Case2 日向政虎

今日も変わらぬ朝を迎え、また1日が過ぎていく。

そんなとある日。


自分のデスクで一息つく。時計を確認すると、まだ始業までは幾分か時間があるようだ。


「おはよう」

「あ、おはよう」


見上げると、真っ直ぐな瞳がこちらを見つめていた。

部署が別でも日向ひゅうがくんとは比較的デスクが近くにあり、毎朝挨拶を交わしている。


日向くんは同期のひとりではあるが、周りと比べても背が高く、最近ジムで鍛えているらしい体はがっしりとしていて迫力がある。お顔も彫りが深く、政虎まさとらという名前もその近寄り難さに拍車をかけている気もする。


口数が少なくて表情もとぼしい彼を、初めは取っつきにくく思っていた。しかし、しばらく接していると話す言葉や態度に優しさを感じ、同期の中でもよく話をするようになった。


見た目から怖がられることもあるようで、そこは少しもったいないなと思う。

毎朝挨拶をしてくれるのは同期だからなのかはわからないが、ちょっとは気を許してくれているのならいい。私もこうして毎朝挨拶をする相手がいるのはどこか満たされた心地になるから。


なんとなしに去っていく背中を見送っていると、しっぽがゆらゆらと揺れているのが目に入った。

……はて、日向くんにしっぽなど生えていただろうか。

記憶を辿たどってみても、そんなインパクト抜群なことを覚えていない訳がないのに、覚えがないのだから初見に違いない。黄色に黒の線が入ったしっぽの動きは到底偽物のようには見えなかった。


しっぽは尾てい骨ら辺から生えているみたいだけど、今日生えたのかな。

あのしっぽがあれば、可愛らしさが増して怖さが減りそうでいいかもしれない。


しばらくの間、呑気にもそんなことを考えていた。


***


フリースペースに昼食を持って席に座る。

ひとりで手を合わせて箸を持った時、隣から声がかかった。


「ここに座ってもいいだろうか」

「あ、はい。どうぞ……って、日向くん」


ひとりで食べている時に限って日向くんがやって来て、たまにこうして一緒にご飯を食べている。

いつからかは曖昧で、いつの間にかそういうことが増えていた感じだ。

ただ、カウンター席だから顔はあまり見えないはずなのに、私だってわかっているみたいで毎回よくわかるなと感心してしまう。そんなにわかりやすいのだろうか。


「お疲れ」

「日向くんもお疲れ様」


隣に座る彼を盗み見ると今もしっぽは健在らしく、朝と同様にゆらゆらと揺れていた。

午前中彼が仕事をしている姿を見たが、しっぽは低く垂れていてしっぽにも意思があるようだった。

しかし、そのしっぽに他の人が気づいた様子もなかったため、あれは私以外には見えていないのではないかという結論に至った。現在も彼のしっぽに注目している人は見当たらないのがその証拠だ。


でも残念。あれがきっかけで話しやすくなると思ったのに。


今は元気なのか上向きになっているしっぽを見つめる。

そっと手を伸ばして触れた、と思ったがなぜかすり抜けてしまった。

何度試しても空振り、ぎゅっと掴んでみようとしても空気を掴むだけ。


「虫でもいたか?」

「え、いや……」


くるりと振り向いて、視界の中にしっぽがあるのに見えていないかのように振る舞う日向くん。

その様子からして、日向くんにもこのしっぽは見えないらしい。


可愛いのに。日向くんにも見えたら良かったな。

誰にもこの姿の日向くんを共有できないなんて……


こうしている間にも時間が過ぎてしまうため、ひとまず昼食を食べることにする。

座り直す過程で、ふと日向くんのお弁当が目に入った。

日向くんはいつもお弁当を持参していて、それも手作りなようで本当にすごいと感心する。

大抵お弁当の中身はお米が少なくて、お肉や野菜が多い気がする。鍛えているから、食事も気をつけているのかもしれない。


「どうしたんだ?食べないのか?」

「あ、食べるよ」


お弁当を凝視して、食べ始めない私を日向くんが不思議そうに見ていた。


昼食を食べながら、時折ぽつりぽつりと話す。

案外それを気まずいと思うことはなく、むしろ心地よいとさえ思っていた。


「今度、外で昼食を食べないか」

「外で?」


こうして成り行きで昼食を食べることはあっても、不思議なことに一度も約束をしたことはなかった。

それにふたりで食べるのはいつもこのフリースペースで、一度も外では食べたことはない。


「いいの?食事に気をつけてるのかと思ってたけど」

「大会に出る気はないから、根を詰めてやってない」

「大会?」

「ああ。代表的なのはボディビルだろうか。その大会を目標に鍛えている人もいる。俺の目的は違うがな」


鍛えられた体は以前より分厚くなったように見えて、私より胸板があるような気もするくらいになっていた。

大会が目的でないなら、なぜそうも鍛えられるのだろう。


「なんで鍛えてるの?」


以前ジムに通って体を鍛えていると聞いたが、その目的までは聞いていなかった。いい機会だから聞いてみたい。


「大切な人を守れるようになりたくて」

「大切な人……」


なんだか抽象的な答えが返ってきた。


「それはできそう?」

「どうだろうか。まだ俺には守る資格がないから難しいかもしれない」

「え、資格、がいるの?守るのに?」

「ああ、守れる立場にないかと思ってな」


聞けば聞くほど、日向くんが言っていることがわからなくなってしまった。


「よく、わからないけど、応援してるね」

「ありがとう」


そう言った日向くんはほんの少し口元を緩めていた。


***


今日は残業もなく、定時で帰ることができそうだ。帰り支度をしていると、日向くんが近寄ってきた。


「連絡先、交換してもらってもいいか」

「あれ、交換してなかったっけ」

「ああ」


連絡する用事もなかったから、連絡先を知らなくても良かった。

でも約束もしたし、連絡は取れるようにしておいた方がいいかもしれない。


スマホを近づけると必然的に距離も近づく。その距離の近さに、自然と胸の鼓動が早くなる。

日向くんの顔も見ることが出来ず、視線をさ迷わせているとしっぽが足にくるりと巻き付いたのが見えた。感覚はないけれど、確かにしっぽはぎゅっと巻き付いていて、不思議と触れた部分が熱をもった気がした。



次の日、日向くんのしっぽは消えていた。

結局何だったのかわからないが、記憶にしか残っていないそれをもう見れないのかと思うと、残念で仕方なくなった。

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