第4話 彷徨う迷界
全員が弥勒堂の扉から出てきた。床にへたり込んだり壁に手を付いたりしながら肩で息をしていた。
最後に弥勒堂から出た白石は背中で扉を締め、そのまま座り込んで嘔吐してしまった。
「アレ……何だよ……」
「綿田さん、喰われたよな……」
「ああ……」
ほんのちょっとの関わりとはいえ、仲間が喰われてしまった事実は参加者たちに重くのしかかる。
綿田が腕だけを使って逃げようとした時に、内蔵が引き釣られているのをまざまざと見せられたのだ。
他の何人かも廊下に嘔吐していた。
(あんな状態でも人は生きているのか……)
想像も付かない痛みだっただろうなと白石は思った。
鉄道の飛び込み自殺でも似たようなことが起こるらしい。どうにもならないので周りの人も黙って見ているしか無いらしい。
とどめを刺す訳にもいかないから、断末魔の絶叫を聞いてるしかないのは最悪のトラウマになりそうである。
そんな話を白石は思い出していた。保線作業のアルバイトをしている時に仲間のおっちゃんから聞いたのだ。
「あの黒い霧みたいなのは般若から吹き出して蛇になったよね?」
「蛇?」
山引誠一には蛇に見えたのだ。彼は人一倍に怖がりだ。きっと恐怖のあまり蛇に見えたのであろう。
誰もがそう考えた。
「自分には猪みたいに見えたよ」
だが、筧崎竜子には違って見えていたようだ。
「そうなのか、俺には出来損ないのスライムだと思ったよ」
肥屋明も違って見えている。
どうやら、それぞれに目にした物の印象が違っているように見えていたらしい。
「鬼みたいに見えたし黒い目もあった……」
川千佐弥が自分の肩を自分で抱くようにして言った。やはり、今でも怖いのだろう。
「目?」
松土和也が聞き返してきた。彼は比較的落ち着いているように見える。
「うん、先頭の頭みたいな所の目のある場所に窪みが有ったから目だと思う……」
「ああ、俺もそう思った。 目の周りから霧が湧き出して、目の中心に向かって落ち込んでいたように思う」
「口は無かったのに、あのおっさんを喰う時だけガバッと開いたような感じだった」
確かにいきなり口が現れたのだ。しかも、口の中は漆黒であったのも覚えている。
「自分が見た時には最後に蝶になってましたね」
白石が最後に見た瞬間の事を言った。ここまで誰も黒い蝶のことは言わなかったからだ。
「蝶?」
「ええ、もっとも直ぐに霧散してしまいました……」
「そうか……」
「つまり姿容を変えることが出来るのか……」
「厄介だな」
容易に姿が想像出来ない相手に全員が戸惑ってしまった。
「あれって般若の面を叩いたからじゃねぇか?」
誰かが言いだした。綿田が般若の面を軽く小突いたのみんな見ていたからだ。
タイミング的に誰が見てもそう思えるの当然である。
「呪いってアレの事か?」
「そんな感じがするよね」
誰も呪いの詳細は知らない。ただ、行方不明になるとしか聞いていないからだ。
もっとも、誰も帰って来られないのなら詳細など分かるはずも無いものだ。
「般若の面が呪うの?」
「さあ……」
「般若の面って何かの神様だっけか?」
「いいや、嫉妬と恨みを極限まで高めた女性が変化した怨霊って設定のはずだ……」
松土が説明を始める。彼は大学生時代に民俗学を専攻していた。こういった風習には詳しいらしい。
大学時代にパチスロに嵌って以来、ギャンブル依存症になってしまい。今はフリーターだ。
「だが、依代って線があるな……」
再び松土が言い出した。
「ヨリシロ?」
「ああ、祈祷かなんかして神様を般若の面に憑依させるのさ」
「そんな事が出来るのか?」
「昔の御呪言にヒトガタと言って、人の形に切った紙に病の場所を移させて身代わりにさせるってあったじゃん」
現代のような医学が発達していなかった時代。
病は気の迷いや呪いと言われていた。その為に治すためには何かに憑依させて、代わりに病になってもらうという呪術があった。
他にも祝詞などを上げて病を祓うなどもある。各地の風習を調べている時に良く聞いたらしい。
「ああ、神社なんかでそういうのがあったな」
「それと似たようなことを般若の面でやっているって言うの?」
「さあ、そこまでは知らんよ……」
さすがの松土にも分からなかった。
何故、般若面を使っているのかさえ不明だからだ。最初に見た時にはそういうものかと思い、気にもとめていなかったのもある。
「黒い霧に喰われてしまうのが呪いになるのかな?」
「分からない」
植田は失敗者が行方不明になってしまうとしか言わなかった。それは喰われてしまうので事後の事までは分からないせいなのだろう。
だから、かれは黒い霧の事を何も言わなかった。もしくは言えなかったのだ。
「黒い霧の正体が分からないと逃れる方法が無いな……」
松土がポツリと言った。
「……」
「…………」
「………………」
全員、黙り込んでしまった。
「とりあえず帰ろうぜ……」
誰かが言い出すと全員が立ち上がった。
ここに留まっていると黒い霧がやってきそうな気がしたからだ。
「ねぇ、ここ何処?」
すると、筧崎竜子が今居る場所に見覚えがない事に気が付いた。
この一言で全員がビクッとした。
「え?」
川千佐弥も反応した。筧崎の肩を弱々しく掴んで辺りを見回している。
「こ、今度は何だよ…………」
山引が怯えた声で聞いた。しかし、誰も答えない。
分からないのだ。
「なあ、入ってきた時にこんなに長い廊下だったっけ……」
肥屋がおもいだしたように聞いている。彼は最初に地下への階段を降りていたのだ。
そう言われて改めて廊下を眺めてみると、確かに奥の方まで続いている。
「これって廊下と言うより洞窟だよね……」
川千が壁を触りながら言った。
三叉の鳥居から地下に降りて入ってきた時は漆喰のような質感の壁だった。だが、今は荒削りの岩肌が剥き出しになっている。
改めて見てみると廊下とは呼べないような代物であった。洞窟と呼んだ方が合っている。
全員、床の方ばかり見ていたので気付かなかったらしい。
「というか間違えて違う扉を開けたっぽいな……」
綿田の惨状を目の当たりにして全員焦って逃げ出したのだ。間違えても不思議でもなんでも無い。
「くそっ、しくったな」
「戻って本当の出口に向かうか?」
「ええー!あんな化け物が居る場所に戻るのか……」
「それだけは勘弁だな」
洞窟には裸電球が点々と続いている。人の手は入っている。未知の洞窟というわけでは無さそうだ。
なんとなく先に進めそうな気配はしていた。
(気が付かなかった……)
白石はパニックになったので扉を間違えたのかと考えていた。しかし、扉は一つしかなかったように記憶している。
だが、再び化け物が居る部屋に戻るのは願い下げだとも考えていた。これは全員が考えていた事であろう。
「じゃあ、思い切って奥に進むか……」
松土が提案する。その場に居た者は虚ろな目で洞窟の奥を見ていた。
(奥に進むしか無いのか……)
目の前に続いている洞窟は果てが無いようにも見える。奥の方は暗がりに飲み込まれているのだ。
「ああ……」
白石が気の抜けた返事をすると同時に何かが起こった。
ドーンッ
轟音と共に弥勒堂の入り口扉が震えた。扉だけではない。洞窟全体が震えるような振動であった。
何かが扉に体当たりをしているような音と振動だ。
全員が扉を畏怖の籠もった目で見た。
「な、な、な、なんだよ」
「ひぃぃぃ」
「きゃあーーーー」
「拙い!出てくるぞっ」
「外に出ないと……」
「逃げろ」
黒い霧が自分たちを喰う為に出てこようとしている。そう考えるだけの根拠は十分にある。
もう一度震えた時には、全員が洞窟の奥に向かって走り出したのであった。
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