第6話 小心者の限界
山引は扉に持たれたまま肩で息をしていた。
洞窟の中は暑い訳ではなく、むしろひんやりとした冷気が満ちている。その中にいても山引の額には汗が浮かんでいた。
恐怖のため、極度に緊張しているのだ。
「まあ、ダチって訳でもねえからな……」
扉の向こう側からは、怒鳴り声と叩く振動が背中に響いてくる。
「あ、開けたら化け物が来ちまうじゃねえかよ」
体当たりでもしているのかドスンという音も時々聞こえていた。そんな扉に向かって山引は呟いていた。
山引はご多分に漏れず小心者である。言うことはデカイが実際には行動などしない。
(あの化け物が人間を喰うって言うんなら、誰かに犠牲になってもらうしかないだろ?)
つまり、他人を犠牲にして自分だけ助かりたかったのだ。
黒い蛇だか霧だかが他人を喰っている間は安全だと思いこんでいた。
「へっ……その誰かは俺じゃなくなったがな」
鼻先で笑うと洞窟の奥へと歩き出しはじめた。言葉とは裏腹に額を拭う手が震えていた。
山引は臆病な性格な癖に、妻へのDVが原因で離婚している。
当時の山引は嫁に来たのだから躾けるのは当然だと考えていたのだ。
だから、何か反抗的な態度を取るのなら優しく拳で指導しただけと考えていた。
山引は友人達を呼んで家で花見をした事がある。妻がお腹に息子を宿している時だ。
友人たちに祝って貰って妻を労おうと考えての宴会だ。
最初、妻は愛嬌を振りまいていたが、宴の時間が長くなると無表情になっていった。
酒が足りなくなりスーパーに買いに行けせたが少ししか買って来ない。酔って気が大きくなっていた山引は妻に言った。
「これだけで足りる訳無いだろ!」
「お腹に赤ちゃん居るの重い荷物なんて持てる訳ないでしょ!」
「うるせえ!」
反抗的な妻にビンタをすると友人たちから『さすが!』と称賛された。
主人たる者の態度に友人たちも尊敬の念を抱いたのだろう。
当時の山引の仕事は底辺に属する類であった。仕事は楽しいが稼ぎは余り良くない。
そこで昼飯は弁当を持たされていた。妊娠を切っ掛けに妻が仕事辞めたせいで家計が厳しいからであった。
ある日、台所のシンクに弁当箱を叩き込んでやった。中身はシンクの中にバラ撒かれた。
「何するのよ!」
「野菜は嫌いだって言ってるだろ!」
大嫌いなピーマンやらブロッコリーを入れていたから頭に来たのだ。
学校の給食で出された時には、放課後まで残されても食べなかった位に嫌いであった。
「食べる物を粗末にしないで!」
「粗末にされるような物を作る方が悪いだろ!」
「大人何だから我慢して食べなさい」
「何でデカくなってまで我慢しなきゃならんのだ」
小さな頃には父親に殴られながら食べさせられたのを思い出した。
野菜を口に入れた時に見せた親の勝ち誇った顔を思い出してムカムカした。
「子供の食育に悪い!」
「二度と食事に野菜を出すな!」
お互いに前進する為の口論なのに、妻はいちいち反論してくる。生意気な奴だと山引は思っていた。
仕事に疲れているし面倒臭いので、最後はいつも拳で躾する羽目になるのだ。
ある時、子供連れて近くの公園行こうとしたら、大きい犬がいるから嫌だと言われた。
以前に連れて行った時に、大きい犬に追いかけ回されたのが怖かったようだ。
その時は山引も居たが子供と犬とはしゃいでいると考えていたのだ。
「畜生相手に何をビビってやがるんだよ……」
これは子供の恐怖心を克服させる為にも連れていこうとした。だが、泣いて拒否したので止めた。
「どうして嫌がるのに無理やり連れていくの!」
優しい気遣いを見せたのに妻には苦情を言われた。妻は子供には甘いのだろうと考えていた。
「嫌だからって逃げ回っていても解決にならないだろ!」
父親の厳しさを見せなければ考えていた山引は返事した。
その後もゴチャゴチャと何かを言われたが『うるせぇ!』の一言で黙らせた。
すると、妻は子供を連れて家出をしてしまった。なので妻の実家に迎えに行ったが来てないと言われる。
しかし、玄関先に子供の靴があるのが見えた。友人の子供のお古だが、まだ履けるので貰ってきてやったのだ。
(妻実家もグルで嘘つきなのか……)
仕方がないので、帰宅時間を狙って車で待っていると帰ってきた。
話をしようと車から降りると逃げ出した。
(ったく、しょうがないな……)
相手がいないと話し合いにならないので車で軽く体当たりをして止めた。
自分の当て方が上手かったので、妻は全治一ヶ月の軽症で済んだと山引は思った。
そうしたら、傷害とかいう罪に問われて逮捕されてしまった。
(妻を迎えに来ただけなの……)
釈然としないまま刑期を終え交通刑務所から出所した。
今度こそ話を聞いて貰おうと、妻の実家に行ったがそこは更地になっていた。
(俺が預けた見舞金や賠償金の金も持ち逃げされてしまった……)
あれから妻と息子を探し続けているが見つかっていない。
妻実家の近所の人に聞いて回ったが皆さん知らないと言う。
自分の親の所にも行ったが、二度と顔を見せるなと本当に塩を撒かれた。
兄弟や友人たちも似たような反応だ。山引は全てを失い孤独になってしまっていた。
(全て妻が悪いんだ……)
ここまで至っても山引は自分が悪いとは考えて居なかった。
(今度こそしっかりと躾をしてあげないと……)
妻をまともな人間に戻せるのは、自分しかいないと山引は本気で考えているのだ。
捜索に夢中になるあまり日常の生活費にも事欠くようになってしまった。
まあ、捜索と言っても妻が立ち寄りそう場所の周りをウロウロするだけだ。
そこで闇バイトに応募したのだが、この調子なら楽勝で報酬が手に入りそうだ。
「もう、あの頃の俺とは違うぜ……」
そんな事を呟いてから、出口を目指そうと歩き始めようとした。
(今度こそ上手くいく)
根拠のない自信が山引を支えていた。
さっそうと仕事をこなす自分をみて、きっと妻も戻ってきてくれるだろう。
山引の手前勝手な妄想が膨らんでいった。
「あれ?」
数歩進んだところで足が異常に重い事に気が付いた。
地面に靴がへばり付く感触があるのだ。
「なんで?」
泥沼に足を取られたかのように前に進めない。
直ぐそこに脱出出来るかも知れない扉が見えている。手が届きそうなのに、思い通りに伸ばせない。
「ええ……」
両手足を振り回そうとしたり、腰を捻ったりして泥沼から抜け出そうとするが敵わなかった。
ズズズッ
何かが這い回る音が聞こえた。
(アイツが居る……)
山引は直ぐに黒い煤の事を思い出した。
黒い煤は天井を這いずりながら近づいてきた。
「や、奴が来る! 助けてくれ!!」
自分が閉じた扉の方に向かって怒鳴った。しかし、扉からは何も聞こえてこなかった。
その声に反応したのか、黒い煤が山引の方に頭を持ち上げている。
「見つかった!」
黒い煤の頭部分が裂けて口のようになり、そこの部分がニッと笑ったように見えた。
目の錯覚かも知れない。だが、山引はそう感じたのだ。
「置き去りにした事は謝る!」
再び声を掛けてみた。それでも変化は無かった。扉は沈黙したままだ。
「此処だ!此処に居るんだ!」
怒鳴り声がかすれ始めた。
山引は綿田が黒い煤に噛み殺された光景をまざまざと思い出して恐怖していたのだった。
黒い煤の頭の部分が弾けての蝶のように変化した。
「え?」
いきなりの変化に山引はビックリしている。黒い蝶は洞窟の中を飛びはじめた。
最初はグルグル回るだけであったが、黒い蝶は狙い定めたかのように山引の頭に止まり出した。
「やめろ!」
両手で黒い蝶を払おうとするが次々と張り付いてくる。
(ああ……)
黒い蝶は隙間なくビッシリと山引に張り付いた。
それでも両手を動かし続けた。僅かな可能性に縋っているのだ。
(ああああ…………)
天井に残っていた黒い煤から糸のように触肢が伸び、山引の頭に張り付いた蝶たちを吸い込んでいく。
山引の体が持ち上がり始めた。
(……………………)
山引の体は天井に居た黒い煤のようなモノに、全て吸い込まれて行ってしまった。
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