている人が居たら見てみぬフリをするな。自分の中の正義を貫け。それが母さんの教えだ。俺は今までずっとそうしてきた。それはこれからも同じだ。それが俺の信念だからだ」


「義侠……」


「悪いな咲桜、行ってくる」


 そう言って、咲桜の手を強引に振りほどいて教室の中に入る。


「いいからさっさと脱げって言ってんだよ!」


「分かったよ……脱ぐ、脱ぐからもう――」


「いや、そんな事はしなくていい」


 イジメられている男子の頭を掴んでいる腕を掴みながら、俺はそう言った。

 するとイジメている男子取り巻きは、煩わしそうに俺を見ながら聞いてくる。


「あっ? 誰だよテメエ、離しやがれ」


「お前が離したら離してやるよ」


「はぁ? ふざけんじゃ――(こいつ、ビクともしねぇ!?)」


 取り巻きが強引に振り解こうとするが、お前如きの腕力じゃ無理だ。さらに力を込めると、取り巻きは痛そうに悲鳴を上げた。


「痛たたた! おい離せよ!」


「聞こえなかったか? お前が離したら離すって言っただろ」


「ちっ!」


 取り巻きが男子の頭を離したので俺も離す。掴まれた腕を痛そうに抑えながら、取り巻きはグループがいるところまで下がった。


「何だよあいつ……」


「帝に楯突くなんて馬鹿じゃね~の?」


「あいつの学生生活終わったな」


 イジメを止めたことで、まだ教室に残っていた生徒達が憐れみの視線を送ってくる。先生は面倒臭そうな顔を浮かべて静観していた。


 それでいい。何もしないなら邪魔をするな。黙って見てろ。


「で? お前はなんなの? 何で僕の邪魔をしたの? 折角そこにいるブタがこれから面白いことするっていうのに、シラけちゃったじゃないか」


(こいつが帝か……マジでクソだな)


 机に座ったままためふざけた事を抜かしてやがる帝恭哉は、まさに不良男子って感じの男だった。


 いけ好かないボンボンって感じの顔立ち。金髪に耳ピアス。制服は着崩していて金色のネックレスやブレスレットを見せびらかしている。そして人をブタ呼ばわりする汚い口。絵に描いたようなクズだ。


「俺は邪魔をしたんじゃない。“イジメ”を止めただけだ」


「あっそう。じゃあ聞き方を変えようか、どうしてイジメの邪魔をしたんだ?」


 この野郎、あっさりと認めやがったな。


「くだらねーこと聞くんじゃねーよ。止めるに決まってんだろ」


 はっきり告げると、何が可笑しいのか帝は手を叩いて笑い声を上げた。


「ぷっ……あはははは! 決まってるって……“決まってないから”誰も止めようとしないんじゃないか。あれ、もしかしてお前は僕が誰だか知らないのかい?」


「帝恭哉だろ? 帝国ギルドの社長の息子の。今さっき知ったけどな」


「へぇ、知ってて突っかかってきたんだ。凄く馬鹿なんだな。ねぇ、誰かこいつのこと知ってる?」


 帝が周りに尋ねると、取り巻きの一人が答えた。


「確か2組の新田義侠って奴だ。何でも困っている奴がいたら誰彼構わず手助けしているらしい」


「なにそれ、自己偽善ってやつ? うぇ~気持ち悪い。それで? 正義のヒーローごっごをしている偽善者様は今回もイジメを助けようとした訳だ。僕が帝国ギルドの社長の息子だと分かっていてさ」


「お前が誰だとかはどうだっていいんだよ。何でこんなくだらねー真似をするんだ」


 睨めつけながら問うと、帝はキョトンとした顔を浮かべてさも当たり前かのように答える。


「何故って? おいおいそんな事聞くなよ、退屈凌ぎに決まっているじゃないか。“誰だってよかったんだよ”。“なんとなく”そこにいるブタがイジメがいがありそうだったから、暇潰しに遊んでやったんだ」


「何を訳分かんねーこと言ってんだ。暇潰しに人をイジメていい理由わけねーだろうが」


「“いいんだよ”。だって僕はこの学校の王様なんだから。お前も知っているだろう? 僕のお父様は帝国ギルドの社長だ。その息子である僕に逆らおうって奴は誰もいないんだよ。

 それは先生達だって変わらない。お父様はこの学校のスポンサーで多額の資金援助をしているからね、先生達だって僕の言いなりさ。この学校で校長よりも偉い僕は、何をしても許されるんだ」


「それはお前の力じゃなくて親の力だろ? それに、親が凄いからってお前がイジメをしていい理由にはならねぇよ」


「……」


 思ったことを伝えると、ニヤついていた帝の面がすんっと無表情になる。

 多分、話の分からない奴だなって思っているんだろう。それは俺も同じだ。


「お前が誰であろうと興味もないし、どうだっていい。俺が言いたいのは、もうイジメをするなってだけだ」


「お前ウザイな。痛めつけてやらないと分からないタイプか。いいよ、それなら遊んでやるよ」


「なぁ恭哉、俺にやらせてくれよ」


「ああうん、好きにしてよ」


 最初の取り巻きが意気揚々と名乗り出る。

 気に食わないことがあったらすぐに暴力で解決か。こいつらはきっと、今までも同じようにしてきたんだろう。反吐が出る。


「死ねおら!」


 取り巻きが拳を放ってくる。パシっと、俺はパンチを受け止めた。なんて遅くて軽いパンチだ。これで粋がっているのが笑えるな。

 出来れば話し合いで解決したかった。でも、やっぱりそれは無理なようだ。


「言っておくが、先に手を出したのはお前等だからな」


「あっ? 何言って――おごっ!?」


 拳を腹に一発ぶち込むと、取り巻きの身体がくの字に曲がる。唾液を垂らしながら床に倒れた。一連の展開を眺めていた帝の顔は驚愕に染まっていた。


「へぇ、少しはやるようだね。おい土門、ぶっ殺せ」


「おう」


 帝が命令すると、今度は隣にいる取り巻きが出てきた。


(こいつ、何かやってんな)


 帝に土門と呼ばれた奴は、俺よりもタッパが高く身体がゴツい。タンクトップから出る腕の筋肉も盛り上がっていて、格闘をしている身体付きだった。つーかちゃんと制服着ろよ。


「お前とは一度喧嘩ってみたかったんだ。十人ぐらいの不良グループと喧嘩して勝ったんだろ?」


 パキパキと指の骨を鳴らしながら、土門が俺に聞いてくる。

 いつのこと言ってんだ? 身に覚えがあり過ぎてどれだか分からねぇぞ。


「そいつらは雑魚だったんだろうけどな、俺は違うぞ。顔の原型がなくなるまで殴り殺してやる!」


「――っ!?」


 土門が殴りかかってきたので咄嗟に腕でガードする。さっきの取り巻きとは違って拳を打つ速度も疾いし、衝撃が重い。それにやっぱり何か格闘技を齧ってやがる。これはジャブか? ってことはボクシングか。


「おいおい、受けてばっかりじゃなくて反撃してこいよ。つまらねーだろーが!」


「そうか。ならそうするわ」


 土門が放った渾身のストレートを半身になって躱し、下段回し蹴りローキックで片足を蹴る。


「がっ!?」


「普通のボクシングだと、蹴りは使わないんだろ?」


 蹴りは意識になかったのだろう。苦悶の声を洩らす土門の体勢が崩れ、隙が出来た。蹴りやすい位置に下りてきた顎目掛けて全力で蹴り上げる。


「あがっ!?」


 俺の爪先が土門の顎を打ち抜くと、奴の身体は宙を舞って倒れた。顎をやったから、暫くは起きられない筈だ。


 あと残っているのは……。


「ひっ!?」


 視線を向けると、帝は情けない声を出して引き攣った顔を浮かべた。

 が、その後すぐに指をさして怒鳴ってくる。


「ちょ、ちょっと強いからって調子に乗るなよ! お前なんか」


「うるせぇ」


「ぎゃあ!?」


 ぎゃーぎゃー喚く口を殴り飛ばす。

 どんがらがっしゃんと机と一緒に倒れる帝の口からは大量の血が出ていた。


「痛いぃ……痛いよぉ……。はっ……僕の歯が、僕の歯が無いじゃないか!?」


「歯の一本二本折れたぐらいで騒ぐんじゃねぇよ。これまでお前にイジメられてきた奴等はもっと痛かったし苦しかったんだぞ。身体も、心もな」


 叫んでいる帝に近付き、胸倉をぐっと掴んだ。


「何でお前が平気な顔でイジメができるか分かるか? お前に人の痛みが分からないからだ。イジメられる側の気持ちが分からないからクソみたいなことができるんだよ」


「ぐほっ」


「やられた方はな、“なんとなく”で、“誰でもよかった”で済まされねーんだぞ!!」


「うげっ……ひひゃい……もうやめ……」


「やめろ義侠! それ以上やったら殺してしまう!」


「や、やめるんだ!」


 帝の顔を殴り続けていたら、後ろから咲桜に羽交い締めされる。彼女だけではなく、ずっと静観していた先生まで今更になって止めてきやがった。


「止めるなよ。このクソ野郎はこの程度じゃ分からない」


「クソが、僕にこんな事してただで済むと思うなよ! お前はもう終わりだ! お前だけじゃない、お前の家族も皆道連れだ! はっはっは、可哀想だなぁお前の親は! 馬鹿な息子のせいでこの先の人生どん底だ!

 お前の母親は後悔するだろうな。こんな馬鹿息子を産んだ私が悪かったってなぁ!!」


「てめぇ!!」


「やめろ義侠!」


「離せ咲桜! こいつは母さんを侮辱したんだぞ! 絶対に許さねぇ!!」


「おい、何をしているんだ!?」


 咲桜と先生を強引に引き剥がそうとすると、騒ぎを聞きつけた他の先生も俺を止めてくる。


「はは、ザマーみろ」


 こいつだけは絶対に許さねぇ!


「離せ! 離しやがれぇぇえええええええ!!」

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